2018年10月24日水曜日

2018-19シーズンにおける新採点まとめ

・ジャンプ基礎点が下方修正。特に高難度四回転で大きく減少
・GOEの幅が±3から±5に。補正は一律+1で+10%。コレオのみ+18%
・1.1倍の後半ボーナスが入るのはSP最後の一つ、FS最後の三つのみ
・二回飛べる四回転は一種のみ。実質もう一種は三回転限定に
・コレオの基礎点、GOE幅が上昇
・SPでの単独ジャンプ前のステップが不要に
・男子のみ演技時間が4:30→4:00に
・男子のみFSのジャンプが8→7に

以上が採点改正の要点です。
では一つ一つについてもう少し細かく。

・ジャンプ基礎点が下方修正
4A15.0→12.5
4Lz13.6→11.5
4F12.3→11.0
4Lo12.0→10.5
この四つは実際に飛ぶ事を想定しておらずに
慌ててごっそり引いたようにも。
4S10.4→9.7
4T10.3→9.5
ちょっとだけ4Sと4Tの差が広がりました。
3A8.5→8.0
3Lz6.0→5.9
3F5.3
3Lo5.1→4.9
3S4.4→4.3
3T4.3→4.2
2A3.3
3Aも大きく減りましたが
それでもなお3Lzとの差はあります。
男子は二つ飛ぶと基礎点だけで4.2に。

女子の3A挑戦は減るかも…と思ってましたが
そうでもない模様。

・GOEの幅が±3から±5に。補正は一律+1で+10%。コレオのみ+18%
GOEの採点基準が7段階から11段階になり、
点数幅そのものも大きくなりました。特に高難度ジャンプで。

例えば4Lzの場合、
9.60~13.6~16.6
だったのが
5.75~11.5~17.25
になります。
GOE5を取れた場合は旧採点より出ますが
転倒だと問答無用で-5、ごっそり引かれて3Lz以下に

これは少し崩れた4T(9点前後)と
転倒しても回りきった4Lz(転倒-1含め8.6)の点数が
殆ど同じだったので分かる改正です。
4Lz、4F、4Loは転んでも回りきれば十分な点が出てしまう状態でした。

更にジャンプGOEの認定要件として
1 高さおよび距離が非常に良い
2 踏切および着氷が良い
3 開始から終了まで無駄な力が全く無い
更にこれらをすべて満たした場合のみ
4 ジャンプの前にステップ,予想外または創造的な入り方
5 踏切から着氷までの身体の姿勢が非常に良い
6 要素が音楽に合っている
が認定されると定められました。一つでGOE1になるとの事。
ただ、具体的にどれだけ123を満たせば
456も評価基準になるのかはまだ手探りの状況です。

一方で「空中姿勢の変化」や「ディレイ」はなくなったので
例えば手を上げてのジャンプ、通称タノジャンプは
それだけではGOEを算出しない事になりました。
でも美しいタノジャンプに定評があった選手達は問答無用で今も飛んでます。

・1.1倍の後半ボーナスが入るのはSP最後の一つ、FS最後の三つのみ
特にジャンプを全部後半に回す女子が登場し
プログラムがいびつになっていた状況に待ったをかける改正です。

このSP最後一つ、FS最後三つというのがなかなかの曲者で
コンボに後半ボーナスを入れようとすると最後にするしかなく
リカバリーが効かなくなります。

例えば前半3A、後半4S3T、4Tの構成なら
これまでは4Sで転倒しても4T3Tを飛べれば傷は浅くなりましたが
現行ルールだと3A/4T、4S3Tの構成にしないと+3Tのボーナスは無し。

なので後半クワドコンボは一発勝負になります。
しかも転倒してしまうとコンボが入らず基礎点3/4かつGOE-5となるので
極めてハイリスクになりました。
おまけに後半ボーナスはGOEに反映されないのでリターンも減るという

・二回飛べる四回転は一種のみ。実質もう一種は三回転限定に
今までは4T二つ、4S二つ、3A一つの構成が出来たのですが
以後これはできなくなります。

FSで二回飛んでいいジャンプは二種類のままなので
もう一種類は必然的に三回転のどれか、という事になります。
男子は単純に点数の高い3A二つを選択する…とも思っていましたが
3Lz二つ、3F二つで挑んでいる選手も現在かなりいます。
実の所3Aを他の三回転と同じように飛べる人って限られてますし。

結果的に、特に男子では
四回転を飛べてかつ3Aが得意な選手がこの改正の恩恵を受ける事になります。
3Aの重要性がこれまで以上に増したと考えてもいいでしょう。

・コレオの基礎点、GOE幅が上昇
基礎点が3.0→4.0
GOE5だと4.1→5.5に

GOE0とGOE5の点差は1.1→1.5になります。
実の所GOEマイナスのコレオってA級大会で見た事ないので
そんなに大した改正ではないです、点数だけ見れば
ジャンプの基礎点が減った分ちょっとだけ比重は増えましたが

とはいえコレオはフィギュアの華
5を取れたであろうミーシャ・ジーが引退した今
誰が最初に最高点を取るか、皆が注目しています

・SPでの単独ジャンプ前のステップが不要に
今まではこのコネクティングステップとも呼ばれるものが必要で、
無しだとGOEが大きく引かれる為に、
ステップからの四回転が出来ないとSP2クワドの強みが薄かったのですが
改正で必須ではなくなりました
GOE要件その4を満たすので利点は残ってますが。

・男子のみ演技時間が4:30→4:00に
・男子のみFSのジャンプが8→7に
これは単純な時間短縮、
及びそれに伴う救済措置
更には得点におけるジャンプの比率減少も兼ねているのだそうです。

が、最後のジャンプにかかる時間はせいぜい5秒
なのに30秒も縮まってしまい
要素の間で息を整える時間がバッサリ削られた為に
非常に体力への負担が大きくなっています。

またこれのせいで代名詞として知られていた技、
例えば宇野昌磨のクリムキンイーグル、
ジェイソン・ブラウンのスパイラルなどを入れる時間が無くなってしまい
総じてファンの間では不満の大きい改正です。
4:15とかに出来ないもんですかね…?

具体的にどんな採点になるのか分からないので
あくまで個人的にですが
要点をまとめてみると

男子だと3Aが上手いクワドジャンパーが有利に
高難度ジャンプはGOEを取れないと相対的に弱体化、
かつ転倒でも回りきれば得点源とはいかなくなった
ジャンプ以外の得点はそんなに増えていないものの、
相対的には比重が大きくなった
TESの天井が低くなるのでPCSの比率が増大

といった所でしょうか。
まあ元々、トップクラスの選手は全部出来るオールインワンが多かったので
そんなに影響はしなさそうです。
3A苦手で多種クワド持ち、ただしGOEは多くなかったネイサン・チェンが
直撃を受けるかとも思ってましたが
今季で3A急成長、更にPCSもガッチリ取って対応してきました。

とはいえ、繰り返しになりますが
具体的にどんな採点がされるのかは未だ不透明です
今季は特にエッジエラーや回転不足の判定がキツくなっている模様で
何人かが大きく煽りを受けています。

そして、最後にPCSに関して
転倒などの大きなエラーが一つあった場合は10を出せない
二つ以上あった場合はSS、TR、COに9.5、PE、INに9を出せない
と規定されました。

つまりPCSでごっそり点を取れるトップクラスの選手達でも
二つ転倒すると絶対にSP46.5、FS93を越えられなくなるので
天上の戦いにおいては決定的な致命傷になります。
まあ、元々二つ以上転倒した選手に
そんな派手なPCSが出たケースはそんなになかったのですが。

さて、しかしどうなるでしょう
これから実際の演技と照らし合わせて
採点基準を修正しないといけないので

ぶっちゃければやってみないと分かりません。

2018年10月23日火曜日

2016-17シーズンから平昌五輪を挟んで現在までの男子フィギュアの流れ

ボーヤン・ジンが4Lzを着氷して始まった新次元クワド時代。
その一つの締めくくりとなったヘルシンキ世界選手権は、
4Lo4T4Sと他要素を完璧に揃えた羽生結弦が制覇。
4F4Lo4Tと他全部完璧(ただしgoeでちょっと羽生さんに及ばず)の宇野昌磨が二位。
4Lz4T4Sと他の要素普通以上のボーヤン・ジンが三位。
という結果に。

しかし4T4S他要素完璧のハビエル・フェルナンデスの威力は変わらず、
更に4Lz4F4T4Sとステップ完璧スピン普通以上のネイサン・チェン、
4T他要素完璧、ただし4Lz不安定のミハイル・コリヤダらが彼らを猛追。
4Lz4F4T4Sのヴィンセント・ジョウ、
4Lz4T滑り上手いドミトリー・アリエフらも続いて
平昌五輪への争いは混沌としていました。

その一方で様々な選手達が自分達の方法で少しでも上を狙った時代でもあります。
一時期飛んだ4Sを捨て4Tで最後の五輪に挑んだパトリック・チャン、
4Tと3Aと忙しない脚さばきで世界四位に食い込んだオレクシイ・ビチェンコ、
鉄板の4Tと3Aの威力でGPF出場、四位を掴んだセルゲイ・ヴォロノフ、
五輪で4Sを取り戻し本来の総合力で世界選手権に戻ってきたミハル・ブレジナ、
4Tを安定させスピンを急激に伸ばして五輪を勝ち取ったキーガン・メッシングら、
一種の四回転を軸に世界と渡り合うベテラン。

4Tや4Lz<も決めたけれども最終的には四回転抜きを選び
PCSで五輪に華を咲かせたアダム・リッポン、
4Tは間に合わなかったものの他完璧かつ異次元のジェイソン・ブラウン、
4Tに見切りをつけてステップとコレオに全てを賭けたミーシャ・ジー、
最初からクワドに目もくれずスケーティングで勝負したヨリック・ヘンドリックスら、
クワドなしで多種クワド選手達よりも高順位に入った選手。

4T4S4Lzと荒々しい勢いで五輪まで後一歩に迫ったアレクサンドル・サマリン、
4T4Sと総合力、ただし安定を欠くも五輪で揃えたダニエル・サモーヒンら、
多種クワドの威力で一気に世界に食い込む若手。

本当に多士済々といった感じで、
誰が五輪を制覇し誰が入賞するのか、
全然読めやしなかったのが平昌五輪でした。

結果的には怪我で4Loを欠いた羽生結弦が4T4S二つづつ(一つ乱れ)で優勝。
4Lo転倒も4Fと4T二つを降りた宇野昌磨が二位。
4Sが一つ2Sで吹き飛ぶも4T4S一つづつのフェルナンデスが三位に。
ただしネイサン・チェンが4T二つ4F二つ4S4Lz合計六クワドで
FS最高得点をもぎ取っています。

この後の世界選手権では、
五輪の無念を晴らしたネイサン・チェンがSPFSを揃えて優勝。
怪我しつつ強行出場した宇野昌磨が驚異の二位。
FSで上手くいかずも基礎技術で押し切ったミハイル・コリヤダが三位に。
一方で四回転一種(4T)でオレクシイ・ビチェンコが四位に入っています。

これで一つの区切りが付き、
五輪以前から公言されていた採点改正が行われて
初のシーズンとなるのが現在です。

ジャンプ、特に四回転の基礎点が下がる一方、
goeの幅が±3から±5となって+5を取れれば
旧採点以上の点が出せるようになりました。

また男子はFSのジャンプが8→7となり、
時間も4:30→4:00に短縮。
最後のジャンプで2Aとかを飛んでた選手は有利になりますが、
一方で時間短縮は体力への負担が極めて大きい模様です。

更にFSにおいて、
二回飛べる四回転は一種類だけになりました。
例えば4T二つ4S二つという構成はできなくなります。
二回飛ぶジャンプの一つは三回転になるので、
皆3A二つで行く…と思っていましたがそうでもない様子。

総じて高難度ジャンプの基礎点に依存する戦略は不利になり、
スピンやステップのgoeが重要性を増す形になります。
その上でトップを争う為には多種クワドを高いgoeで飛べ、と。

新しい採点基準に対する選手達の戦略は様々で、
4Loや4Lzを4Sに変更している選手やクワドを減らす選手がいる一方、
知った事かと言わんばかりにクワドマシマシで戦っている選手もいます。

元々選手達からすれば
やりたい事、目指すべき姿があって
その上でどうやって点を取るの勝負となっていたので
今の所、このルール変更で根本的にやり方を変えた選手はいません。
回転不足やエッジエラーの厳格化で苦戦している選手もいますが。

そしてGPS第一戦スケートアメリカが終わった時点で
新クワドを投入して飛躍する若手がバンバン出ていたり、
31歳の選手が4Loに挑戦したりと

やはりというか
限界を突き抜けようとする選手達の熱い闘志は
結局の所全く変わっていません。

五輪が終わってなお戦い続けるベテラン達
2022年の北京五輪を目指す中軸世代達
その更に先を見据える若手達が
今しのぎを削っています。

今季の世界選手権は日本、さいたまスーパーアリーナ。
総合力を要求するルールの下で
誰がどんな戦略で抜け出るのか。

今季も決着が付くまで
目を離せそうにありません。

2018年9月26日水曜日

2018-19シーズン、男子スケーターたちの展望1

さて、何を隠そう。
私は「2016-17シーズン、平昌五輪に挑む男子スケーター達のまとめ と現在に至るフィギュアの流れ とその流れを作った名選手達」や
ユーリ!!!ON ICEを見た人々に贈る、 男子フィギュアスケーター紹介本
とかを作った人間です。

2018-19シーズンへのまとめは作ります。
出来ればpdfも現在の内容に合わせて大幅に書き換えたい。

という事で、ここに下書きを書いていこうかなと。
1ツイート分と一ページ分、どっちにも対応できるように。
下書きゆえのとりとめなさはご容赦を!

羽生結弦(日本)
https://www.youtube.com/watch?v=M8XcybBTUxc

王道と覇道を極め、第三の道を拓く
五輪連覇、異次元の最高得点更新、世界初の4Lo戦力投入
フィギュアスケートの歴史を変えて向かうは
永遠の憧れへの挑戦であった

既にあらゆる要素も表現力も世界一
しかしまだ何もかも足りない
今最も燃えている男

怪我から復活しての五輪連覇。
男子フィギュアスケートの最高得点大幅更新。
世界初の4Lo完全着氷および戦力投入。
フィギュアスケートに無数の伝説を打ち立て、
ここからは自分の為に四回転アクセルを決めたい、やりたい事をしたい…
と公言していたのですが。

しかし彼は最も難しい挑戦を見つけてしまいました。
永遠の憧れであるプログラム「秋によせて」と「ニジンスキーに捧ぐ」、
ジョニー・ウィアーとエフゲニー・プルシェンコの精髄に一歩でも近づくのだと。
そして2018-19シーズンの初陣、
上手くいかなかったオータムクラシックで決意するのです。
「全てが足りない」と。

選手としての長所は全部。
…もう少し書くと、三種類の四回転を含む高く美しく流れるようなジャンプ。
レベルでは測れない技術の粋を尽くしたスピン。
誰が見てもその質がわかる音と氷に一致したステップ。
安倍晴明とプリンスを演じ分ける表現力。
フィギュアスケートに関わる全てが世界超一流です。
特にアクセルは他の追随を許さぬ圧倒的な質があり、
決まれば世界初となる四回転アクセルにも目処が立ちつつあるのだとか。

でも「全てが足りない」と本人は決心しています。
果てを極めた暁にはプロトコルがgoe5で埋まる事でしょう。

演技を一つ選べ…と言われるとたくさんありすぎて難しいのですが。
ここでは平昌五輪SP「バラード第一番」、通称バラ一をご紹介。
怪我明けからの準備期間は二ヶ月あるかないかで、
流石の彼でもこの短期間では難しいのでは…
と思わせてからのほぼ完璧な演技。

しかしそれは「勝つために全てを捨てた」と本人が語ったように
頂点は競技を進化させねばならぬという信念、
その象徴でもある新ジャンプ4Loを断念した結果でもありました。

羽生結弦は常に頂点に立つ為に戦っています。
ですが、五輪では勝つ事のみを優先せざるを得なかった。
それを踏まえるとまた違うものが見えてくるかもしれません。

…一方、勝利を最優先した結果がFS「SEIMEI」での四回転四本、
しかも決まれば五輪史上初になった4Tからのハーフループコンボだった
(本番では着氷ミスでコンボにならず、3Aに付け替えました)
のがフィギュアスケートという競技の恐ろしさだなぁとも。
安全策で四回転四本を要求されるなんて…。


と、こんな感じで
今季競技に挑む選手達の紹介を書いていくつもりです。
Twitterの方はリンク込みで140字。
pdf用はB5で一ページを想定、900字で略歴、特徴、お勧め演技の三つを書きます。
この字数だと寄り道も出来るのでしていこうかなと。

実際の文章はここから色々書き換えるんじゃないかなー
良かったら以後もお付き合いを!

2018年9月23日日曜日

百合ジャンルの歴史 個別作品紹介その3 あるいはかえみと論考

本編はこちら
個別紹介その1はこちら

・Vtuber(17末、にじさんじ18)
というより実質にじさんじ、もっと言えばかえみと。
現状pixivで圧倒的に強いのはこの二人です。
おそらくtwitterでも。

そもそもVtuber、バーチャルユーチューバーとは何ぞや。
現在進行系の現象なので色々と論じ方はあると思いますが、
結論から言えば2Dあるいは3Dのアバターを着てる配信者です。

ただ彼らの多くがYoutubeを活動拠点としているので、
Youtuberの一種とみなされる事が多いのですが、
実はそれ以外の場、例えばtwitterとかでも活動しているので
「配信者」と定義してみました。

実際の所、元々有名人だったり、イラストレーターだったり、
ミュージシャンだったりといった背景を持つ事なく、
発言が面白かったり、考察が鋭かったり、行動が奇矯だったりと、
twitter上の活動だけで有名になったアカウントが結構いるのですが、
(アルファツイッタラーなんて言い回しもあります)
そんなSNSだけで有名になれるような元々面白い人々が、
アバターを獲得して大ブレイクしたのがVtuberだと私は認識しています。
少なくともヒットしているVtuberに関しては。

で、ここからが本題。
SNSにおけるアカウント同士の間柄に百合が見出されたのは、
実はVtuberが最初ではなかったりします。

艦隊これくしょんのなりきりアカウント同士(二人とも女性キャラ)で、
思いを打ち明け、受け入れられたという出来事がありました。
結構少なくない人々の記憶に残っている彼女達は、
その後アカウントを消してしまい、アーカイブも残さなかったので、
アルペジオのように電子の海に去っていってしまったのですが。

もう彼女達の名前を使っても検索すらできなくなった二人の間柄には、
確かに百合へと繋がるものがあった筈です。
そこには原作への愛があって、
現在進行系で進展していた間柄があり、
その進展を共有していた人々がいました。

それから数年経って。
最初に月ノ美兎がその強烈な中身でブレイク。
その後彼女が築いた橋頭堡から、
Vtuberグループ「にじさんじ」が世に出てきます。
で、月ノ美兎自身もその一員として動画配信でコラボもしているのですが。

始まりがいつだったのかは分かりません。
元々仲が良かったのか、配信中に気が合ったのかも。
しかしいつの間にか月ノ美兎と樋口楓は一番の仲良しさんになり、
この二人で何かする時が最も盛り上がるようになりました。

Vtuberというガワがあるのでわかりにくくはあるのですが、
面白い人達が一人、二人、ないし多人数で愉快な事をして
(バカな事、と言ってもいいかもしれません。勿論褒め言葉)
彼ら自身も視聴者も一緒に楽しんでいるのが流行りの本質です。

で、バーチャルに限った話でもなく。
二人でいっぱい楽しい事をすれば仲良しにもなるよね。

そんな訳で、まあ何というか色々と愉快なコトをしつつ
少女(とあえて書きます)二人がリアルタイムで接近していくのを、
視聴者は現在進行系で共有する事になりました。
というか今この瞬間にしてます。

SNS上で…というのはそんなに重要ではないのですが、
二人の間柄が進展していくのを共有する経験は、
おそらく多くの視聴者にとって非常に新鮮なものでした。

バーチャルキャラ同士なのに
間柄の進展はリアルよりもリアルという
何とも奇々怪々な現象がそこにはあります。

更に、かえみとのような類型が
百合ジャンルにおいて大当たりした組み合わせには無かったのも
百合ファンにとっての新しさがあったのだと思います。

ざっくりと切り分けてしまうと、かえみとって、
ワトソンとホームズの間柄に似てるんですが。
こういう類型の組み合わせって、
そういえば大きいジャンルには無かったように思えます。
ちなみにハドソン夫人が静凛で、
モリアーティ教授は…誰だろう?

親友…ともちょっと違う、
不均衡のあるバディというか、戦友というか。
(何でもサイドキックという呼び名があるんだそうです)
ワトソンだけでは大人気シリーズにはならなかったのでしょうが、
しかしホームズはワトソンがいないと始まらない、
かえみともそんな間柄に思えます。

で、再び論を引き戻して。
Vtuberの本質はガワを被った元々面白い人々と書きました。
しかし彼らは、活動を止めてしまうと急速に忘れ去られてしまう
どうにも避けがたい宿命を背負った存在でもあります。
良くも悪くも刹那において最も輝けるのが人気アカウントであり、
Vtuberもその延長線にあります。

ずっとずっと二人では走れない。
どこかで必ず終わりが来ます。

仮ににじさんじが活動停止後にアーカイブを残しても、
(多分残さないと思います)
我々に出来るのは追体験だけで、
二人が接近していく刹那は共有できない。

SNS上での間柄の進展、そこにあるときめきは、
現在進行系である事が生命線です。
過去形になってしまうと後世への伝達が極めて困難になるでしょう。
実際に検索すらできなくなったケースを私は紹介しました。

イラストとか小説とか薄い本とかの二次創作は残る筈。
しかしそこから当時の熱をどれだけサルベージできるのか。

ときめきは今そこにあります。
しかし後に残せるのか。
そもそも無くなってしまった刹那を残す必要があるのか。

後になって残るのは、
写真…もとい二次創作だけ、という事になるかもしれません。
ジャンルの栄枯盛衰はどこにも例外なくあるのですが、
Vtuberはそれが極端に激しくなる予感が、実の所すごくします。

例えば10年後、今の事情を知らない人々に、
どう説明すればいいんだろうなぁ。

もし、後に伝えたいのならば。
今から何か方法を考える必要はあるでしょう。
とても大変でしょうけれど…

2018年9月10日月曜日

百合ジャンルの歴史 個別作品紹介その2

本編はこちら
個別紹介その1はこちら

・魔法少女まどか☆マギカ(11)
脚本の名前で皆嫌な予感はしていましたが、
実際キャラデザで釣られた視聴者を地獄に叩き落とした、
残酷な運命に5人の少女(劇場版で+1)が立ち向かう物語。
切実な願いを悪意に踏みにじられながら、
あがき続ける少女達。
そして主人公が最後に出した答えは…

強引な掴みが最初に話題になりましたが、
物語の全貌が少しづつ見え始め、
オープニングが誰の言葉なのかわかった時の感覚は、
おそらく実際に視聴しないと分からないかと。

…それまで主人公は 「お前何の為に存在してるん」と思われてたりしていました。
最終話までには皆がごめんなさいしたけれど。

百合ジャンルの中でも
これほどむき出しの生死が牙を剥いてくる作品は珍しく、
それ故に少女同士の絆も印象的。
なお作中でカタストロフが起きる前に現実世界で大災害が起きてしまい
最終回の放映がしばし自粛されたりも。

このアニメの外伝にあたるスマホゲーム
『マギアレコード』も2019年のアニメ化が決定。
こちらは(百合ファンも含めて)比較的狭く深くで突き刺さっていたのですが、
さて、アニメ化でどうなるやら。

・ガールズ&パンツァー(13)(劇場版15)
廃校の危機を迎えた学校が
ある競技の強豪から転校してきた主人公を中心とし、
学校存続の為に全国大会制覇を目指す物語。

ただしその競技は実弾の飛び交う戦車軍団同士の戦闘。

これだけ見ると何が何だか分からないでしょうが、
濃いミリタリーネタを挟みつつも、
最初は自身の境遇に戸惑っていた主人公が多くの仲間達に支えられ、
自らの意志で競技に戻っていく実に王道な物語です。

大怪我とかは無いよ?
いや、本当に無いですって。

こちらも最終回放映までにすったもんだがありましたが無事完結。
更に劇場版も上映され、これが素晴らしい出来で大ブレイク。
特に女性ファンは劇場版から入った者も多い模様です。

…あるキャラが劇場版以降、急に注目され始め、
二次創作で色々と変な属性を付けられたり。
舞台となった大洗町に多数のファンが詰めかけ、
彼の地の魅力が再評価され、経済が大いに潤ったりと、
場外で色々な現象が起きた作品でもあります。

元々大洗町が観光地として魅力的だった事もあって、
アニメによる「聖地巡礼」が注目されるきっかけともなりました。

2018年現在、完結編が制作されている模様。
どうなるかな。

・THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS(11)(アニメ15)
通称デレマス。二次元アイドルブームの火付け役、
アイドルマスターシリーズを下敷きにしたスマホゲーム。
一つの世界観に無数の女性キャラを登場させて大当たりした、
おそらく二つ目のジャンルです。
(一つ目は東方で三つ目は艦これ)

プレイヤー=主人公のプロデューサーはほぼ男性と思われていますが、
百合ファンはそんなもの知った事かと言わんばかりに
アイドルであるキャラ同士の組み合わせを無数に見つけていきました。

元祖の人気もあって元々隠然たる勢力がありましたが、
火がついたのはアニメ以降。
(ハーフの彼女が普通に日本語喋った事があったのは黒歴史になったとか)
プレイヤーが想像もしていなかった組み合わせも数多く提示され、
2018年現在でも熱い人気を見せています。

私的にアイドル達に関われなくもないが、
まずそんな事しなさそうなアニメの男性Pの味付けも絶妙でした。
おかげで百合も×男性Pも捗ったのだそうで。

…一方、現在深刻な社会問題になりつつある
ゲームへの想像を絶する課金が発生し始めたのもこの作品。
あったなぁ、課金兵なんて言葉。
言葉は見なくなっても現象が更に過激化するなんて…

そして、2~30代の女性に声をかけ、
アイドルとして大成させる事が可能なゲームだったりもします。
おそらく多数のキャラを出すにあたって、ありとあらゆる特性を試す中で 
(プレイヤーにとって)年上のおねーさんへの需要を狙ったのでしょうが、
これも思わぬ方向に当たっています。

百合ジャンルの歴史においては、
百合の鉱脈は少女同士だけではなく、
大人の女性同士、あるいは大人と少女の間にも存在する事を
おそらく最初に示したジャンルでもあります。
(もちろんこれ以前にもそういう作品は多数あったでしょう)
ファーストインパクトこそ艦これに持っていかれましたが、
アニメ化をきっかけにその意義が大いに注目され、
今日も非常に活発なジャンルになっているのは先述の通り。
20代後半が明言されてるキャラ同士の組み合わせがジャンルになったのは
デレマスが最初の筈。

後続作品のシャイニーカラーズは、
2018年現在、まだコンテンツそのものが大当たりはしていない模様。
やはりアニメ化待ちになるのでしょうか。
…ただ、最年長が現状23歳(しかも一人。20代ですら二人だけ)なのは、
そのずっと上の女性を当ててるコンテンツの後継作として
ちょっと痛手になる予感も。

・ラブライブ!(10)(アニメ、ゲーム13)
元々は2010年の雑誌企画で、CD、漫画(11)ライブ(11)の成功を経て、
アニメ(13)で一気に爆発。
学校生活の中でアマチュアとしてアイドル活動を行う
「スクールアイドル」の概念をぶち上げたシリーズです。

初めは学校存続の為に始めたスクールアイドル活動を通じ、
少女達が集い、時にすれ違いつつも、
最終的に九人全員が主人公として結束していく物語で、
社会現象になるくらい多くの「ラブライバー」を生み出しました。

製作者の予想を遥かに超えてヒットした作品でもあり、
その中には大量の女性ファン、更に百合ファンも含まれています。
(間違いなくこんなに女性に当たるとは思ってなかった筈)
男性と女性で人気の組み合わせが大きく異なる事、
百合二次創作している人数はおそらく女性の方が多いのも前述の通り。
この作品はネタバレの意味が殆ど無いので名前を出すと、
にこまきとのぞえりは女性人気が半端なく強いですし、
二次創作してる方の多くも女性です。
この組み合わせが人気な理由が分かると、
女性に当たる百合の何たるかも分かるかもしれません。
ちなみに私はまだ学んでいる段階です。

特に女性にとっては東方に続く第二の巨大百合ジャンルです。
男性はμ's、ないしAquorsをアイドルとして追いかけもしますが、
女性は比較的中に入りやすい(無論、外から見ている人もいる)分、
そこで描写されるときめきは女性により強く響くのかも。

…男性目線からすると、
明白な主人公がいるわけではないので、
一体化の方向で行くとちょっと難しいんですよね。
出来ない訳ではないんですが。

ちなみに無印の組み合わせ一番人気は三年生と一年生、
具体的には先述のにこまきなのですが、
そこには先輩後輩の文脈は殆ど無いです。
これはマリみてにおける超然とした存在への「憧れ」を起点とし、
様々な感情へ分化した百合において実は非常に特異かつ画期的だったりも。

いや「憧れ」が絡んでないわけではないのですが、
マリみてにおける高嶺の花への憧れではなくて、
もっとこう、何というか…
年が離れた級友なので距離そのものはずっと近いんですが、
決定的に自分とは違うものをお互いに持っていると言えばいいのか。

要は15年経って、百合へのときめきが
すごくすごく多様化したという話でございます。

・アイカツ!(12)
就学前の女の子をターゲットにし、
プリキュアのシリーズ化に成功したバンダイなどが
その少し上の年代を狙った企画。
トップスターを狙う少女達がその養成校に入って
妙な事もしつつ明るく楽しく頑張っていく物語です。

やはり少女同士の絆がアニメなどでガッツリ描写され、
メインターゲットである小学生女子のみならず、
中学、高校…どころか青年層の女性にも大ヒット。

そしてプリキュア同様、
このアイカツやプリパラが撒いた種は、
他の百合ジャンルへと入っていくきっかけともなっています。

というか、子供にとっては
ラブライブがアイカツの続編に見えるってのは、
言われてみれば分かるけど、意外でした…

・けものフレンズ(15)(アニメ17)
ヒトっぽくなった動物「フレンズ」達の集う、
でっかい動物園ジャパリパークで
よく分からない怪物「セルリアン」に脅かされつつ
フレンズ達と共にドッタンバッタン大騒ぎする、
一見すれば呑気で優しい世界での物語。

元はゲームが中心の企画でした。
アニメ化に際して色々世界観が書き足されています。

このジャパリパークを舞台に、
一切の記憶がない主人公があるフレンズと二人でパークを巡り、
総じてお人好しでちょっと抜けてる様々なフレンズに出会い、
彼らの問題を解決しつつ、自分が何者かを見つけて…

そこまで考えなくても 「すっごーい!」「たーのしー!」アニメです。

1話で主人公同様、視聴者も何が何だかな状況に放り込まれますが
2話でおや、となり
3話ではすっかり引きずり込まれてしまう
極めて優れた脚本と構成に、
一歩間違えるとチープになりかねない絵面が上手く嵌った
色々な意味で奇跡みたいな作品です。
見るなら必ず最後までどうぞ。
物語ってのはやっぱ脚本と構成なのねってのが本当によく分かります。

で、この「フレンズ」 一人の例外もなく女の子。
別名アニマルガールですし。
更に「けものはいても、のけものはいない」という事か、
大体の「フレンズ」には友達や、
構ってくれる別種の「フレンズ」がいるので、
あなたはレズね!(アミメキリン並の推理) という視聴者も続出しました。

間違いなく2017年アニメの最高傑作で、
日本各地の動物園で入場者が激増したりと、
ちょっとした社会現象…
どころか、ある1頭のペンギンが世界中に愛されるなんて事態さえ起きました。
まさか本当にサンドスターが降ってくるなんて誰が想像できたでしょう。

なのに、あんな事になるなんて…
どうして…

・ポプテピピック(14、アニメ17末)
クソマンガ、かつクソアニメ。
で終わらせてしまうのも何なので。

理不尽と暴力とパロディをミキサーにかけて、
女子中学二年生二人を生み出した4コマ漫画です。
原作の時点でなんとなく世に知られ、しかし狭く深く突き刺さっていましたが、
キングレコードが金を注ぎ込み、
神風動画やAC部などが全力の方向音痴に突っ走ったアニメで、
2018年明けの話題を完全にかっさらいました。
アニメが終わってすぐにファンの多くは見えなくなったのですが。

元々は15分アニメ
→30分に
→じゃあ声優を変えて同じアニメを二回放映しよう
→せっかくだから前半女性声優、男性声優で行こう
→じゃあ大御所も呼ぼうぜ
→そこまでやるんだったらアニメも前後で変えてみよう
→オッケーだったら設定の根幹に組み込んでやる

という流れが本当にあったのかは分かりませんが、
ともかく結果的に凄まじい実験作になりました。
女子中学生二人に郷田ほづみと銀河万丈をキャスティングなんて発想は
一見すると狂気の沙汰ですが、意外と計算づくでもあった模様。

一方で百合ジャンルとして原作とアニメを見つめると
根本的には女子中学生二人が世界に中指を突き立てる話で、
原作者も間違いなく分かっていて百合に通じるときめきを組み込んでいます。

ポプ子はピピ美がいない世界では生きていけない
ピピ美はポプ子がいない世界を生かしておく理由がない
という、一心同体のようでいて絶妙にズレのある二人の間に、
原作の時点で百合を見出していた方々は狂人扱いされていたのですが、
実は彼らは全面的に正しかったという。

…そしてアニメ化の結果、
最終回でこのズレに別の意味が入ってしまって
暗闇の更に奥に引きずり込まれた方々もいました。

ポプ子じゃなくてピピ美だったのは
間違いなく狙いがあった筈です。

その3はこちら。すべてVtuberの話

2018年9月8日土曜日

百合ジャンルの歴史 個別作品紹介その1

本編はこちらから

本当は紹介しないといけないのだけれど
その能力がないのでどうにもならなかった、という作品もいくつかあります。

実際の所「百合ジャンルの歴史」の関連記事として書いていますが
触ってみるきっかけだと思って気楽に読んで頂ければ。
では、やってみます。

・東方永夜抄(04)
Windows版第一作の『東方紅魔郷』が話題となり、
第二作『東方妖々夢』で既に大きなジャンルとなっていた東方シリーズの人気を
不動のものとしたのがこの『東方永夜抄』。

主人公が二人組×4(全員少女。少女(迫真))、
また敵役も魅力的な面子が揃って、
それまでの妄想勢力図を激変させた作品でもあります。
永夜抄以前はマリアリより霊アリの方が人気だった、なんて話が
当時からよく聞こえてきた位に。

この辺りから原作者公認の二次創作も勢いづき
ギャグ、シリアス、割合としては多くない18禁、音楽アレンジ、ゲーム
そして百合作品が堰を切ったように現れて、
この流れは2018年現在においてむしろ強くなりつつあります。
原作が10年以上定期的に投下され続け、
しかも二次創作公認のジャンルは現在でも東方くらいですし、
当然といえば当然なのかも。

何がきっかけで東方シリーズがここまで流行ったかは説明できないのですが、
「異世界」に「無数の少女(少女だって言ってるだろ!)」がいて、
好きな組み合わせで、好きなだけ公認で二次創作できて、
しかも男性を間に入れる必要が殆ど無い(やろうとすればできます)、
最初の巨大ジャンルだったのは間違いないです。

無数の女の子を好き勝手に二次創作できるジャンルは
それまでも存在していたのですが、
そこにほぼ一切男性が入らないのはおそらく東方が初めてだったはず。

なお永夜抄で最大の風評被害を受けたと思われるのが、
かのアリス・マーガトロイド嬢
(見た目も中身も少女ですが、設定によれば百歳は越えているらしい)。

永夜抄以降、ありとあらゆる種類の二次創作において、
出るだけでレズみたいな扱いを受ける事になり、
百合の供給と再生産、およびその受容に多大な役割を果たす事になります。

…〇〇先輩のようだ、と書くと袋叩きにされそう。
実は彼女の方がずっと先輩だったりするのも何とも。

もう一つ言及すべきなのが、東方と音楽の極めて強い結びつき。
原作者自身が音楽を聞いてほしいのでゲームを作っていると公言していますが
その質はずば抜けて高く、無数のアレンジが生まれています。

06年にはネタでないボーカル曲も作られ始め、
以降は明らかに百合を意識した曲も数多く現れています。
百合ジャンルの二次創作には様々な形態がありますが、
音楽や歌が一大勢力なのは東方とボーカロイド位です。

ここでは永夜抄を紹介しましたが、
外伝作品を含めても、何処からプレーしても問題なく世界観に入れます。
ただし『東方紺珠伝』はぶっちぎりで難しいらしいとか。

・ふたりはプリキュア(04)
元々女の子に人気のあった変身もの
×少年漫画のような友情、努力、戦い、そして勝利
=空前絶後の大爆発!!!

製作者の予想を遥かに超えて、
仮面ライダーやウルトラマンらと並ぶヒーローの一角となったシリーズです。
今となっては信じられないかも知れませんが、
シリーズ化するつもりは無かったんだそうで。

最初は二人組、
後のシリーズでは三人、五人、六人と人数が増えていきますが
少女達が戦いの中で色々ありつつ友情を育んでいくのは変わらず、
主目標の女の子達やそのご両親だけでなく、
老若男女に戦友の尊さを教えてくれるシリーズです。

それ以前にもスポ根もの等、
苦難の中で築かれる女性同士の友情を描く作品はありましたが、
命を懸けた「戦い」から生まれる絆を描いた画期として
やはりこのプリキュアシリーズは外せません。

…あまりにも有名な
「女の子だって暴れたい!」というキャッチフレーズは
実はドラゴンボールとかキン肉マンといった分野を任されていたスタッフが
いきなり女児向けアニメの現場に放り出されたので、
自分達のやり方でやってしまおうという開き直りから生まれたのだとか。

これがきっかけで、
日本の女児にとどまらず、世界のありとあらゆる女性が
「女の子だって暴れたい!」と思っていいんだと気付いたんだから
アニメってのはすごいなぁと。

・魔法少女リリカルなのは(04)
元々は「とらいあんぐるハート3」というゲームのスピンオフで、
これを原作として(別物の)深夜アニメを作ってみたら
製作者の予想を超える大ヒットに。
こちらも2018年現在に至るまでシリーズが続いています。

主人公(一応本当に9歳)とライバル(9歳)が
超科学じみた激しい魔法アクションの中で少しづつ距離を詰め、
最後に「なまえをよんで」終わる、
激突から生まれる友情を描いた物語です。

なお水樹奈々女史の歌手キャリアの起点でもあったり。
なのはシリーズのOPはいずれも名曲なので良かったらどうぞ。
特に二作目の「Eternal Blaze」は今でも彼女の大人気ナンバーです。

こちらは少女同士が切実な願いの為に衝突し、
その中で絆を生み出していく物語の画期となりました。
まどか☆マギカとかはおそらくこのシリーズがあってこその企画だったでしょう。

で、脚本の方はこの物語を「友情」を軸として描いていたらしいのですが、
視聴者はそこに強烈な「百合」を感じていました。
この辺、まだ「百合」とは何ぞやという問いにブレがあった事が伺えます。

…もう半分ネタバレしてしまいましたが
無印はできればこれ以上の事前情報無しで視聴してみてほしいです。
一クール作品屈指の名作なので。

あ、それと無機物萌えの方も是非。
会話可能な格好いい魔法の杖が大暴れします。

・舞-hime(04)
「サンライズ史上初の萌えアニメ」というキャッチコピーをぶち上げ
2クールかけて物語の隅々に張り巡らされた伏線が
事実上の最終話、25話における少女同士の〇〇に収束して、
視聴者の度肝を抜いた(そして26話で皆がひっくり返った)作品

…今となっては、どう考えても
25話を描きたかったから作ったアニメとしか思えないんですよね。
あの子もあの子もあやつもダミーだったんかいと。

ネタバレになってしまうので細かくは語れないのですが、
ガチレズなヤンデレ少女のとんでもなく強い想いと
ある事情で自分に向き合えなかった少女の決意が最後に交錯する
非常に鮮烈な物語でした。

後者は「恋愛」としては…と口にはしますが、
視聴者の解釈は様々。
劇中最強の想いだったのは論を俟たないでしょうが。

また一番目立ったのはこの二人でしたが、
例によって視聴者は他の少女同士の色々な繋がり、
例えば友情、激突などに、色々な組み合わせで「百合」を見出していました。
後者の少女に関しては他にも人気の組み合わせがあったり。

あ、それともう一人ガチの人もいます。

…実の所、この25話以上に美しい〇〇を
私見た事ないんですよね。
伏線の見事さを含めて一度誰かと思いっきり語ってみたいなぁ。

・ひだまりスケッチ(04)
美術高校に通う為に下宿生活を始める主人公の少女が
その寮友と共に送る日々を描いた4コマ漫画。
彼女達にはそれぞれの夢があり、その為の努力も描写されますが
中心となるのは何という事もない日々の生活です。

掲載誌であるまんがタイムきららの(2018年でも)看板作であり、
蒼樹うめてんてーの代表作。
原作の時点で人気でしたが、独特な演出に定評があるシャフトがアニメ化、
更に大きな支持を集めました。
なおうめてんてー×シャフトですが、3話で大変な事になったりはしません。

彼女達は一応違う部屋で下宿しているのですがとても仲がよく、
生活の大部分を共有していて、
実質一つ屋根の下で生活しているようなもので

…うん、普通にとても仲がいいだけではあります。
原作では、あくまで。

・らき☆すた(04)(アニメ07)
やたらハイスペックで重度の男性向け作品ヲタ、
そしてちんりくりんというエッジの効いた主人公の少女と、
その友達の少女達による日常系4コマ。
ヲタネタ、日常あるあるネタなどが噛み合っているのかいないのか
不思議な空気で展開される作品です。

こちらは京都アニメーションによるアニメ化でブレイク。
オープニングでいきなり踊りだしてえっ、となった原作ファンが
本編に入ったら大体漫画のノリで一安心、なんて事も。
主人公の中の人が前作(涼宮ハルヒの憂鬱)から上手く切り替えたのも
当時はちょっとした話題になったり。

原作は高校一年から卒業、その後まで描いて継続中。
アニメは二年生の途中まで描いています。
主人公が超マイペースな一方、ある理由から根が甘えん坊で、
積極的かつ少々不器用に友達に絡んでいくのが絶妙に妄想を喚起しました。
それと主人公以外にも仲良しさんは多かったり。

大ブレイクした涼宮ハルヒの憂鬱の後番組で制作会社も一緒という事で、
継続してみた視聴者、特に男性を百合妄想に引きずり込んだ作品でもあります。
一方、主人公のキャラ付けで伺えるように、
おそらく男性不在の男性向け作品として制作されたのですが、
しかし意外と…?

とはいえ後のけいおん! のように、
深夜の世界を飛び越えて同年代の少女に大当たり、とはいきませんでした。
日常を描くアニメという点では共通しているらき☆すたとけいおん! の違いは
一体何処にあるのでしょうか?
色々と考察の余地はありそうですが、ここでは論点を示すだけにしておきます。
真面目に考えるとこれはこれで面白そうなんですけどね。

・けいおん!(07)(アニメ09)
ある高校の軽音楽部に四人+後輩一人の女子生徒が集まり、
学園祭や新入生歓迎会でのライブを目指していく…
と書くとスポ根ものに思えるかもしれませんが、
実は日々のゆるい集まりを描いた日常系に近い作品。
京都アニメーションによるアニメ化で一気にブレイクしました。

主人公は設定されていますが 
「放課後ティータイム」と名付けられたバンドが話の中心。
顧問の先生や主人公の妹とかも登場しますが、人間関係はほぼ女性で完結します。
服飾、仕草、視線、空気…など、監督を始めとする女性スタッフの
徹底的な拘りが実って、ヲタクだけでなく世間の女子高生に大当たりしました。

無論アニメで現実ではないのだけれど
後一歩手を伸ばせば届くかもしれない、そんな等身大の青春を描ききって、
視聴者に強い印象を残しました。
少女中心の「萌えアニメ」から更に一歩先に進んだ、
おそらく最初のアニメです。

そしてこの少女達がある目的の為に集まって、
色々ありながらも結束していくという物語は、
「アイドル」という軸も合わさりつつラブライブ等に繋がっていきます。
実際直接流れた人もいるのですが、人数はどんなものかなぁ。

実の所この作品で、
青春に異性いなくてもいいんじゃね(いてもいいけど)、と思った方もいる筈。
恋愛するより楽しい時間があって、
そんな時間を分かち合える仲間がいるのって
何というか、本当にありがたくて尊いですよね。
…そんな感情が百合萌えとして解釈されるのも、ごくごく自然な流れでありました。

余談ですが、この京都アニメーションの徹底的なこだわりで
異性間を描写したのが『氷菓』
BLを狙ったのが『Free!』
GLを狙ったのが『響け、ユーフォニアム!』および外伝『リズと青い鳥』でした。
興味があったらこれらの作品を見てみるのも。

2018年9月4日火曜日

百合ジャンルの歴史 その3

その2はこちら

第九章 海の向こうから

アナ雪が出てきた文脈を探れる方って何処かにいないかなぁ
英文記事でもいいのであれば是非ご紹介下さい

一方この頃、米国のあるクリエイター達が作った映像が
日本を含めて世界でちょっとした話題になります。
最初は少女が独特な武器を振り回すバトルアクションとして、
それからは少女同士の密な絆を描いた物語として、特に米国で大人気となる作品、
・RWBY(13)
です。 この頃には海外でも百合のときめきが理解されており、
日本に輸入される頃には既に莫大な数の組み合わせが生み出されていました。
多分、海外発の百合ジャンルとしては最初のものだと思われます1
日本でどれだけの人気になるかはまだ未知数ですが。

一方その少し後に、あのディズニーが男女の愛だけでなく、
姉妹の情愛に真実の愛がある、という物語を書き上げ
世界がひっくり返ることになります。これが
・アナと雪の女王(14)
RWBYは製作者が日本のアニメや漫画からの影響を公言していますが、
アナ雪はアメリカ独自の文脈で生まれた模様です。
そこは日本が15年前に通過した場所! なんて言えもしますが、
何分ディズニーなのでその影響力は世界的に絶大なものとなりました。
一方ディズニーなので薄い本は作りにくかったのですが、
イラストなどは多く投稿されています。

ちなみに百合妄想は日本人に限った話ではないらしく、
それどころか二次元と三次元の区別が付かない方々は
同性愛を助長するから上映するな、とか言い出したりもしているようです。
近親憎悪って怖いですね。

最後に それから今に至って

…17年末までは今までの文脈で理解できる作品が当たってたんですが
直後にポプテピピックとVtuberが来てしまって

15年、人気が出始めるのは少し後ですが、
月姫やFateシリーズで百合人気にも貢献してきたtype-moonが
・Fate Grandorder
を開始します。それまで百合妄想を喚起した作品は
進撃の巨人を除けば登場人物の殆どが女性だったのですが、
この作品の男女比は然程極端ではありません。
現状、進撃の巨人同様にBLやヘテロを愛好していた女性を百合に引きずり込み、
現在もっとも勢いのある百合ジャンルとなっています。
ただ、確実に来るであろうガチャ規制によるブレーキがどう転ぶか。

…とか言ってたら、pixivではジャンル全体の人気は17→18でほぼ一緒なのに
百合二次創作は1/2になるという事態が発生してしまいました。
(ちなみに薔薇はほぼトントンです)
百合が熱くなるような公式供給がそんなになかったからなぁ…

更に大人気作を後継する
・ラブライブ!サンシャイン!!(16)や、
誰もが予想しない大ヒットとなった
・けものフレンズ(17)といった供給も入ったのですが。
今もなお、作品自体が大当たりし、
そこから百合妄想が発生するという流れは変わっていません。 
ゆるゆり、ポプテピピックのような作品も当たりつつはありますが、
最初から百合需要を主眼に据えて、
かつ巨大ジャンルになったという作品はまだ出てきていないと言える状態です。

これは薔薇同様、百合需要は現実の同性愛同様にどうしても少数派になる、
という事でもあります。今は無視はできない位の存在感は付きましたし、
これから薔薇並みの巨大な需要が発生するかもしれませんが。

…しかし最近、物語に男性が登場するのが苦痛という過激派の男性も現れ始めたとか。
かつて過激派の女性が辿った道を半世紀遅れで辿る男性が現れている。
ただそこには傍観者に徹したいのと、
自分も可愛い女の子になりたいという二つの流れがあるようです。
事ここに至って、百合による衝撃で男性の性、
及びその自認が揺らぎつつあるのかもしれません。
女性のそれはもっと昔に揺らいでいたのですけどね。

もしかすると以後、もっと巨大な何かが来るのかもしれません。
絶対的な筆力や画力、あるいは構成力で、人のあり方を揺さぶりうる程の。
今はまだ百合需要は少数派です。
しかし真正面から百合を狙い、
世界を作り変えるような作品が現れる可能性も絶無ではないでしょう。

その道が厳しいのは私にも分かります。
しかし、これから何が起きるかは私にはまだ分かりません。

…と、まとめていたら。
・ポプテピピック(原作14。アニメ17-18)
が襲来。とびっきりのクソアニメとして話題になったのですが、
実は原作からして百合へと繋がる何かが色々と組み込まれていて、
更にアニメでも強烈なフックが足され、まんまと多くの百合好き(特に女性)を直撃2
原作は続行中、アニメ二期もあるでしょう。
狙って当てた作品の二つ目になるかも。

続けて17年末から人気が沸騰してきた
・Vtuber
特ににじさんじ(18)がジャンルとなりつつあります。
まだちょっと大ジャンルとまではいかないですし、
おそらく何処かで卒業を描かないといけないので時間制限もあるのですが、
全く新しい形としての供給は果たして何処まで飛べるでしょうか。

さらにまどか☆マギカの外伝となる
・マギアレコード(17)
が18年8月末にアニメ化発表。
割とディープな百合好きの支持を集めている作品です。
どれ位原作の要素を組み込むかはまだ不透明ですが、
もしかすると百合狙いかつ大ヒットになる最初の一撃になる、かもしれません。

そしてもう一つ
・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い(11、アニメ13)
が途中から方向転換、
癖のある女友達と一緒にいようとする中で主人公が成長していく話となり、
18年現在、強烈に百合妄想を引き出す作品となってきました。
おそらく現在の路線でアニメ二期が来ます。こちらも大爆発するかも。

と、色々と将来への伏線が張られてきました。
この後どうなるかなー、何かあったら書き足したいものです。

おまけ 女性に百合が当たった理由を、分からないなりに考えてみる

第一節 輝きは誰もが持っていた、気付いてなかっただけで
 
誰だって好きな事をしたい
そして出来れば、相棒がほしい

身も蓋もない話を一つすれば、プリキュア、けいおんの辺りで
萌えアニメの服装等がダサくなくなったので女性にも人気が出た、
という事実は多分あります。
けいおんをアニメ化した京都アニメーションもその辺りを明言しています。

勿論、それは決定的な要因ではないでしょう。
先に結論から述べてしまえば、アニメや漫画、ゲーム等において描かれる
女性の「格好良さ」が多様化、具体化して、
より多くの人々に響くようになったんじゃないか、という文脈を建てていきます。

さてここでは「格好良い」女性を、
要は自らの道を行き、世界を作り変える女性として定義します。

そんな女性達は昔から今に至るまで人気を集めてきました。
もっとざっくり書けば自由で強い、という事ですが、
この二つの単語を使うと多分に別の意味が入るので、
敢えて「格好良い」という言葉を当てはめてみました。 

ただ、かつては
・女傑(トルメキアの殿下とか)
・男装の麗人(天王星の人とか)
・高嶺の花(赤薔薇さまとか)
と、際立って有能で頼れたり、超然とした憧れの存在だったり、
あるいは単純に力が強かったりと、
人気を集めていた「格好良い」女性は
特徴的で普通ではない人が多かったように思えます。 

しかしある作品において、
(一応宇宙を捻じ曲げる力を無意識に備えているのだけど)
使命とか役割とかとも一切関係なく、自分がやりたい事を全力でやるだけの、
普通の女の子が、世間の、勿論女の子達も含めた人気を急激に集めます。
・涼宮ハルヒの憂鬱(アニメ06)
です。 プリキュアや東方においても主人公の女の子達は割と普通だったのですが、
それなり以上に強いし何らかの使命を背負う存在でした。
そこから強さとか使命を省いた限りなく等身大の女の子も
「格好良い」女性として描けるし、それで大ヒットを狙える事がここで証明された、
と私は見ています。

…語り部となる少年を少女に置き換えたらという二次創作が、
当時爆発的な勢いで流行っています。
では、最初から全て少女同士の話として描かれていたとしたら?

この物語が大当たりするにおいて、二人が男女である必要があったのか、
正直私には判断しかねます。
一つ書けるのは、この物語で女性の支持を集めたのは
語り部の少年と超能力者の少年(?)のBLだけではなかった、という事。

主人公の(例の力を除けば)少々人付き合いが苦手な普通の少女と、
語り部の少年の何とも言えないもどかしい繋がりにも、
根強い女性の人気があります。

この二人の場合、少年少女の最終的な関係が何処に落ち着くのか、
腐れ縁、親友以上、それとも…。
その辺がとても微妙で絶妙なのが女性の支持を集めた理由なので、
少女同士だとどうなったか。
大当たりしなかったかもしれないし、
もしかするとセーラームーンS以上の大爆発が起きたのかもしれません。

…ともあれ、その3年後。
本当に普通の女の子が、やはり普通の女の子達と、異性を挟まず、
自分のペースで、やりたい事をやるアニメが大当たりします。それが
・けいおん!(アニメ09)です。
特殊な空間ではなく普通の学校で、世界に関わる使命や資質とかとも全く無縁で、
「めざせ武道館!!」とは言うものの、それ以上に皆で遊びたい。
他にも友人はいるけど、やはり五人がいい。
そして一番大切なのは、
誰の為でもなく自分達のやりたいように三年間を駆け抜けた事。
言明しているのを見た事がないので
(誰かやってたらごめんなさい)はっきり書くと、

放課後ティータイムの五人は「格好良い」のです。
特に女の子達にとっては、すごく。

誰にも阿らず、自分のやりたいようにやる。
だらけるにしても全力でやるにしても。 
「格好良さ」は、結局そこに尽きるのではないでしょうか。

以後ここを踏まえる事で、ありとあらゆる「格好良さ」を描けるようになりました。
これを私は女性の「格好良さ」の多様化、具体化と定義しています。
更には百合、というか女性二人(ないしそれ以上)だと、
「格好良さ」を様々な角度から描けます。 

二人の「格好良い」女性
「格好良い」女性に惹かれる女性
「格好良く」なろうとして背伸びしたり
二人で「格好良さ」を見つけたり
あるいは「格好良さ」を折ろうと企てたり…

加えてこの軸さえ抑えておけば無数の味付けができます。
見た目、性格、立ち位置、目標、願い、コンプレックス等々…
この辺りは何を試してみても当たりうるでしょう。
しかもキャラ同士で組み合わせ出来る。

実際、デレマス(11)(アニメ15)では
30kgのニート少女×186cm超の長身少女とか、
少々不器用な26歳のお姉さん×呑兵衛の25歳児など、
特徴的な組み合わせも人気だったりします。

また、この少し後に火が付く二次元アイドルブームも
おそらくこの「格好良さ」と無縁ではない、
というか自分の意志でアイドルを目指し、世界を変えていく姿は、
まさに自由で強くて「格好良い」女性そのものです。

ラブライブ!は自分たちのやり方で廃校という運命を変えていく話で、
サンシャイン!は変えられなかった運命の中で輝きを見つける話でした。

ポプテピピックも根本はここで、
要は女子中学生が二人で世界に中指を突き立てる話です。
自分たちが生きる為に。

逆に「格好良く」はなくても、そうなれればと願う人物が支持を集めたりも。
Fate/Grand orderのラヴィニア・ウェイトリーという少女は、
現状から抜け出そうとする望みはあるものの、それを実行できない、
有り体に言ってしまえば卑屈で根暗な性格で、
状況を変える事が出来たのは最後の最後だったのですが、
それ以前から女性の支持も確実に集めていました。
それまでは彼女自身も、親友の少女も 「格好良く」はなかったのにも関わらず。

…本人は自身の姿を醜いと思っていて(実際はそんな事無いよ!)
世間には鼻つまみ者扱いされてる極度に内気な少女が、
登場した時点で妙な支持を男女から集めていたんですよね。
供給が途絶えてしまっている今ではちょっと影が薄くなってますが…
うーん。実に興味深い。

と、こんな風に。
かつて特筆すべき個性や資質と不可分だった「格好良さ」は、
一旦ごく普通の日常を過ごす普通の女の子達に還元され、
それから様々な方向に広がっていきました。
そして「格好良さ」を軸とする女性にとっての百合も、
平行して多様化、具体化している…というのが私の理解です。

第二節 姫と女騎士

あるいは人付き合いが苦手な女性と
そんな彼女を引っ張っていく女性

とはいえ古来のお約束である、
囚われの女性を助ける騎士という物語3もまた
今日において強い人気を見せています。

ただ誤解してはいけないのは、この囚われの女性は
助けられるだけで何もしないという訳では決して無く、
騎士と共に困難にぶつかり、立ち向かって、
最終的には「格好良く」世界を変えるのが今日の流行りであるという事です4
で、これまでは男性が入る事が多かった騎士の位置に、
女性が入る物語が大ヒットしたのが2010年代でした。

進撃の巨人がまさにこの典型で、
ある事情で心を閉ざした少女と彼女に心臓を捧げた女性の絆が、
少女を支えて宿命に立ち向かう力となり、世界を作り変えた…という物語は、
(多分に男性キャラを目当てに読み始めた方々も含めて5
女性ファンの強烈な支持を集めました。

魔法少女まどか☆マギカも複雑なひねりを入れつつも
この王道をなぞって女性に大当たりしています6
悪意に翻弄されて壊れていく少女を救う為に、
過酷な過去を背負った少女が単身で運命に立ち向かったり。
かつて自身を救った少女の為に、
人格が擦り切れるまで戦い抜いた少女であるとか。
彼女たちも多くの女性ファンを引き寄せています。

しかしまどマギが複雑なのは
どっちが囚われの女性で騎士なのかが激しく入れ替わる事。
そしてそれ故に、視聴者の女性の視点が何処にあるのか、
囚われの女性か、騎士か、第三者なのかも何とも言えなかったりします。
それぞれにファンが居るのは確かなのですが、
一番多いのが何処なのかまでは私には分かりません。

艦これにも実はこの類型があったり。
最初に注目を集めたのは世界水準を軽く越えてる軽巡姉妹だったのですが7
火を付けたのは一航戦の二人でした。
加賀さんは男女から割と人付き合いが苦手な人として扱われていた一方、
赤城さんの扱いは男女でかなり変わっており、
男性はどちらかというとネタキャラ扱いしていましたが、
女性は状況に動じない頼れる女性として受け取っていたように思えます。

何が言いたいかというと、
他人と壁を作りがちな(囚われの女性)加賀さんを
無二の盟友で天衣無縫な(騎士)赤城さんが引っ張って、
ミッドウェーの悪夢を乗り越えるという筋書きが、
特に女性において見出され、また人気を集めていたのではないかと8

…そういえばユミクリ、杏さや、赤賀だったなぁと。
百合の場合は左右にあんまり意味はないのですが、
成り立ちを考えるとこの並びになるのもちょっと分かります。

第三節 BL経由の百合

少年漫画からBLに入る方々は無数にいるけれど
登場人物を全員女性にしたらそのままGLに入ってきたでござるの巻

一方で供給側からの話をすると、
主人公を含めて重要人物のほとんどが女性で男性の影が限りなく薄い、
そんな男性向け作品も00年前後から増えてきたのですが。

これらの作品はあくまで男性を狙っていたわけで、
展開は男性向けする少年漫画のノリで、
少女達の中身も少年っぽくなる傾向がありました。
東方シリーズが最初に男性に当たったのはこれも原因…かも?
ちょっと東方に関しては中身が少年だったかどうかが何とも言えませんが。

で、これらの作品から百合に入った男性が
00年代の百合人気を盛り上げたのでは、という考察を第四章で書いたのですが。

少年っぽい少女達が
少年漫画みたいな展開をする作品には
登場人物の性別を気にしなければBLに通じるときめきがあるのでは…?
というひらめきが、10年代頃には女性の間にも認識され始めます。

艦隊これくしょんとか無印ラブライブ(サンシャインも?)とかが
女性にも大当たりしたのはおそらくこの文脈とも無関係ではないです。
そしてこの、少年っぽい少女達が少年漫画っぽい展開をする作品の典型として
女性にもスマッシュヒットしたのがガールズアンドパンツァー劇場版。
TVアニメの時点では男性の支持が多かったのですが、
劇場版の出来が素晴らしかった事もあって一気に女性人気が沸騰。
pixivでも女性によるものと思われるガルパン二次創作が急増し、
その中には百合作品も無数に含まれていました。

消しゴムと鉛筆があればBLが成立するというジョークが00年代には生まれていますが、
関係性が重要ならキャラは女性でもいいんじゃないのか、
という事に気が付くのにはそこから10年かかった形になります。
性別の壁は有機物と無機物の壁より遥かに高かったという、
なんというか不思議な現象が確認されたのが10年代。
これは女性に限った話じゃないんですけどね、実の所。

ともあれ。
まどマギ、進撃、ラブライブ、ガルパン劇場版などの作品をきっかけに
10年代、特に2013年以降は女性の百合ファンが急増しています。
ただ、この新しく入ってきた女性ファンはそれまでの女性ファンとは
微妙に毛色が違いもするようで。
10年代に入って百合二次創作はBL二次創作っぽくなった…という声もあり、
私もちょっとそれに同意しています9
しかしそれは数が増えた、という話であって
それ以前からあった百合二次創作の流れが消えた訳でもないのですが。

第四節 では二次創作でどう描かれるのか

専門用語を使って身も蓋もない結論を先に書くと
バリタチ同士の百合二次創作ってそんなにないよね

…で、ここまでが百合妄想の起点となる原作の話です。
二次創作の作者が女性の場合、
登場人物はかなり慎重に距離を測っていく事が多く、
またその綱引きが見所ともなります。

面白いのは、原作ではあけすけであっても、
不思議と百合二次創作においては戸惑いや脆さが強調される事が時々あるという点。
女性を惹き付ける原作の「格好良さ」は、
二次創作において不安や渇望、
相手の存在によって初めて埋まる(もしくは誤魔化しうる)欠落に裏打ちされ、
真に完全なものになる、という事なのでしょうか?

これは奥ゆかしさとは違う気はします。
しかしずっとこの傾向が続くのか否か。
10年も経ってしまえば原作に何を求めるか、
そして二次創作がどのように展開されるかは、 
まるで変わっているのではないか、という気もします。
そして未来がどの方向に進んでいくかは私にはさっぱり分からないので、
一旦ここで考察を打ち切る事とします。

おわりに

何分百合の歴史に関しては先行研究が存在しなかったので、
こんな風に独断と偏見で自分なりにまとめる事しかできなかったのが
辛い所ではあります。
しかし「何いってんだ此奴」というあなたの感情もまた、
そこから自身の意見をまとめる、
更には妥当性のある論考を生み出すきっかけとなるのも事実なので、
こうして蛮勇を奮ってみた次第です。

…すいません嘘つきました!
この薄い本に至るもやっとした考えをまとめて、
実際に形にするのが最高に楽しかったからやったんです!
とはいえこの薄い本が読者の方々に何かを引き起こすとしたら
とても嬉しいのもまた事実。

機会があったら皆様と色々語ってみたいです。
いつか、また、何処かで!

あ、個別作品紹介もしてます。

2018年8月31日金曜日

百合ジャンルの歴史 その2

こちらがその1

第五章 特異点2004

この年に集中したのは本当に偶然だったのだろうけど

そして2004年。
製作者ですら予想していなかった多くの大ヒット作から、百合の莫大な供給が入ります。
pixiv百科事典では「百合が本格的なジャンルになるのは平成10年代後半」
とされて いますが、この2004年こそが平成16年、10年代後半の始まりとなります。

私はこの年を「特異点2004」と名付ける事にしました。

少女(少女!)二人組、四組の主人公に
非常に特徴的な敵役(全員少女。何人かは永遠に生きてるけど少女)が揃って、
東方シリーズの人気を決定的にした
・東方永夜抄(04)

魔法少女と少年漫画の戦いを組み合わせた、少女達が戦友として絆を深めていく物語
プリキュアシリーズの元祖
・ふたりはプリキュア(04)
同じく魔法少女と砲撃と近接戦闘を組み合わせ、戦いの中で二人の少女が交錯する
・魔法少女リリカルなのは(04)

美術高校に通う為に「ひだまり荘」に下宿している、
六人の少女達の賑やかな日々を4コマ漫画にした日常系作品の代表格
・ひだまりスケッチ(04)
超マイペースなオタ少女泉こなたと、その友達を中心とする空気系4コマ
 ・らき☆すた(04)(アニメ07)

「サンライズ初の萌えアニメ」というキャッチコピーを掲げてたのに、
蓋を開けたら (多分)アニメ史上元祖の公式クレイジーサイコレズ藤乃静留さんと、
自分に向き合えなかった玖我なつきの〇〇に殆どの伏線が収束した1
 (ちなみにこの二人は主人公ではない)
・舞-hime(04)

更にジャンルとまではいきませんでしたが、
和風伝奇の世界観において吸血で繋がっていく少女同士の絆を描いた
「ソフトな百合」ゲームの金字塔
・アカイイト(04) 
主人公の少女来栖川姫子が
それぞれ仲の浅くない少年大神ソウマと少女姫宮千歌音の間で揺れつつ、
自分は千歌音ちゃんが好きだと作中で明言した2
(そしてフられるソウマ君の言動が超格好良かった3
・神無月の巫女(04) 

…ちなみに千歌音ちゃんも元祖公式クレイジーサイコレズです。
本編登場はこちらの方が僅かに速く(10/1)
OPに登場したのは舞-himeの藤乃静留さんが先でした(9/30)
これならどっちも元祖公式扱いで良さそうです。
カードキャプターの大道寺知世さんは公式言明は無かった筈。

これらは作品自体が衝撃的だったのですが、
戦いの中で芽吹く絆(プリキュア、なのは)→まどか☆マギカ、進撃の巨人等
何気ない日々を共にするちょっとした幸せ
(ひだまりスケッチ、らき☆すた) →けいおん!、ゆるゆり等
狂気じみた愛への報いと救い(舞-hime、神無月の巫女)→まどか☆マギカ等

といった具合に、後に「百合」の大爆発を起こす作品の下地にもなっています。
ただ強調しておきたいのは、これらの作品で明白に百合人気を狙ったのは
舞-hime、神無月の巫女、アカイイト位で、
後は受け手の百合妄想で人気が沸騰したという事。

2018年現在も狙って当てた作品はいくつか発生するも、
巨大ジャンルまでになった作品はまだ存在していません。
この狙った作品は大きくは当たらないという事象は801とも共通しています。

…このように「特異点2004」において、後に伝説となる作品群が何故か無数に現れ。
嵐のように継ぎ足された供給は、すぐにより大きな需要を生み出していきます。
そして先の雛形全てを本編、及び二次創作において飲み込んだ東方シリーズが、
初の巨大百合ジャンル(この時点では男性のファンが多かったでしょう)として
君臨するに至ります。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」
とはよく言ったものです。

…ところで・ヤミと帽子と本の旅人(アニメ03末-04)で、
CV能登麻美子のガチレズ少女が〇〇した(声付き)事がごく狭い世界で
強烈な話題になったのですが、実は彼女が尖兵に過ぎなかったなんて
当時は誰も想像もしてなかったなぁ、と。

第六章 ここでちょっと類型を整理しつつ

…最近は完全に男性、あるいは女性を排除する作品も増えてきましたなぁ

さて、読み手が百合妄想する時に問題となるのが主人公の存在です。
その際の扱いは主に三類型に分けられるので、ここでちょっと解説してみます。

1、百合妄想に主人公も絡む
物語の主人公が女性である場合は当然何の問題も起こりません。
04以降だと女子校での異次元麻雀を描いた
・咲-Saki-(06)や
史実のエースパイロットをその愛機と組み合わせて女体化した
・ストライクウィッチーズ、通称ストパン(07)等。

2、主人公とは別の所で妄想が進行する
一方主人公が男性でも、女性キャラ同士の間柄に百合が見出される事も。
男性(と思われる)プロデューサーとしてアイドルに関わる
・アイドルマスター(通称アイマス)シリーズ(無印05)
実はpixiv2013年百合部門の首位を勝ち取っていた、登場人物の多くが男性の
・進撃の巨人(09)(アニメ13)
性別を含めて設定の薄い「提督」がプレイヤーの
・艦隊これくしょん(13)等。

また主人公が女性であっても、その主人公がいない所で百合が展開される事も。
例えばマリア様がみてる、東方シリーズ、fate/grand order等。

3、グループ全体が主人公
この場合は妄想がグループの中で完結しがちになります。
けいおん!(09)、ラブライブ!(11) がその典型。
ただグループの外に女性がいれば妄想に絡んでくる事も。

この主人公どうしようか問題をパロディした作品もあります。
名が雄弁に体を表す、
・ゆるゆり(08)には主人公設定なのに影薄キャラだったという
不思議な存在がいますが、 あれはこの問題をメタったものであります
…もしかすると。 

更には物語すら存在せず、
キャラと声だけ提供するから後は全部勝手にやってで成立してしまった、
ボーカロイド及びボイスロイド(最初に注目を集めた初音ミクが07)という極めて
特殊なジャンルも存在します。
各々が好きな曲を作って好きな風に歌わせ、その中には百合ネタもあったのですが、
巡音ルカ(09)の登場以降は百合作品等も増えている模様です。
2018年現在ではボイスロイド実況とかで百合ネタを使って当ててる動画も多数。

…実は可愛い女の子になってみたいという男性の願望が
(狙ったかどうかは分かりませんが)具体化した作品もこの辺りで出てきています。
・処女はお姉さまに恋してる(05)
とか
・はぴねす!(05)とか
どちらも女装した少年がぶっちぎりの一番人気です。男性向けR18ゲームなのに。
…確か「男の娘」という概念が認識され始めたのも2005年頃だったような。

この二人はあくまで少年(前者は中身男の子、後者は中身女の子…?)であり、
百合とは全く別の話です。
しかし男性が女性の目線で物語に入ったり、女性キャラを二次創作で動かしたり
(そして百合させてみたり)はもうごくごく自然に行われていたという事実を
裏書きするので、あえて名前を出してもみました。

…更に書くと男性において、
女の子になってみたいという願望の延長線上に女装があり、
また百合の水脈の一つにもなっています(ただし全部ではないです)が、
少年愛の延長線上にある男の娘やショタコンは起源においては全く別物です。
これが表現物になると混線する事もあったりするからややこしいのですが。

第七章 そこにいたのに見えなかったもの

今でも見えてない人もいます。男女ともに

信じられないかもしれませんが、10年代初頭位まで、
男性の多くは萌え作品…というより無数の女性が登場する作品に、
多くの女性ファンが存在している事を認識できていなかったのです。

多くの女性が登場しているという点では萌え作品と共通する
セーラームーン、マリア様がみてる、プリキュアは、
男性にも人気はあったのですがあくまで女子向けの作品と認識されていました。
当然これらの作品には無数の女性ファンがいましたが、
男性の意識にはその存在は入っていませんでした。不思議な事に。

また東方風神録(07)の頃は、女性がネットコミュニティで性別を明かすと「嘘だ」、
という反応が多かったのを私は覚えています。
コミケに行けば女性がブースに座っていたにも関わらず、
既に女性が公式漫画を描いてたのにも関わらず、です。
東方に関してはあくまで原作がシューティングゲームで、
しかもかなり難しい4ので女性には敷居が高い、
と思われていたのが理由の一つでしょう。
実際女性シューターもいましたが多くはなかった筈です。 

原作ゲームをプレイしてなくてもええやんという流れが出てきたのは
公式コミカライズや二次創作が独り歩きしてしばらく経った後です。
紅魔郷から6年、激ムズでクリアを挫折した人も多かった地霊殿以降でしょうか。
その意味で、秘封倶楽部シリーズは音楽を中心に展開されたので、
女性にもとっつきやすかったのかもしれません。
(2000年代では、どちらかと言うと秘封倶楽部シリーズの方が
女性ファンの比率が比較的多かった…ような。
STGじゃないという理由より設定が嵌った、という理由も強かったでしょうが)

…とはいえこれは東方以外の作品に
女性ファンがいる事を認識できなかった理由にはなりません。
何故か、に感してはおそらく非常に複雑な話になるので具体的な言及を避けます、が…
可愛い女の子になってみたいという願望の延長線上で少女主人公の物語、
及び百合を捉えていた人々にとっては、例えば東方のような少女中心の物語は
根本的には男の子 (けして男の娘ではない)の世界に見えていた、とかでしょうか?
…仮説というにもはばかる、我ながらひどく一面的な見方ですが。

そんな風潮が
・Pixiv開設(07)辺りから変わってきます。
イラストコミュニケーションサービスとして開設されたこのPixivには、
一次創作、二次創作を問わず百合作品も大量に投稿されていくのですが、
その描き手に多くの女性がいる事に男性もようやっと気付き始めます。
更に
・twitter日本上陸(08)によって、
それまで匿名掲示板などで交流していた百合ファンが名前付きでの活動を始めます。
絵、文章、140字に収まる小ネタ等が一気に拡散し、
またその作者により直接に感想が届くようになりました。
これが強烈に創作意欲を刺激していきます。

また百合関係に限らず、一部を除いて男文化だった匿名掲示板では
女性は男を演じて書き込んでいたのですが、
新たな空間であるtwitterではその必要もなくなり
普通に女性として振る舞えるようになりました。
仮面舞踏会は楽しいですが面倒なのです。
個人サイトやブログで女性かつ百合ファンである事を公言していた方もいたでしょう、
しかしインターネットで女性の百合コミュニティを一挙に可視化させたのはSNS、
特にtwitterだったと私は考えます。
…それでも何故か男性の視野には女性ファンは入っていませんでした。

09年には女性監督及びスタッフが中心となってアニメ化された、
とある女子高生達の緩いバンド物語・けいおん!が女子高生に大ヒット、
深夜の枠を越えてちょっとした社会現象になり、
またここから百合のときめきを見出した女の子も大量発生したのですが、
この社会現象を事実だと思えない男性も実際いました。

しかし衝撃的な展開で話題となった、
魔法少女ものと邪悪さを悪魔合体したアニメ
・魔法少女まどか☆マギカ(11)
がその圧倒的な威力で男も女も問答無用で巻き込むに至り、
遂に百合ファン、というより少女達の物語に惹かれる男性と女性が邂逅しました。
自分達が固唾を呑んで見つめていた物語に無数の女性ファンがいた事、
また彼女達が百合そのものの人気を激増させる位に
無数の二次創作を生み出したのを目の当たりにし、 
ここでやっと男性百合ファンは女性百合ファンの存在を認識できたようです。

しかしそれはあくまですれ違いであって、両者が合流したわけではありません。
勿論それぞれに良さを見出し、感覚を研ぎ澄ませた人々もたくさんいたのですが。
これ以降もどちらかと言えば…ですが、
男性にヒットする百合ジャンルと女性にヒットする百合ジャンルが分かれていきます。
前者の例として劇場版5以前の
・ガールズ&パンツァー(12)で、
後者は
・進撃の巨人(アニメ13)
が代表格です。

また同一ジャンルの中でも、
男性にヒットした組み合わせと、
女性にヒットした組み合わせが異なるというケースも起きていきます。
例えばラブライブ(無印)の組み合わせ人気一位二位は女性の支持が圧倒的に強いです。
またラブライブの場合、作品そのものの人気は僅かに男性よりですが、
おそらく二次創作している人数は女性の方が多いです。

一方この頃プリキュアで当てた女の子達のもう少し上を狙った、
データカードダスとアニメの並行企画
・アイカツ!(12)
も目標に6大ヒット。
元々、アイマスシリーズで二次元アイドル人気が喚起されていましたが、
この子供を狙って当てたアイカツ!が、 直後に始まり今も続く
二次元アイドルブームの確固たる地盤になっていきます7

そしてスマホゲーとアニメ等のメディアミックスとなる
・THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS、通称デレマス(11)(アニメ15)
・ラブライブ!(アニメ、ゲーム13)
等が、 女性の間にも二次元アイドルブームを引き起こし、
また彼女達の一部に百合妄想の種を豊富に提供しました。
そしてデレマスとラブライブは矢継ぎ早に公式供給が入り、
百合ジャンルとしても継続的、かつ大きな存在となっていきます。

地上波アニメは今もなお強力な武器ですが、
スマホの手軽さもそれに匹敵しうる長所となりました。
百合を片手で持ち運べる時代がやってきたのです。

第八章 艦が山を動かした

根本にあるのはやはり情熱なのでしょう

稼働は2013年末。流行りだしたのは年が明けた2014以降。
・艦隊これくしょん -艦これ-
が(またも製作者の予想を超えて) 大ヒット。
東方に続く、第二の男女を巻き込む巨大百合ジャンルとなります。
その勢いはまさに山が動いたとしか形容できないもので、
特に東方から艦これに乗り換え、
ないし二足のわらじを履く事になった人々も多かったです。
その中にはやはり大量の百合ファンも。

何故かは私には断定しきれません。
人は常に新しく魅力的なものを求めるのだという一般論を述べるのは簡単ですが、
しかし私に指摘できる事もあり、

1、史実は強い
2、(見た目が)大学生以上の女性が大量に登場している
この二つを満たすジャンルはそれまで存在していなかった、とは言えます。
ストパンが1を、デレマスが2を先行していましたが。
実際艦これからアニメをきっかけにデレマスに移行した人もいるし。

1に関して
アンサイクロペディアに「加賀」という項があります。
艦これネタ? と今見たら思うかもしれませんが、
2011年、艦これの二年前に書かれた記述だったりします。
加賀さんのサイドポニーは史実ネタだった…?

史実以上の物語を突きつけるのは創作の矜持とはいえ、
事実は小説よりも奇なり、という言葉もあります。
やはり史実には多くの人々を引きつける浪漫、ときめきがあるのです。
そんな浪漫を擬人化した企画は他にも存在していたのですが、
艦これは一癖あるキャラデザ、(稼働当時は)気楽に遊べるゲーム性8等で
当時の世相を砲雷撃、見事に直撃を奪いました。

物や概念の擬人化ネタは男性化では既に一つ大当たりしていた(国のアレ)のですが、
女性化での大当たり一番乗りがこの艦これ。
提督というプレイヤーのアバターも存在する世界観ですが、
女性化した艦船、作中での名は「艦娘」達の間には百年以上遡る繋がりや、
二次大戦で運命を共にし、あるいは死に別れるなど、強烈な史実が無数に存在し。
まあ、そうなるなという話で、激烈な百合妄想を喚起したのです。

…実はキャラクターデザインや、艦これ独自のキャラ付けを契機としている、
史実と全然関係のない組み合わせも結構あるし、
こうであってほしかったという願望も多く発生しているのですが、それはともかく。

2に関して
これはあまり指摘されてこなかった気がするのですが、
百合ジャンル…以前に、 萌え作品において大学生以上の女性を
多数出して当たったものは、実はそんなに多くなかったのです。
デレマスも該当する9のですがブレイクは15年のアニメです。

セーラームーンやマリみてから始まった百合ジャンルは、
少女同士の繋がりを起点にしていたのですが、
大人の女性同士、女性と少女との繋がりにも当然需要はあります。
大きくはなかったのですが供給も。

東方にも大人として描けるキャラはいましたが、
基本的には「少女」達の物語ですし、
大人同士の組み合わせ…となるとかなり限定されるジャンルでした。
紫の人絡み等、 有力な組み合わせが無い訳ではなかったのですが。

そこに艦これが巨大な供給を突っ込みました。
共に時代に巻き込まれて空母に改装され、同じ戦場で沈んだ艦
国を背負う戦艦として建造されるも、別々の虚しき最期を迎えた姉妹艦
激戦を共にくぐり抜け、片方だけが生き残った重巡姉妹
例えば彼女達が、大人の女性として描かれたのです。

…これは上手く説明できないのですが。
目立たない供給を見つけ、ないし作り上げる喜びと、
大きなジャンルに巻き込まれていく喜びはやはり別物で、違う楽しみがあるのです。
小川を跳ねるのと海で波を被るのが別物であるように。

そして、もう一つ。
東方に限らず少女達の物語を体験した少年少女は、
艦これの時点では成人を迎えています。
けいおん!を起点にしても、既に4年が経っていました。
東方全盛期において同じ「永遠の少女」だった人々が、
色々あって大人になった所に同じ「大人」を描いた艦これが現れた形になります。
艦これでは成人女性同士の組み合わせに絶大な人気があるのですが、
これは以前の百合ジャンルでは見られなかった現象です。

一方少年だった人々も色々あって大人になり、
同年代の「大人の女性」との距離が近くなりました。
10年前だったら先述の艦船達も、少女として描かれていたかもしれません。
ただの流行り廃りと言ってしまえばそれまでですが、
しかし東方から艦これへ、少女 から女性への移り変わりは、
ある意味でオタクである僕達私達がちゃんと歳をとれた、 という話だとも思えます。
…牽強付会ですよ、うん。

一応書いておくと、艦これは別に大人の女性ばかりのゲームではなく
小、中学生位のキャラも大量に登場します。
むしろ人数を見れば少女達のほうが多い位です。
ただ、 戦力の主軸になりやすい戦艦や空母が
大学生から上くらいに描かれているという話で。

組み合わせ人気も様々。
大人~大学生の間
大学生~高校生の間
高校生~中学生の間
中学生~小学生の間
キャラの見た目は主にこの四グループに分かれますが、
それぞれに人気の組み合わせがあり、またグループを跨ぐ組み合わせも。
更にここでも、男女で組み合わせ人気に違いが発生しているようです。

ちょっと人気に陰りが…と思われていた所に、
五輪銀メダリストや知る人ぞ知る実力派フィギュアスケーターを投入するという
予想の斜め上で突っ切って大当たりを果たし、
更にはシステムの一新にも無事成功。
ミッドウェーは越えた…と思います。ここから何処まで行けるでしょうか?

海の向こうから、そして四次元から来たもの

2018年8月30日木曜日

百合ジャンルの歴史 その1

序論はこちら

第一章 はじめに天王星と海王星があった

・美少女戦士セーラームーンS(94)

大体あのお二方のせい

日曜五時、小中学生を狙って社会現象までになったアニメで
同性愛者であるという言明「だけ」はしていないものの
二人だけのどう見ても…という描写を地上波でこれでもかと重ねた(Sだけに)

セーラーウラヌス天王はるかと
セーラーネプチューン海王みちる
二人は世界を作り変えた絶対的な力です。

勿論これ以前にも同性愛描写を含む作品はありましたし、
また百合妄想やその具体化である二次創作も存在していたのですが。1
地上波、しかも日曜五時という幼稚園児や小中学生が見ている時間帯で
ギリギリを攻めて大当たりしたのはこの作品が初めてです。

今日では想像し難い絶対的な人気があった地上波のテレビで、
(後には日本に限らず、世界全てに対して)
後に百合として理解されるものが白昼堂々と描かれる。
アニメの力が世界を吹き飛ばした一つの具体例だ、とさえ言っていいでしょう。

この前後で全てが変わりました。
アニメ、漫画に限らず、女性同士の同性愛を描いていい、描けば当たる!
という確信が視聴者2と製作者に刻み込まれたのです。
これ以後、製作側がどこかしらに同性愛を匂わすのが珍しくなくなり、
見る側も女性同士の間柄に特別なものを探っていいんだ、と思うようになりました。

この威力は今日においても一切衰えておらず、
20年以上経った今も高品質な二次創作が数多く作られていますし、
2016末には世界一スケートの上手い(ちょっと腐った) ロシアの女の子が
微に入った再現を決めつつ氷上でコスプレして話題になりました。

第二章 百合というかレズというか、そんな怒涛の何か

副題をつけるなら、セーラームーンSと元祖百合ラノベの間に

この後更に限界を攻めた
・カードキャプターさくら(96、アニメ98)
・少女革命ウテナ(97) 等の大当たりもあり、
女性同性愛は特にサブカルチャー3においてあっという間に一定の地位を得ました。
というより破壊力で既成事実として世界に割り込んだ、
と書いた方が正確かもしれません。

大ヒットした
・新世紀エヴァンゲリオン(95)等でもレズビアンが登場していますが、
それ自体は特に話題にもならなかったのを覚えています。
だって今でもあの二人に比べれば大体何だってぬるいし…

またこの頃男性向け18禁ゲームでもレズを匂わせたり、
あるいは直接に描いた作品なども現れます。
有名所だと
・アトラク=ナクア(97)
・kanon(99)とか。

…「男性向け」とは書きましたが女性ユーザーも絶無だった訳ではなく、
例えばこのアトラク=ナクアであるとか、
後述のLeaf、Key、Type-Moon作品(まとめて葉鍵月とも)等を起源とする
女性百合ファンも存在しています。

特に月はfate/stay night(02)で捕まえたファンをEXTRA(10)やgrand order(15)等で
更に増やして現在進行形で熱いジャンルになっていますが、
その中には20年近い経歴を持つ女性ファンもいます。
百合好きも薔薇好きもNL好きもそれ以外も。
…ただ何分「男性向け」なので、当時の敷居はとてつもなく高かったのですが。

一方この時点でも、萌え作品での登場人物同士の繋がりが強くて
「あれ、これ主人公の男いらないんじゃね??」という受取り方をする人々が
ぽつぽつ現れていました。 
セーラームーンであの二人が自分たちの世界を作っていたように。
 ・To Heart(97)以降のLeaf
・ONE ~輝く季節へ~(98)以降のKey
・月姫(00)以降のType-Moonなどは
それはもう激烈に二次創作が流行りましたが、その中には主人公の影が薄いものや、
女性だけで描かれるものもありました。
直接に同性愛を描いたものだけを見れば少数ですが、
友達や姉妹の情愛、先輩後輩関係、ライバルのぶつかり合い、
キャラの魅力を活かしたネタなど、
後に「百合」妄想の起点として認識されていくものも含めれば視野は一気に広がります。
この場合主人公は語り部やツッコミ役に回り、
性別は男でも女でも問題ではなくなります。

これが後日、
男性不在の作品が男性ファンに当たる遠因になっていったと私は考えています。
東方シリーズへは葉鍵月から直接流れた者もいますし
(勿論彼ら全員が百合を志向したわけではない)、
他にも女子校もの、日常系、女性主役の戦闘ものなど…

そして二次創作は二次創作を生むものです。
単純に面白かったり強烈なネタだったりすれば他の作者や読者もそれに続いていきます。
一度生まれたものは何度でも再生産され、膨らんでいくのです。
その中にはレズネタであったり後に百合として再定義されるネタもありました。
この時点では主に味付けであった百合ネタは、
しかし年月と創作を重ねる毎に、雪だるま式に需要と供給を拡大していきます。

故に私は思うのです。
しばらく後に爆発する事になる、百合ジャンルへの男性人気は
90年代後半には既に胎動していたのではないか、と。

とはいえこの時点では、あの二人から始まる衝撃は、
肉体関係として描かれるものと精神的な繋がりとして描かれるものとには
まだ分化しきっていなかった筈です。
この女性と女性の精神的な繋がりへの、当時の言葉では「萌え」、今だと「貴み」、
私が 「ときめき」と呼んでいる感情は45
しかしある作品をきっかけに具体化するのでした。

第三章 タイが曲がっていてよ

そこにあった花は「百合」6だった

・マリア様がみてる(98)、通称マリみて

元々少女向けに書かれたこの作品、
・主人公が女の子
・重要人物が全て女性(男性も登場はするが影が薄い)
・物語の主軸は恋愛感情ではなく憧れ
・同性愛者は少数。舞台もミッションスクールだし
・「お姉さま7」「ごきげんよう」といった言葉の飛び交う特殊な空間
・男性には縁の遠いコバルト文庫からの出版

なのに男性にも大当たりしたのです。
百合ジャンルの歴史において、小説という読者の限られた媒体
(4年後にアニメ化もされますが大当たりとはいきませんでした)で、
これ程までに絶大な影響を及ぼしたのは現在この「マリア様がみてる」だけです8

ミッションスクールの生徒会という、女性だけの特殊な空間
恋愛感情だけでない、もっと多彩な精神の繋がり
肉体関係は一切無くてもいい

…同性愛とは違う、しかし緊密で繊細な心の繋がりにも、
「百合」の香りが存在するのだという事を探り当て、
ライトノベルとして大ヒットしたのがこの「マリア様がみてる」でした。

親愛、憧憬を中心としつつ、読者にはもっと踏み込んだ関係を妄想させる、
「ソフトな百合」と形容されたこの作品は、後の百合に絶大な影響を及ぼします。
極言すれば 「マリみて」で女性同性愛から「百合」と呼ばれる概念が分化、
確立したと考えてもいいでしょう。

同性がキス以上の肉体関係を匂わせると多くの人々はたじろぐのですが9
「マリみて」 のヒットでそこまでしなくてもよくなります。
性欲、ないし肉体の接触が背景の奥に収まる事で、
書き手、受け手共に「百合」の裾野が一気に広がりました。
極端な例を出せば、視線が合ったとか、同じ空間にいたとか、
たったそれだけの接触でも「百合」のときめきを描ける事がここで判明したわけです。

ただ、今日における「百合」という概念程にははっきりしていませんでしたが、
この言葉で示されるときめきはかなり昔から存在していました。
私が知っている作品だと、
1908年の・赤毛のアンまでは遡れます。
今原作やアニメに触ると主人公アンとその親友ダイアナの間柄に
「百合」を見出す人もいるでしょう。
かくいう私もある日何となく読んでん、え、んんんんっ?! となったりしました。

まあ、二作目以降では大方の予想通りにアンとギルバートがくっつくんですけどね。

第四章 女の子は男の子、男の子は女の子?

昔はネカマって言葉があったんです
今では存在が当たり前になりすぎて名前が消えてしまいましたが

と同時に「マリア様がみてる」などのヒットで、
男性キャラの影が限りなく薄くても男性は食いつく、という事に世間が気付きました。
セーラームーンにはとても目立ちかつ話にも大きく関わる
タキシード仮面さま10がいたのですが、彼のポジションは別に無くても良かったわけです。

ある高校における個性的な女子高生達の生活を4コマにし、
・特定の主人公がいない
・登場人物の殆どが女性
・波乱とかも特に起こらない
という、後に「日常系」と呼ばれるジャンルの嚆矢となった
・あずまんが大王15(99)11

男性ファンの比率が多いシリーズにおいて女性主人公の一人、
アイビス・ダグラスの人間関係がほぼ女性だけで完結するという大冒険をやらかし、
しかも好評を博した
・第二次スーパーロボット大戦α(02)

後に絶対的な巨大ジャンルとなる、「幻想郷」と呼ばれる不思議な世界を舞台とした
登場人物が全員(見た目は)少女12の同人ゲーム、東方projectのWin版第一作
・東方紅魔郷(02)
その外伝であり、音楽と僅かなテキストと二人の少女だけで展開される13
近未来SF秘封倶楽部シリーズの第一作
・蓮台野夜行(03)

業界初の百合専門誌となり、後継の「百合姫」が今日も百合人気を支えている雑誌
・百合姉妹(03)の刊行

等々、女性だけで完結する物語が男性の間でも着々と当たり始めていきます。

また様々な作品で、女性が二人もいれば百合妄想に走る者も現れていきます。
例えば女子だけの学級に男の子の先生が赴任する
・魔法先生ネギま(03)
で女子同士の間柄に百合を見出す男性は珍しくありませんでした。

この妄想は801に似て…いるとも言い切れません。
00年代前半頃から、ラグナロクオンライン(02)等の色々なMMOが流行り始めますが、
そこで女性を演じる男性もかなりいました。
おそらく昔も今も、男を演じる女性よりも女を演じる男性の方が有意に多い筈です。
更には現在、女性キャラのアイコンでtwitterしてる男性とかはそれこそ無数にいます。

実の所、女性キャラの目線で物語に入っていくのに苦労しない男性は多いです。
・アルプスの少女ハイジ(74)
で主人公ハイジや車椅子のクララとかに共感する男の子もいたでしょうし、あるいは
・スレイヤーズ(89)で主人公の少女リナ・インバースの詠唱を真似した少年も
たくさんいました。

とても乱暴な言い方をすれば、
男性向け作品で描かれる女性キャラと、
女性向け作品で描かれる男性キャラだと、
前者の方が男性に近いし共感もされる時代が長く続いてきました141516
訳が分からないかもしれませんが、そういうものだと思って下さい。

それを踏まえて、登場人物ほぼ全てが女性で、少年漫画みたいな展開をしていく作品が
(最初は主に男性を目標として)作られ、多数ヒットしていくのですが…

これらの作品が少年漫画由来のBL妄想を得意とする女性にも当たるという、
すごくややこしい現象が後で発生したりします。

一方、傍観者や語り部として物語を眺める男性も勿論います。
自身の延長としての女性キャラによる百合と、
語り部として女性キャラ同士の間柄を眺める百合は、
90年代末には既に両方存在していました。
どちらが多いのか、また以後増えていくのかまでは分かりませんが。


2018年8月29日水曜日

百合ジャンルの歴史 序

序章 ジャンル表と元データ、及び論の概説

・ジャンル表
「ある程度大きなジャンル」の表です。
アニメ化等の爆発点のあるジャンルはそちらも併記しています。
特筆に値する事項は太字にしました。
94 美少女戦士セーラームーンS
96 カードキャプターさくら
97 少女革命ウテナ
98 マリア様がみてる カードキャプターさくら(アニメ)
02 東方紅魔郷
03 百合姉妹(雑誌) 蓮台野夜行(秘封倶楽部シリーズ)
04 東方永夜抄 ふたりはプリキュア 魔法少女リリカルなのは 舞-hime
   マリみて(アニメ) ひだまりスケッチ らき☆すた
05 THE IDOLM@STER
06 ひだまりスケッチ(アニメ) 咲-Saki
07 ストライクウィッチーズ らき☆すた(アニメ) 初音ミク(ボーカロイド)
   けいおん! Pixiv開設
08 ゆるゆり Twitter日本上陸
09 けいおん!(アニメ)  進撃の巨人 咲-Saki-(アニメ)
10 ラブライブ!
11 ゆるゆり(アニメ) 魔法少女まどか☆マギカ アイマス(アニメ)
   THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS(通称デレマス)
12 ガールズ&パンツァー アイカツ!
13 ラブライブ!(アニメ、ゲーム) 進撃の巨人(アニメ) 艦隊これくしょん -艦これ
   RWBY アイドルマスターミリオンライブ!
14 アナと雪の女王
15 デレマス(アニメ) ガルパン(映画) Fate/Grand Order RWBY(日本語訳)
16 ラブライブ!サンシャイン!!
17 けものフレンズ(アニメ)

続けて百合需要もある作品だったり、画期的な作品だったり、
大きな島ではないけれど…だったり
こちらはあれもこれもすると収拾つかなくなりそうですが、
好きに書き足すのも一興でしょう。
95 新世紀エヴァンゲリオン
97 Leaf&Key作品(To Heartがこの年) アトラク=ナクア
99 あずまんが大王
00 月姫
02 ポケットモンスターRSE あずまんが大王(アニメ) fate/stay night
   ひぐらしのなく頃に 第二次スーパーロボット大戦α
03 カレイドスター 魔法先生ネギま! ヤミと帽子と本の旅人 涼宮ハルヒの憂鬱
04 神無月の巫女 アカイイト
06 その花びらにくちづけを ポケットモンスターDPt 涼宮ハルヒの憂鬱(アニメ)
07 とある科学の超電磁砲
08 とあるシリーズ(アニメ) マクロスF
10 fate/EXTRA プリティーリズム
11 僕は友達が少ない(アニメ) 桜Trick ご注文はうさぎですか?
12 悪魔のリドル キルミーベイベー
13 キルラキル 響け!ユーフォニアム マイリトルポニー(日本でのアニメ化)
14 桜Trick(アニメ) 悪魔のリドル(アニメ) ごちうさ(アニメ)
   響け!ユーフォニアム(アニメ) プリパラ グランブルーファンタジー
   結城友奈は勇者である クロスアンジュ
15 BanG_Dream! がっこうぐらし!
17 リトルウィッチアカデミア(新アニメ)
18 ポプテピピック Vtuber

・論の概説
ここから更に限界まで個別作品への言及を減らし、起点と巨大ジャンルだけを記すと
セーラームーンS(94)
マリア様がみてる(98)
東方シリーズ(02、永夜抄04) 
けいおん!(07、アニメ09)
ラブライブ! 及びサンシャイン!!(アニメ、ゲーム13)
艦隊これくしょん -艦これ-(13)
アイドルマスターシンデレラガールズ(通称デレマス)(アニメ15)
Fate/Grand order(15)
まで絞れる、という見方をしていきます。
ここではもう少し色々な作品に言及しつつ、百合ジャンルの歴史を考察していきます。
縦糸となる時系列は以下のような感じに。

togetter用に2Tweetで無理やりまとめたのに手を加えると

セラムンS(04)が女性同性愛を世界に打ち込む
マリみて(98)で「百合」萌えがレズから分化
04年に大量の供給。東方全盛期へ
pixiv開設(07)、一次、二次創作急増
twitter日本上陸(08)、ファンの交流が可視化
けいおんアニメ化(09)

まどか☆マギカ(11)で百合ファンの男女が邂逅
ラブライブアニメ化(13)
艦これ抜錨(13)、第二の巨大百合ジャンル成立
RWBY(13)、アナ雪(14)等海外発のジャンル成立
デレマスアニメ化(15)
けものフレンズ(17)
Vtuber?(18)

こんな感じでした。もう少し詳しく書くと、

セーラームーンS(94)が女性同性愛を世の中に打ち込む
細々とだが、女性キャラが多数登場する作品でキャラ同士の繋がりを原作以外の形で妄想する者が現れる。
これを「百合妄想」と命名。この妄想は二次創作等で具体化される事もあるし、
当人の脳内に収まる事もある。
ただし、百合とレズはこの時点では未分化
マリア様がみてる(98)で「百合」が具体化
憧憬や情愛といった繋がりも「萌え」として認識される
男性不在の作品が男性にも当たり始め、平行して百合妄想も加速
04年、東方永夜抄、プリキュア、なのは、舞-hime、ひだまりスケッチ等、
大量の供給が入る。戦友、ライバルといった戦いを巡る間柄や、
何気ない日々の生活におけるちょっとした幸せも
百合妄想の起源として強く意識され始める
萃夢想(04)、花映塚(05)、風神録(07)を経て東方シリーズが全盛期に入り、
史上初の 巨大百合ジャンル成立。この他にも更に多くの作品が続く
Pixiv開設(07)、一次百合創作が爆発的に増加
この頃から男性も女性の百合ファンの存在を認識しはじめる
逆に言えばそれ以前は、男性はいわゆる「萌え作品1」に女性は来ないと思っていた 
Twitter日本上陸(08)、百合ファンの相互交流が可視化
特に匿名掲示板で男を演じていた女性がおおっぴらに女性として活動するようになる
けいおん!(07)(アニメ09)がアニメ化で深夜の枠を越える大ヒット
特に現役女子高生の強烈な支持を集め、その中には百合にハマっていく人々も
まどか☆マギカ(11)が大爆発し、百合ファンの男女が本格的に邂逅
この辺りから男性と女性が互いの微妙なすれ違いを意識していく
アイカツ!(12)稼働
アイドルマスター(元祖05)シリーズを起点とする二次元アイドルブームが
幼稚園児や小学生にも一気に広がる。
以後、ラブライブやデレマス人気の土台にも。
ラブライブ(10)が漫画化、ライブでの成功(11)を経て
アニメ、ゲーム化(13)で大成
こちらも女子中高生を直撃、特に女性にとって第二の巨大百合ジャンルに
艦これ抜錨(13末、ヒットは14以降)、
男女を巻き込む第二の巨大百合ジャンル成立
RWBY(13)、アナ雪(14)等、海外発の百合ジャンルが発生
デレマスアニメ化(15) これも二次元アイドルブームの立役者で、
百合ジャンルとしても特に女性に大当たり
Fate/Grand Order(稼働15)が17年前後に一大ジャンルに
けものフレンズ(17)がまさかの大当たり&悲劇の失速
艦これ第二期抜錨成功(18)、ポプテピピック(アニメ18)の襲撃
Vtuber(17末。にじさんじが18)どうなるかなー

という論建てになります。
一方の横糸は、

・百合ファンは男女で辿った道が違うし合流もしてない
 また当たった作品や組み合わせ(カップリングとも)が男女で異なったりも
・女性を演じてみたりなってみたりしたい男性は結構いて、百合人気とも関係有り
 一方傍観者としてキャラ同士の間柄を眺めたい人々も男女問わずいる
・男性は女性が萌え作品を支持すると思ってなかった
 というより今でもアイマスやラブライブの女性人気を認識してない男性がいる
・しかし現在の百合人気は女性によるものが大きい。
 特に二次創作供給の中心は2013年前後で男性から女性に。
・百合人気は基本的に原作外の百合妄想で成立、発展
 ゆるゆり、ポプテピピック等、狙った作品もいくつか当たったが大当たりはまだ

これらを論点としていくので、意識しておくと読みやすいかと。

女性における百合人気沸騰に関しても(当事者ではありえないなりに)論じています。
・女性の百合ファンを定着させた作品は何か
・またBLからGLに移行、ないし平行している女性も少なくないが、そのきっかけは 
・時に男女で人気の組み合わせが違ったりする理由は 

といった論点に触れていきます。これに関してはpixivで当たっている作品、具体的には
けいおん!(アニメ09)
魔法少女まどか☆マギカ(11)
進撃の巨人(アニメ13)
ラブライブ!(アニメ、ゲーム13)
艦隊これくしょん(13) 
アイドルマスターシンデレラガールズ(アニメ15)
ガールズ&パンツァー劇場版(15)
Fate/Grand Order(15) 等が大きな役割を果たしたと推測しています。 

起点はけいおん!
それからまどか☆マギカ、進撃の巨人、ラブライブ!でドカッと入っているので
これを元に考察しました。
先に触りだけ書いてしまうと、

女の子ってのはやりたいことをやりたいようにやればそれが一番「格好いい」んだ、
と明示したのがけいおん! で、
以後の作品はこれを踏まえて制作、受容されたんじゃないかなーと論じたりしています。
結果、女性だけで少年漫画みたいな展開をしていく作品が増えて、
BLからGLに移行していく方々も増えたのでは、とも。

・Pixivによるデータ、及びそこから見えるもの
もしpixivアカウントを持っているなら「百合 1000 -松」 (18歳未満なら-R18な)で
古い順検索するとジャンルの流転と百合人気の加速が目で見えて面白いので是非。

2018年08月28日(2/3が経過。18のデータに×1.5すると最終的な数字が出る?)
におけるR18込のデータになります。
数字はその年の作品数で、前年比の増加を示します。
その時点における2007からの累計ではないのでご注意を。
このデータからざっと読み取れるものとして、

・ユーザー全体は16年までずっと増加しているが17年で謎の大幅減少2
・一方百合が全体に占める割合は未だ2%に達していないが確実に増加中
・11年、13年、17年に全体比で有意な百合人気の増加が見える
・百合人気の加速は特定作品の、特に女性へのヒットと密接にリンクしている
 11年のまどか☆マギカ、13-14年3の進撃の巨人、艦これ、ラブライブ
 15-16年のアイドルマスターシンデレラガールズ(デレマス)
 ガールズ&パンツァー劇場版
 17年のFate/Grand Order(Fgo) 等
・特にまどか☆マギカと進撃の巨人の強烈な爆発力が目を引く
 一方ラブライブが百合人気の最大派閥になった原因は持続力4
 東方の粘り強さもまだまだ続きそう
・アニメ、特に地上波の影響力はやはり絶大
 まどか、進撃、ラブライブ、デレマスは地上波で人気が沸騰している
・一方艦これ、Fgoとブラウザゲーム、スマホゲームも強い
 ラブライブとデレマスはアニメとの相乗効果も大きい
・艦これは一度アニメブーストに失敗したがFgoはアニメでもう一撃ありそう
 まどかもスマホゲーのマギレコで再加速するかも
 艦これのアニメ作り直しもありうるか
・一次創作は途切れなく増加中。ただし18年で一旦ピークアウトしそう

などが見えてきます。人によっては更に色々なものが見えるかもしれません。
小さな数字の中にも注目に値するものがあるので探してみよう!

ちなみにR18を引いた際のページ数5は現在97 R-18込みだと現在111
R-18抜きだと1-22まで6年、ほぼ倍の23-61は3年
R-18込みでは1-24まで6年、倍の25-72は3年
いずれも2013以降の強烈な加速と、R-18の割合がほぼ一定なのが見えます。

さて、ここから本論に入ります。
先述のようにpixiv以前は定量化する為のデータが取れず、
記憶頼りで歴史を辿っていく事になりますがご容赦を!

こちらが本論です!

2018年8月28日火曜日

百合ジャンルの歴史 はじめに

この記事は「#百合ジャンルの歴史」と題した連続ツイートを
https://togetter.com/li/1176970
でまとめ、更に
https://kawaikunaimono.booth.pm/items/721102
として紙の同人誌にもしたものを(おかげさまで紙は完売。pdf販売中)
改めてブログ用に改編したものです。

多分一番読みやすいのはpdfでしょうが、
togetterよりはこっちの方が読みやすい、といいなぁ。

2/6日に刊行されたダ・ヴィンチ2018/3月号も百合の歴史をまとめており、
あちらも当事者の方々を多く交えた相当な労作なのですが、
タイミングは私の方が三ヶ月ほど早かったです(ドヤッ)。
更にはこちら独自の視点もいくつか提示できています。
「あんたの記事は日本一かもしれない、だが速さは日本じゃあ二番目だ」
なんて本当に言える日が来ようとは。
(私が完全劣化だったらどうしようかと思ってました。そうじゃなくて良かったです)

さて、はじめに。
この記事はあくまで「百合ジャンルの歴史」です。
「百合人気の歴史」と言い換えられますが、
「百合作品の歴史」そのものではない、という事を言明しておきます。
全く重ならない訳ではありませんが…

ここでは多数の二次創作を引き起こした作品を「百合ジャンル」と定義しています。
その上で、ある程度大きな「百合ジャンル」の移り変わりを歴史としてまとめつつ、
ちょっと考察も付けてみました。

具体的な方法として、pixivで「百合 1000 -松1」検索すると1000user越えの作品、
つまり大きな人気を集めた二次創作の数をある程度把握出来るので、
数字が大きい作品をある程度大きな「百合ジャンル」と定義、これを軸に考察しています。
…なので2007年のpixiv開設以前に関しては完全に記憶頼り。また二次創作がpixivに引っかかりにくい作品、
具体的には人気の中心が小学生未満なアイカツやプリパラ等に関する考察はどうしても推測になります。

他に幾つか注意書きとして、
・基本的に男視点からの考察になります。
 先に論点を一つ書くと、実は男性と女性は別々に百合を受容し、発展させています。
 そして私は男で女性側の当事者ではありえませんでした。
・実際に見ていない作品のほうが多いです。
・三次元には触れません。
 具体的にはアルファベット三文字のアイドルグループとかは完全に専門外なので。
・抜けは勘弁してください。特に2007年以前は。

その上で「百合ジャンル」、
及び今日の百合人気が立ち上がっていく歴史と、
更に画期となった作品の紹介、解説なども以下の記事でまとめていきます。

おそらく日本、更に世界で最初の歴史編纂であり。
まだ世間に認識されていない視点もいくつか提供できています。
出来が荒い叩き台である事は端から承知、様々な意見が出てくる事こそが私の望みです。

それでは、次回から本論に入ります!

2018年8月27日月曜日

ヤコブによる神の儀式 私的考察その2と後書き

「故に記憶する、命をもたらす彼の苦難を、救いの為に彼が架かった十字架を、彼の死と埋葬を。そして彼は三日目に 死から復活し、天に昇り、我らの神にして父である汝の右手に座す」(その3、「司祭、奉納する」)
復活して天の右に座す、という記述は福音書だとルカ22:69と(後世に誰かが書き足した)マルコ16:19にのみあります。一方、パウロもローマ8:34で言及しています。となると原始教会における考えなのか、それともルカの引用になるのか。

「律法と預言者と新訳において語られしは、我らが主イエス・キリストがヨルダン川に浸かり、住み給う事。及び、ペンテコステの日に聖にして栄光あるシオンの屋上の間において炎のような舌が使徒達に降りた事」(その3、「それから首を屈め、述べる――」脚注7)
このペンテコステの記述はルカが書いたとされる使徒言行録のそれを思わせます。「ペンテコステ~降りた事」のギリシャ語はτο καταβάν επί τους αγίους σου αποστόλους εν  είδει πυρίνων γλωσσών εν τω υπερώω της αγίας πεντηκοστήςです。ギリシャ語に詳しい方だと、使徒言行録における記述との比較が出来るかもしれません。
…ごめんなさい、私には無理です。

 「記憶し給え、おお主よ、船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者を。我らの教父と同胞、枷、監禁、捕縛、亡命の中に、鉱山、拷問、辛い隷従の中にいる人々を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」、脚注11)
この並びの中に鉱山が入っていて、え、鉱山労働者ってそういう扱いだったの? と面食らったのですが、ギリシャ語でもμέταλλοだったという。当時の鉱山労働は奴隷の仕事だったのか、単純に超キツいからか、あるいは差別の現れか何かなのか。

「記憶し給え、おお主よ、汝の数多の慈悲と慈愛を以て、汝の卑しく無益な下僕であるこの私をも。汝の祭壇を囲む輔祭達を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」)
実はこの長い儀式において輔祭に関して祈るのはここだけです。更にバシレイオスの聖体礼儀においても、二回しか言 及されていなかったりします。
…実の所、特に神殿崩壊後の人数と金にそれ程余裕があったとは思われないユダヤ人キリスト教徒に輔祭なんて雇う余裕が本当にあったんでしょうかね。信徒の著しい減少と高齢化に直面している某国の正教会も聖体礼儀を司祭だけで回したりしているのに。

「神にして我らが父なる主、神であり救世主たるイエス・キリスト、栄光の主、祝福されし本質、惜しみない善良、神にして全ての王、全てを永遠に祝福し、ケルビムに座り、セラフィムに賛美され、幾千年も前から立ち、幾万年も前から天使と大天使を率いた方」(その3、「司祭が祈る」、脚注14のちょっと上)
エルサレム神殿崩壊後に書かれたという疑惑のあるコロサイ1:15では「すべての造られたものに先立って生まれた方」という記述があり、またヨハネ福音書の冒頭でも「はじめに言葉があった」という有名な記述がありますが、エル サレム神殿崩壊前におけるユダヤ人キリスト教徒らの儀式に上記の記述があったのか、と言われるとどうでしょう。私は首を傾げますが。仮にあったのだとするならば、ナザレのイエスが十字架に付けられてから半世紀以内に、イエス・ キリストがかなり昔の時代から存在していたという考え方が成立していた、という事になります。
なおこの後に続く果物に関する祈りはおそらく原型から引っ張ってきたものでしょう。四世紀のキリスト教では不要になっている箇所ですし。

「聖なる物は聖なるへ」(その3、「彼(司祭)が贈物を掲げて朗々と述べる」)
バシレイオスが整理した聖体礼儀には領聖の前に「聖なる物は聖なる人に」という一見不思議な下りがあるのですが、 その原型はおそらくここです。つまり、原型は血を抜いた聖なる犠牲を聖なる神に捧げていたのですが、動物犠牲がなくなって言葉がそのまま残ったので意味が変わった、という事でしょう。この箇所はギリシャ語でも大文字でΤΑ ΑΓΙΑ ΤΟΙΣ ΑΓΙΟΙΣとあり、バシレイオスのそれと文言が一致します。

司祭が返答する――「神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給えてまた聖化し給う方に」
輔祭が述べる――「汝を崇め奉ります、おお神よ。天の上にあり、汝の栄光は全地に満ち、汝の王国は全く永遠に存続します」(その3、最後)
この文言を述べて司祭と輔祭が聖化されたパンとワイン、即ち聖体であるキリストの体と血を食べる(領聖する、とも言います)。
それから司祭と輔祭が一言づつ述べて、
会衆「祝福されるは彼、主の名によりて来る方」(その4、冒頭)
会衆がパンとワインを食べる。
おそらくこのような流れがあったのでしょう。

この次第を見る限り、聖職者と会衆に同時に聖体が配られる→司祭と輔祭が聖体を食べる→それから会衆が聖体を食べる、という流れになっていて、聖職者と会衆の領聖の間には殆ど時間が無かったと思われます。
一方バシレイオスおよびヨハネス・クリュソストモスによる聖体礼儀だと、至聖所で先に司祭と輔祭が聖体を分け、食べる→それから会衆に聖体が配られる→会衆が食べるという流れとなり、聖職者と会衆の領聖にしばらく、例えば日本正教会の場合10分前後の間隔が空くようになっています。
これがキュリロスとバシレイオスによる違いなのか、それとも原型にバシレイオスに手を加えたのか、その逆なのか。 そこまでは分かりませんが、少なくともこの儀式とバシレイオスによる儀式で領聖のタイミングに違いがあるのは確かです。

「汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、おお王なるキリスト、神の独り子にして父なる神の言葉。汝は我らを数えて下さった、汝の罪人にして取るに足らない下僕を、罪の許しと終わりなき命をもたらす汝の聖なる神秘を楽しむに相応しき者に。汝に栄光あれ」(その4、「輔祭が導入を開始する」、脚注3)
この箇所では明白に「言葉」=キリストです。パンとワインを食べてキリストと交わった事を感謝する祈りなのですが、 原型を保っているとされる五つの祈りからは外れています。ただ、この感謝の祈り自体はごくごく自然なものなので、 後世の付加ではない…かもしれません。ですが「神の言葉」は元から入っていたのか後で書き足されたのか、これは私には判別不能です。「御言葉」ではなく「言葉」なのはヨハネ福音書の冒頭と同じなのをどう考えるか。

「おお主なるイエス・キリスト、生きる神の子、子羊にして羊飼い。世の罪を除き給い、自由に二人の借金を取り消し給い、罪人であった女に罪の許しを与え給い、罪の許しとともに麻痺に癒やしを与え給うた方」(その4、「それから、和解の祈り」、脚注7、8)
これはルカ福音書の引用だと思われます。脚注にも書きましたが、マタイとマルコにおける類似の箇所では女に許しが 与えられていないので。
…「神の右に座す」や、使徒言行録を思わせるペンテコステの記述、そしてここと、この儀式は妙にルカ福音書の引用らしきものが見受けられます。ただしルカの文章がそのまま使われている訳では無いので、この儀式の原型を作った人々がルカ福音書に記されている事を知っていたから、とも考えられるかもしれません。単にキュリロスないし後世の趣味だという可能性ももちろんあります。
エルサレム神殿が崩壊する前、ユダヤ人キリスト教徒らがこの儀式の原型を作った段階では、おそらくまだルカは福音書を書いていなかったでしょう。そして罪人であった女が許された事をマタイが知っていたなら、それを自らの福音書で書き落とすのは不自然ですし…やはり後世の加筆と考えるのが自然でしょうか?

全体に関しての考察
この儀式においては頻繁に神、子、聖霊を並べた記述が使われますが、この大多数はおそらくキュリロスを始めとする後世のキリスト教徒によるものでしょう。身も蓋もない言い方をすれば文字を読めたかどうかも分からない当時のユダ ヤ人キリスト教徒にここまで語彙があるか、といわれると疑問符が付きますし。
ただ全部がそうか、と言われるとそれはそれで難しいです。例えばこの儀式の原型が成立した後、マタイがこれを参考 にして福音書を書いたとするなら、神、子、聖霊の並立自体はそれ以前から儀式で語られていたと考える事も出来ます。ここまで頻繁かつ整った形ではなかったでしょうけど。

…本当に個人的な考えで確たる根拠はないのですが、この儀式の原型を奉じていたユダヤ人キリスト教徒がエルサレム神殿崩壊によって四散し教団存続の危機に陥ったので、彼らを繋ぎ止める為にマタイが福音書を書いたんじゃないか、 という流れを私は想定しています。

一応の論拠として、
・バシレイオスは使っているマタイ福音書における山上の垂訓がない。原型の儀式にあるならキュリロスが採用していてもおかしくないのに。となると原型はマタイ福音書の前に成立していたのでは。
・動物犠牲を捧げていたり、「我が民族の救い」に言及したりと、神殿が崩壊するその瞬間までエルサレムから追放されなかった1程度にはユダヤ人キリスト教徒とユダヤ教に共通点があった模様。であれば原型となる儀式はユダヤ人キリスト教徒がエルサレムにいた時点に遡れる? 
・マタイ福音書は冒頭のあのゲンナリするような系譜であるとか、頻繁な旧訳(ただし大量の誤訳がある七十人訳)の引用等、ギリシャ語で話すユダヤ人キリスト教徒に旧訳との連続を主張する為に書かれている。
・キリスト=御言葉という思想に代表されるようなヨハネ福音書の影響は薄い。

…じゃあ何故マタイが民族の救済を掲げなかったのかであるとか、この儀式での頻繁なルカの引用は一体という話にもなるんですが。
この儀式はキュリロスによって作られ、バシレイオスの聖体礼儀と同じ原型を引用しているというジョン・フェンウィック氏の説は私にも頷けるものです。
儀式の始まり→トリサギオン(聖三祝文)→聖書やパウロ書簡あるいはその原型の朗読→信徒のみの儀式に移行→ケルビムの賛美歌(ヘルビムの歌)→領聖祝文(アナフォラ)→パンとワインの聖化→領聖→儀式の終わり、という流れはキュリロスとバシレイオスで共通しています。
しかしその違いは考察冒頭で書いたように相当な量になります。バシレイオスの儀式ではマリア、世俗での権力者(バシレイオスはローマ帝国皇帝を意識していたでしょう)、教会で一番偉い人が度々言及されるのですが、この儀式では彼らは然程強調されません。またバシレイオスの儀式では「主よ、憐れみ給え(日本正教会訳だと主憐れめよ)」とい う語句が会衆によって極めて頻繁に繰り返されますが、この儀式では無い訳ではありませんが明らかに数が少ないです。
一方こちらの儀式ではキリスト者が天の継承者であるという言及があるのですが、バシレイオスの儀式には山上の垂訓 (真福九端)を除けば殆どそういった記述はなかったりします。また父、子、聖霊への多彩かつ頻繁な言及や徹底的な人間の謙遜、捧げ物に関する祈り等もバシレイオスの儀式には見られないものです。そして勿論、というのも何ですが、 やはりヤコブらの儀式という体裁に沿っているからでしょう、ニケア・コンスタンティノープル信条も使われていませ ん。

あくまで個人的に、ですが。 バシレイオスらが三者への称揚と人間の謙遜をバッサリ切り落とし、後悔の祈りを痛悔にまとめたのは正解だと思います。この儀式では神の称揚と謙遜を散々繰り返している割には神に対する祈りというか一方的な要求が連連と続き、正直に言えばとても慇懃無礼に感じられるので。

ちなみにカトリックのミサとは聖書朗読、パンとワインの聖別、領聖という流れが共通する位です。探せば細かい記述にも一致があるかもしれませんが。 これはパンとワインを聖別して食べるという根本が後に共有されたとはいえ、その為の儀式はキリスト教の成立直後から各地で独自に成立、発展してきたというだけの話なのでしょう。仮にこのヤコブの名を冠した儀式の流れが古来から のものであったとしても、ローマを始めとする帝国の西方にもそれと同じ位古くから、別の様式の儀式があったと考える方がどう考えても自然ですし。

おわりに
何処かの誰かさんが「聖体礼儀には昔から権力者に対する祈りが含まれている」との宣うたので、そんな訳無いだろう迫害されていたとされる時代はどう説明するんだ、と思ってこの「ヤコブによる神の儀式」を発見、翻訳してみたら、 それ所ではない位色々なものが出てきたというのがこの文章を作った顛末なのですが。結果的に、後にキリストの体としてパンとワインを食べる形にまとまっていく儀式は今の我々が思うよりもずっと多様で、カトリックや正教会等での現在の形はそれらの一部を強調したものでしかない、という事を実感しました。

いやぁ翻訳ってのは本当に骨が折れますね。
しかし一つ一つの単語を追いかける必要があった分色々とそこから見えるものもあったので、苦労した甲斐はあった、とも思えます。
何より2017年8月現在において、「ヤコブによる神の儀式」を日本語で読みたければこの翻訳しか無いという事実がとても気持ちいいです。一番槍を切るってのはいいものですね。

まぁ、実際の所訳の質は決定稿と言えるものではありませんし、キリスト教に詳しい方や専門職の方々から見れば酷い としかいいようのない事も書いているでしょう、多分。という訳で、この訳に異論がある方にも是非自らの翻訳を提示していただけるととても勉強になります。 いやそこまでいかなくても変な所の指摘などもしていただけると私としてはとても嬉しいです。

という事で皆様、おかしな所があったら是非教えてください。
ただしお手柔らかに。

2018年8月26日日曜日

ヤコブによる神の儀式 私的考察その1

これ以降は私自身の考察の考察になります。
興味がなければ読み飛ばしていただいても結構です。
私は神学教育は受けていませんし。

一見の印象だけでも
・ほぼ全ての文言や祈りにおける多彩な父、子、聖霊の装飾。ミサや今日の聖体礼儀に比べて歴然に多い
・かつ、聖書等の引用ではないこの儀式独自の装飾もおそらく多数
・ただし「三位一体」という言葉は殆ど使われていない。だが三者は大多数の箇所で並立して語られる
・マタイ34-35や第二テサロニケにおけるようなキリストの再臨と裁きが言及されている
・エルサレムがシオンとして特別扱いされている
・使徒言行録のようなペンテコステの記述がある等、ルカの引用がいくつかある
・やはり多彩な奉献の祈り、特に血を抜いた動物と思われるものを捧げる祈り
・果物も文字通りに捧げていたように見える
・香料に関する祈りは後世の付加らしいが、香料そのものが捧げ物になっていた教会があった?
・この場合今日の正教会における舞台装置としての香料とは扱いが変わる
・後悔の祈りも幾度となく繰り返される
・様々な形で幾度も繰り返される父、子、聖霊の称揚と、行き過ぎている位の謙遜(卑屈にも見える)
・人間の理性、良心、自力は一箇所を除いて信用されておらず、それらは神によってもたらされるとする
・神は自分達を強めるに違いないと何度も懇願する
・またその割に神への要求はやたらと、厚かましい位に多い
・おかげで非常に慇懃無礼に見える
・ガラテヤ書やマタイ福音書におけるキリスト者は天の王国を継承するという思想が何度か言及される
・神品領聖と信徒領聖の間の間隙はおそらく殆ど無い
・総じて装飾が長くて多い。確かにこれは年一回もやったらお腹一杯か
・特にエルサレムが無くなって四散したユダヤ人キリスト教徒達に、こんな長い儀式をする安寧はあったか
・新約聖書の朗読はない。ただし新訳という言葉は使われている
・答唱詩編、日本正教会でポロキメンとして知られる箇所もない
・バシレイオスの時点で組み込まれている真福九端(マタイ5:3-12山上の垂訓)がない
・キュリロスないし後世の付加を除けばマリアに対する言及が無い
・除かなくても今日の正教会における程(節々で事ある毎に言及される)にはマリアには言及されない
・原型はミラノ勅令以前、つまり迫害があったとされる時代のものだからか、権力者への祈りがない
・司教といった諸教会を束ねる者への祈りもない。言及されるのは一箇所だけ
・聖堂およびその建立者に対する言及がない
・洗礼志願者(日本正教会風に言えば啓蒙者)に対する祈りがない
・「領聖祝文」として知られる領聖前の祈りがない
・少なくともこの儀式においては洗礼を受けていない者は何も食べていない
・ただし儀式の後でアンティドル(非洗礼者用のパン)にあたるものを食べている可能性はある

といった際立った特徴を読み取れます。
以下、細かい話にも言及してみます。


「そして私を罪に定め給わず、汝によって人々にもたらされた御言葉を広めるに相応しい者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす、汝と全く同一である霊と共にある方よ、今もいつも永遠に、アーメン。」(その1冒頭。脚注1)
脚注でも書いたようにThe word、ギリシャ語でτον λόγονは「御言葉」と訳しているのですが、ここではキリストとも福音とも読めます。そもそもギリシャ語ではこの段落にτον λόγονは無かったんですが。
以後、「言葉」「御言葉」が明らかにイエス・キリストを指す箇所は四つあるのですが、その三つが後世、あるいはキュリロスによる記述が疑われる箇所です。原型が保存されているとされる懇願の祈りにおいて、一箇所(その3脚注10)The wordとτον λόγονが一致するのですが、ここでの「御言葉」はキリストかその福音か何とも言えません。最後の方(その4脚注3)には「神の独り子にして父なる神の言葉」という下りがあり、ここは完全に言葉=キリストで、原型とされる五つの祈りからは外れるのですがもしやすると…といった所です。
ヨハネ福音書を端緒とするイエス・キリスト=御言葉という発想は初期のユダヤ人キリスト教徒にあったのかどうかはちょっと何とも言えません。ただ福音書が成立する前から、キリストの言行を世界全て(の民族なのか、それとも世界全てのユダヤ人なのかは断定不能)に伝えようという動きがユダヤ人キリスト教徒にもあったとは言えるかもしれません。この一箇所を信頼していいのなら。

「そして我らの肉体と魂に巣食う悪魔の臭いを芳しい香りに変え、汝の全く聖き聖霊の力によって我々を清め給え」(その1「冒頭における香料への祈り」)
実は新約聖書だとよく言及される「悪魔」は、旧約聖書では殆ど触れられなかったりします。一方で、主にヨブ記でよく言及される「サタン」はこの儀式においては一回も出てきません。
神に従い悪魔に立ち向かうべし、という発想はヤコブの手紙にもあります。もっともこの手紙は偽書らしいですが。とはいえパウロ書簡や他の人の手紙でも、悪魔の影響を避けよという言及は何度か、そう頻繁ではないのですがされています。という事で、最初期のキリスト教徒の間にも悪魔に対する恐れはあったのかもしれません。
この儀式において悪魔(devil)は四度使われており、その内二つは後世の付加と脚注で書かれている香料への祈りですが、残りの二つは原型に由来するのかも。 なお一世紀後半から二世紀に成立した『ディダケー』では悪魔が一度も言及されていなかったりもします。

「それから旧約聖書における聖なる予言と預言者の記述が読まれ、神の子の受肉、彼の受難と死からの復活、天への御昇り、栄光に包まれての二度目の来臨が表明される。これらの朗読は日々聖なる神の儀式において行われていた」(その1)
今日、正教会で行われているバシレイオス及びヨハネス・クリュソストモスの聖体礼儀には旧約聖書の朗読は含まれていません。一方、この二人及びエルサレムのキュリロス以前に原型があったであろうローマ教会、今日のカトリックにおけるミサにおいては旧訳朗読が含まれています。となると、バシレイオスが何らかの理由で旧訳の朗読を外したと考えるのが自然ですが、 さて。
と同時に、370年の時点ではまだローマ帝国が東西分裂していないのですが、バシレイオスの聖体礼儀が確立した段階(その時点では既に395年を過ぎているでしょう)では既にローマ教会とコンスタンティノープル教会はお互いの儀式には干渉できない程度には独立していた事も伺えます。
またこの記述は、福音書やパウロ書簡が確立する前からの残滓と見てもいいかもしれません。もしあるならここで読まないほうが不自然でしょうから。

「朗読と教えの後、輔祭が唱える」(その1)
ここに限らず、司祭や輔祭は神に色々な事を祈願するのですが。
そこで祈られている事はバシレイオスによる聖体礼儀にも一部共通しています。順番は別々ですが。以下、対応する所を日本正教会訳の大連祷と合わせて抜粋してみます。「」内が日本正教会訳です。

「上より降る安和と我等が霊の救いの為に主に祈らん」
(日本正教会はsoulを「霊」と訳しています)
天上からの平和と我らが魂の救いの為に。主に祈願しよう

「全世界の安和、神の聖なる諸教会の堅立、及び衆人の合一の為に主に祈らん」
全世界の平和の為に、神の聖なる教会全ての結合の為に。主に祈願しよう。

「此の聖堂,及び信と慎と神を畏るる心とを以て,此処に来る者の為に主に祈らん」
対応なし

「教会を司どる我等の尊貴なる(府主教ないし大主教)、司祭の尊品、ハリストスに因る輔祭職、悉くの教衆、及び衆人の為に主に祈らん」
対応なし

「我が国の(国王)、及び国を司る者の為に主に祈らん」
対応なし

「此の都邑と凡の都邑と地方,及び信仰を以て此の中に居る者の為に主に祈らん」
記憶し給え、おお主よ、全ての都市と国を、そこに住む真実の信仰を持つ者を、彼らに平和と安寧を。 (別の箇所。その3、「そして身を屈め、述べる――」)。

「気候順和,五穀豊穣,天下泰平の為に主に祈らん」
順調な気候、平和の雨、恵み深き雫、豊かな収穫、善き季節の順当な区切りを。御恵みの冠を。神に乞い願おう。
(別の箇所。その2、輔祭がいろいろ祈る所。およびその3、「そして身を屈め、述べる――」)。

「航海する者、旅行する者、病を患うる者、艱難に遭う者、虜となりし者、及び彼等の救いの為に主に祈らん」
神に乞い願おう。船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者の為に。また捕縛、亡命、監禁、辛い隷従を強いられている同胞達が平和に戻れるように。 (別の箇所。その2、輔祭がいろいろ祈る所。その3の「そして身を屈め、述べる――」にも微妙に節回しの違う似たような箇所があります。)

「我等諸の憂愁と怒と危難とを免るるが為に主に祈らん」
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、捕囚、悲痛な死、我々の内にある悪からの救いの為に。

「神や爾の恩寵を以て、我等を助け、救い、憐み、守れよ」
我らを守り給え、我らへの慈悲を以て。我らを憐れみ保ち給え、おお神よ、汝の恵みを以て。(別の箇所。輔祭がいろいろ祈る所)。

「至聖至潔にして至りて讃美たる、我等の光栄の女宰、生神女、永貞童女マリアと、諸聖人とを記憶して、我等己の身、 及び互に各の身を以て、並に悉くの我等の生命を以て、ハリストス神に委託せん 」
我らの全く聖なる、純粋にして、最も栄光ある、神の母にして永遠の乙女マリア、及び世界の始まりから汝をよく喜ばせた全ての聖人達を祝わん。我ら自身を、互いを、我らの生命全てを、我らが神なるキリストに捧げん。
(別の箇所。脚注4、「司祭が述べる」)。前述の通りマリア云々は後世の加筆。

…と、こんな感じでどうやらバシレイオスとキュリロスが同一の原型からちょっとづつ違う形で引用した、という説にはかなり説得力があるように思えます。一方ローマの教会ではこれらの祈願はばっさり削除され、あるいは元々これらの祈願が存在してなかった故か、共同祈願にまとめられる事になります。

「神は、我らに汝の神なる救いの予言を教え給うた方は、我らの魂が罪人である事を語る前に理解させる光。 それ故に我らは実直な信仰、潔白な生活、純粋な会話を求めようとしながら、魂に由来する物が聞こえないのみならず、善行を成す事もかなわなくなった。」(その1。脚注14の直後)
 「魂が罪人」とまで言ってしまうとなると、この箇所を書いた人は原罪を意識していたと考えるのが普通、だとは思います。この箇所はバシレイオス以降の聖体礼儀では採用されておらず、となるとキュリロスか、あるいは後悔の祈りが原型からあるという説に従うなら、ローマ人への手紙5:12-21でパウロが言及するように、最初期のキリスト教徒は原罪を強く意識していたのかもしれません。ただし、「罪人」である事は他の箇所でも散々繰り返されますが、「魂が罪人」とまで書いているのはここだけです。

「洗礼志願者、洗礼を受けていない者、我々とともに祈りの場に参加できない者はご退去を」(その1、脚注15)
最初期のキリスト教にも洗礼を受ける前に準備期間があったのは確かとの事です。ただし洗礼志願者が退去まで要求されるようになったのはいつ頃かはちょっと分かりませんし、この文章が原初からのものなのかも何とも。
後日東西を問わず洗礼を受けていない者も出ていかなくていい事になったのですが、正教会においてはこの 文章だけが後に残りました。これが日本正教会における「衆啓蒙者出でよ」という下りです。「出でよ」と言うと今日では「出てこい」という響きになりますが、実は「出て行け」という意味です。

「司祭が聖なる贈物を手に、祈る――」(その2、脚注1)
原文の脚注には、パンとワインそのものが儀式を通す前からキリストの肉と血とされている、という迷信が存在していた…と書かれていますが。そもそもこの儀式の原型と思われるユダヤ人キリスト教徒の日曜礼拝には聖餐が組み込まれていなかったらしい、というのは冒頭に書いた通りです。
実際、ここの記述は聖別される前の単なるパンの扱いとしては実に仰々しいものです。儀式の最中にパンが キリストの体になるのがバシレイオス以降の聖体礼儀である事を考えると、パンとワインそのものが聖なるものであるとしているこの下りはそれ以前の古い習慣から来ているという指摘は頷けるものです。
さて、元々は日常の食事でパンとワインをキリストの肉と血として聖化してその場で食べていたらしい、という事にもまた冒頭で触れたのですが、これを踏まえると、
1、始めは食卓を共にしているキリスト教徒達が、その場その場でパンとワインを聖化していた
2、おそらく二世紀頃、日曜礼拝に前日の食卓ですでに聖化しておいたパンを持ち寄り、一斉に食べるようになった。「司祭が聖なる贈物を手に、祈る――」でパンそのものを聖なるものとしているのは、元々先に信徒達の食卓で聖化を済ませていたからではなかろうか
3、それから間もなく、日曜礼拝でパンとワインを聖餐にして食べる今日の形になり、始めの習慣が廃れた
という流れが見えるように思えます。証拠とかは一切ないんですけどね。

「聖なる接吻を以て互いに挨拶を交わしましょう。我らの頭を主に屈めましょう」(その2、「司祭が身を屈め、この祈りを告げる――」の直前)
ルカ7:45、ローマ16:16、第一ペテロ5:14などによると、挨拶として接吻するのは当時において珍しく もない習慣だったようです。
ちなみに、カトリックでは二十世紀後半になってミサにおける信徒同士の挨拶が復活(接吻はしませんが) しています。一方バシレイオスは互いへの挨拶を採用しなかった為、今日に至るまで東方正教会の聖体礼儀には挨拶する箇所はありません。

「純潔のまま生きている者、独身者、規律の内に在る者、聖なる結婚をした者の為に。また教父、及び地上における山、洞穴、洞窟で苦行にある同胞達の為に」(その2、輔祭がいろいろ祈る所の脚注4)
この文脈だと「聖なる結婚」は神との結婚を意味するかもしれません。単に規則に基づいた合法な結婚かも れませんが。原始キリスト教の時代で結婚禁止といえばグノーシス主義が有名ですが、そこまでいかなくとも禁欲や純潔への親近感は原初から存在していました。例えば、パウロは結婚しなくて済むならその方が いいと断言していますし、洗礼者ヨハネのグループも禁欲を旨としていました。
ちなみにこの箇所が370年に書かれたとするとその時点で修道生活の祖アントニウスは世を去っており (356年死去とされる)、キュリロスは彼らの存在を念頭に入れていた可能性もあります。

「おお神よ、汝の独り子を世界に送り汝の偉大にして語りがたき愛を示したのは、彼が迷える羊を呼び戻し、我らを罪人として拒まず、この慄きつつ血を抜いた犠牲を汝の物として手に入れ給うが為。我らが我ら自身 の公正さではなく、汝の善き慈悲を信頼するは、汝が我らの民族を狩り集める存在である故」(その2、司祭の長口上、脚注8)
「天から降り、聖霊及び乙女にして神の母マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの 民族を救う為の統治を成し遂げた方」(その3、司祭が贈物の前で十字を切り、述べる、脚注3)
「我らの民族」を救う存在として神やキリストが語られているのはこの二箇所です。迷える羊の飼い主とか、 民族を救う為の統治であるとか、いかにもキリストが来る前のユダヤ人によるメシア信仰の影響に見えます。「我らの民族」ではない異邦人であるキュリロスや後世のキリスト教徒がわざわざ民族の救済という記述を書き足すとは常識的には考えがたいので、ここは原始教会におけるユダヤ人キリスト教徒が、パウロ達とは無関係な教会で書いた箇所だと私には思えます。ただ、この記述が単なる痕跡なのか、あるいはユダヤ人で あったヤコブ、ないしこの記述を書いた人々がユダヤの血脈を重んじていたのかはこれだけだと何とも言えません。
なおこの儀式でもよく使われる「父と子と聖霊」という言葉を初めて並べ、ユダヤ人キリスト教徒向けに福音書を書いたとされるマタイは「我らの民族」の救いは一度も主張していません。マタイはヤコブ派のこの儀式に与っていたのか、それとも別の教会に所属していたのか? 

「天の天にありすべてを司る方に賛美を。太陽、月、星星の歌声を。地と海とそこにある全てを。エルサレ ム、天上の集いであり、天に記されし始まりの教会を。正しき人と預言者達の霊を。殉教者と使徒の魂を。天使、大天使、座天使、主天使、権天使、力天使、恐るべき能天使、数多の目を持つ智天使、六枚の羽根を背負い二枚の羽根で顔を、別の二枚の羽根で足を、更なる二枚の羽根で飛翔する熾天使、互いを休む事なき唇で、絶え間なく叫ぶように賛美する者達を」(その3、「それから司祭が祈る」)
ここの他にも二箇所ほどエルサレムが特別扱いされている箇所があるのですが、これが原始教会のユダヤ人 キリスト教徒によるものなのか、特別な地位を与えられる事になった後世のエルサレム教会によるものか、 更に言えばエルサレム教会の主教だったキュリロスによるのかは難しい所です。神殿崩壊前のエルサレムにあった原始教会が他のユダヤ教徒のようにエルサレムを神の都とみなしていても不思議ではないのですが、 三箇所のいずれも改ざんが疑われる箇所を伴ってもいます。
またここでは後に偽デュオニソス・アレオパギタによって体系化される九大天使が言及されているのですが、 これは後世の付加でしょう。天使、大天使、智天使(ケルビム)、熾天使(セラフィム)以外は聖書に直接の記述が無いですし。…いや一世紀からこれらの天使の存在が認められていた可能性もゼロではない、ない、 かなぁー…?

「土から自らの像と肖として人を作った方。其に楽園の喜びを与えた方。其が掟に背き去った後、其を無視 せず見捨てなかった方、おお善き方、しかして其を慈悲深き父として罰し、律法によって其を呼び、預言者達によって其を導いた方。その後汝の独り子、我らが主イエス・キリストを世界に送りし方、彼の来たるによりて彼は汝の像を新しく復元なさった」 (その3、「司祭が贈物の前で十字を切り、祈る――」、脚注1)
この「汝の像を新しく復元なさった」という記述があり、imageとlikenessの内imageだけが復元されたとあるので「似姿」という広く知られる訳語を使えませんでした。
ここで新しく復元されたのが「像」、つまり神によるイメージと言うか設計図だけで、「肖」、つまり神に 似ている事ではないのは注目に値します。これはイエス・キリストによっても「肖」は回復されていないと認識されていた、と考えるべきでしょうか?
ちなみに、後の正教会は「肖」を(並外れた)信徒生活によって回復できると考えるようになり、これをΘέωσις「神成」あるいは「神化」と呼んでいます。

ただしこの記述が何時の時点で書かれたのかは難しい所です。第二コリント3:18では「わたしたちはみな、 顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである1」とあるのですが、ここで変えられていくのは「同じ姿」即ち「肖」で「像」ではありません。
ユダヤ人キリスト教徒による原始教会に「像」が復元されたという発想はあったかどうか。コロサイ23:9-10においては「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、 真の知識に至る新しき人を着たのである」とあり、ここではimage(かたち)が新しくされたとあるのですが、その直後に「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、 自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」と続いています。 
しかしこの儀式では直後に「天から降り、聖霊及び乙女にして神の母マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの民族を救う為の統治を成し遂げた方」とあり、記述がぶつかっています。書いた人がそこまで考えてなかったと言われればそれまでですが。

2018年8月25日土曜日

ヤコブによる神の儀式 その4

輔祭がそれを横の机に置く際に、司祭が述べる1――
主なる我らが神の名によって祝福される、永遠に。

輔祭
神への畏れを以て、及び信仰と愛を以て、近づこう。

会衆
祝福されるは彼、主の名によりて来る方2

再び輔祭が円盤を横の机に置く際に、述べる――
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
汝の民を守り給え、おお主よ、汝の継承者を祝福し給え。

司祭再び
我らの神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給う方に。

聖杯を聖なる机に戻す際に、司祭が述べる――
祝福されるは主の名、全く永遠に。

輔祭と会衆が述べる――
我らの口を汝への賛美で満たそう、おお主よ。我らの舌を楽しみで満たそう、汝の栄光と、汝の偉大なるをいつでも歌えるように。

再び――
我らは汝に感謝を伝えます、我が神キリスト、汝は我らを汝の体と血を食するに相応しい者として下さった、罪の許しと終わりなき命のために。汝の善良と愛において、我らは祈ります、我らを罪に定める事のなきに保ち下さる事を。

最後の導入における香料の祈り
我らは汝に感謝を伝え奉る、救世主にして全ての神、全ての善き物を汝は我らに与え、汝の聖なる純粋なる神秘に我らを参加させ給う。我らは汝にこの香料を捧げ、祈る。我らを汝が翼の影に留め給え、我らの息が絶えるまで我らの魂と体を聖化する汝の聖なる儀式に参入するに相応しい者と成し給え、聖なる王国を継承する為に。汝において、おお神は、我らを聖化し給う。我らは賛美と感謝を汝に捧げる、父、子、聖霊に。

輔祭が導入を開始する
汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、おお王なるキリスト、神の独り子にして父なる神の言葉3。汝は我らを数えて下さった、汝の罪人にして取るに足らない下僕を、罪の許しと終わりなき命をもたらす汝の聖なる神秘を楽しむに相応しき者に。汝に栄光あれ。

導入を成す間、輔祭はこのように述べ始める――
何度も何度も、いつの時でも、平和の内に、主に祈願しよう。彼の聖なる儀式への参加は我らをあらゆる誤った事柄から遠ざけ、我らの終わりなき生命への旅を支えて、聖霊の交わりと贈物となる。

司祭が述べる
我らの全く聖なる、純粋にして、最も栄光ある、神の母にして永遠の乙女マリア4、及び世界の始まりから汝をよく喜ばせた全ての聖人達を祝わん。我ら自身を、互いを、我らの生命全てを、我らが神なるキリストに捧げん。

会衆
汝に、おお主よ。

司祭
おお神よ、汝の偉大さと語りがたき愛において汝が下僕の弱さを慮り、我らをこの天の食卓における食事に値する者に数え、汝の純粋な神秘に与る我らを罪人として糾弾し給わぬ方よ。しかし我らを聖きに保ち給え、おお善き方、汝が聖霊の聖化によって。世界の始まりから汝をよく喜ばせていた汝の聖人全てを我らが引き継ぎその役割を見いだせるように。汝の独り子、我らが主にして神である救世主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖にして、善き、力をもたらす精霊と共にあり給う方の慈悲において。祝福され賛美されるは汝の全く高貴にして栄光ある名、父、子、聖霊、今もいつも、全く永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

輔祭
皆の頭を主に屈めよう。

司祭
おお主よ、偉大にして驚くべき方、その目を汝の下僕、汝に頭を垂れる我々に向け給え。汝の御手、強きにして祝福に満ちたるを伸ばし、我らを祝福し給え。汝の相続人たる我々にいつも何時でも汝を賛美させ給え。我らの唯一の生にして真実なる神、聖にして本質を同じくする三位一体5、父、子、聖霊6よ、今もいつも。

(司祭)朗々と
我ら全てが汝に属し汝を賛美するによりて、栄光、崇拝、感謝が、父、子、聖霊に、今もいつも。

輔祭
キリストの平和において歌おう、

そして再び述べる
キリストの平和において進もう。

会衆
主の名において。司祭様、祝福を発して下さい。

終祭の祈りが、輔祭によって述べられる
栄光から栄光へと進もう、我らは汝を賛美する、我らの魂の救い主を。栄光は父、子、聖霊に今もいつも、全く永遠に。我らは汝を賛美する、我らの魂の救い主を。

司祭が祭壇から祭具室への祈りを述べる
力から力へと進まん、汝の寺院における神の儀式全てを満たせ。今なお我らは汝に祈願する、おお主である我が神よ、我らを完全なる親愛に相応しき者とし、我らの道を真直ぐに成し、我らに汝への畏れを根付かせ、我らを天上の王国に相応しき者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と共にあり給う方に、今もいつも、永遠に。

輔祭
何度でも、如何なる時も、平和の内に主に祈願しよう。

役割を果たした祭具室での祈り
汝は我らに与え給う、おお主よ、汝の独り子、イエス・キリストの全く聖なる体と尊き血との繋がりによる聖化を。汝の善き霊の恵みを与え、我らを信仰において罪なしに保ち、我らに完全な選択と贖いと来るべき永遠の喜びに導き給う。汝が我らの聖化と光であり給うが故に、おお神、汝の独り子、汝の全く聖なる霊よ、今もいつも、全く永遠に。アーメン。

輔祭
キリストの平和の内に見つめよう。

司祭
祝福されるは神、聖にして、力をもたらす、純粋な神秘において祝福して聖化し給う方。今もいつも、全く永遠に、 アーメン。

それから、和解の祈り
おお主なるイエス・キリスト、生きる神の子、子羊にして羊飼い。世の罪を除き、自由に二人の借金を取り消し7、罪人であった女に罪の許しを与え8、罪の許しとともに麻痺に癒やしを与え給うた方。許し、弱め、赦免し給え、おお神よ、我らの無礼を、望むと望まずにおいて、知ると知らざるとにおいて、逸脱と反抗によるものを。汝の全く聖なる霊は汝の下僕によって成されるよりも良しと知っておられるが故に。
そしてもし、この世界に住みこの世界による体を持つ者達が、悪魔の言葉ないし行いによって動かされるか、呪いの下にあるか、あるいは何か特別の誓いによって、汝の掟に完全に背くのならば。私は汝の語りがたき親愛に祈願し懇願する、彼らを悪魔の言葉から解き放ち、呪いと特別の誓いから救い出すものに、汝の善良によって。真に、おお王なる主よ、汝の下僕らに代わりし私の懇願を聞き給え、汝が彼らの過ち全てを見過ごし、これ以上を記憶し給うな。彼らに依り及び依らざる、全ての逸脱を許し給え。彼らを終わりのなき罰から救い給え。汝によりて彼は我らを率い、述べ給う。そなたらを地上に繋ぎ止める物は天において繋ぎ留められ、そなたらを地上から解放する者は天 において開放されると。汝は我らの神、哀れみ給う神、救いと罪の許しであるが故に。汝による栄光は、永遠の父、力をもたらす霊と共に、今もいつも、全く永遠に、アーメン。

2018年8月24日金曜日

ヤコブによる神の儀式 その3

領聖の祝文

それから司祭が朗々と――
父である主の愛、子である主の恵み、聖霊による分かち合いと贈物は、我ら全てと共に。

会衆
そして汝の霊に。

司祭
我らの精神と心を天に向けましょう。

会衆
それは正しく妥当なる。

それから司祭が祈る
実にそれは正しく妥当に、相応しきものとなる。汝を賛美し、汝を歌い、汝を崇め、汝を崇拝し、汝の栄光を讃え、汝に感謝を捧げる為の。見えると見えざるありとあらゆる創造物の創り手、永遠に善くある宝物、命と不死の泉、神にして全ての主なる方に。
天の天にありすべてを司る方に賛美を。太陽、月、星星の歌声を。地と海とそこにある全てを。エルサレム、天上の集いであり、天に記されし始まりの教会を。正しき人と預言者達の霊を。殉教者と使徒の魂を。天使、大天使、座天使、 主天使、権天使、力天使、恐るべき能天使、数多の目を持つ智天使、六枚の羽根を背負い二枚の羽根で顔を、別の二枚の羽根で足を、更なる二枚の羽根で飛翔する熾天使、互いを休む事なき唇で、絶え間なく叫ぶように賛美する者達を。

(司祭)朗々と
朗々たる声で壮麗なる汝の栄光を称える賛美歌を歌わん、叫ぶような声で、讃え、吠え、そして述べん――

会衆
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、おお万軍の主、天地は汝の栄光に満ちる。いと高き所にホザンナ、祝福された 彼は主の名によって来たる、いと高き所にホザンナ。

司祭が贈物の前で十字を切り、告げる――
聖なるは汝、永遠なる王、あらゆる神聖の主にしてこれを与え給う方。また聖なるは汝の独り子、我らが主イエス・キリスト、汝によって万物を創り給う方。また聖なるは汝の聖霊、万物を、汝の深淵なるものをも見通し給う方、おお神よ。聖なるは汝、全能なる、全く力強き、善き、恐るべき、慈悲に満ち給いし、汝の被造物に誰よりも慈愛をもたらし給う方。土から自らの像と肖1として人を作り給う方。其に楽園の喜びを与え給う方。其が掟に背き去った後、其2を無視せず見捨てなかった方、おお善き方、しかして其を慈悲深き父として罰し、律法によって其を呼び、預言者達によって其を導き給う方。その後汝の独り子、我らが主イエス・キリストを世界に送り給いし方、彼の来たるによりて彼は汝の像を新しく復元し給う。
天から降り、聖霊及び乙女にして神の母3マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの民族4を救う為の統治を成し遂げた方。十字架において自らの意志によって生命をもたらす死を耐え忍び、罪なき彼が我々の為に罪人となり給いしは、彼が裏切られた、否、世界の生命と救いの為に彼が自らを委ね給うたあの夜に於いてである。

それから司祭がパンを持ち、告げる――
彼の聖にして純粋なる罪なき不滅の手からパンを受け取れ。天に目を向け、彼の神にして父である汝にそれを示さん。 彼は感謝と崇敬を受け、裂かれ、それは我らに与えられた。彼の弟子と使徒が言うは――

輔祭が述べる5
これは罪の許しと終わりなき生命の為。

会衆
アーメン。

それから司祭が杯を持ち、告げる――
このように、晩餐の後、彼は杯を手に取りワインと水を混ぜ合わせ給う。天に目を向け、彼の神にして父である汝の前 にあれ。彼は感謝と崇敬を受け、杯を祝福し、これを聖霊で満たし、我らに与え給う。彼の弟子は告げる、そなた達よ、 皆でこれを飲め、これはあなたと多くの者の為に流された新訳の血、罪の許しの為に分け与えられたもの。

会衆 アーメン。

司祭
これは私に思い起こさせる。そなたがこのパンを食べ、杯を飲む度に、そなたは主の死を思い、彼の復活を告白する、彼が来られるまで。

輔祭
我らは信じ、告白する、

会衆
我らは汝の死を思い、おお主よ、汝の復活を告白する。

司祭(奉納する)
故に記憶する、命をもたらす彼の苦難を、救いの為に彼が架かり給いし十字架を、彼の死と埋葬を。そして彼は三日目に死から復活し、天に昇り、我らの神にして父である汝の右手に座し給う。そして栄光に満ちた恐るべき彼の二度目の降臨において、彼は栄光と共に来たりて生と死を審判し、彼の働きを以て万人に宣告し給う。たとえ我らが罪人であろうと、汝に、おお主よ、慄きつつ血を抜いた犠牲を捧げ、汝が我らを罪を犯した者と見做さず、我らの内にある悪に報いを下し給わぬ事を祈る。
しかし汝は、汝の慈悲と語りがたき親愛によりて、汝の懇願者である我らの罪状を見過ごし、消し去り給う。汝は我らに汝が整えたる(その目は見ず、耳は聞かず、我らの心に立ち入らない6)天上の永遠なる贈物を与え給う、おお神よ、汝を愛する者達の為に。そして、おお愛する主よ、人々を私によって、また私の罪によって拒み給う事なかれ。

それから司祭が三度述べる――
汝を乞い願う汝の民と教会の為に。

会衆
我らを憐れみ給え、おお主なる我らの神、全能の父よ。

司祭が再び述べる(嘆願する)
我らを憐れみ給え、おお全能の神。
我らを憐れみ給え、おお我らの救い主たる神。
我らを憐れみ給え、おお神よ、汝の偉大なる慈悲によりて。我らと我らの捧げし贈物に、汝の全く聖なる霊を賜う事を。

それから首を屈め、述べる――
王にして力をもたらす霊は、我らの神である父、及び汝と共に統治する汝の独り子と共に汝の王座に座り、それらは本質を同じくして7、共に永遠にあり給う。律法と預言者と新訳において語られたるは、我らが主イエス・キリストがヨルダン川に浸かり、住み給う事。及び、ペンテコステの日に聖にして栄光あるシオンの屋上の間8において炎のような舌が使徒達に降りたる事。この汝の全く聖なる霊は送られ給う、おお主よ、我々の元に、また捧げられた聖なる贈物に。

司祭が背を伸ばし、朗々と述べる――
それは来たる、彼の聖にして善く栄光に満ちた現れによって。彼はこのパンを聖化し、汝キリストの聖なる体と成す。

会衆
アーメン。

司祭
そしてこの杯を汝の尊き血と成す。

会衆
アーメン。

司祭、立ったまま
それらは食した者全ての罪の許し、終わりなき命、魂と体の聖化、善き業の果実の実り、汝の聖にして普遍なる、汝が 信仰の岩に建てた教会の確立となろう。地獄の門はそれを打ち破る事なく、あらゆる異端と醜聞、悪を成す者から守られ、時が満ちるまで保たれる。

そして身を屈め、告げる――
我らはまたそれらを汝に贈る、おお主よ、汝のキリストが聖なる現れと汝の全く聖なる霊の訪れによって、汝が賛美し給う祭壇へと。特に栄光に満ちたシオン、全ての教会の母9、世界の隅々まで広がる汝の聖なる、普遍なる使徒の教会は、今でさえ、おお主よ、汝の全く聖なる霊の豊かな贈物の上に建てられている。
また記憶し給え、おお主よ、そこにありし我らの聖なる教父と同胞を、全地にある司祭ら、汝の真なる神の御言葉10を正しく分け与える者らを。
また記憶し給え、おお主よ、全ての都市と国を、そこに住む真実の信仰を持つ者を、彼らに平和と安寧を。
記憶し給え、おお主よ、船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者を。我らの教父と同胞、枷、監禁、捕縛、 亡命の中に、鉱山11、拷問、辛い隷従の中にいる人々を。
記憶し給え、おお主よ、老いて弱った者、病と苦しみの内にある者を。不浄な霊に苦しめられる者に、汝の速やかなる癒やしと、おお神よ、彼らの救いを。
記憶し給え、おお主よ、苦難と苦痛の中にあり、汝の慈悲と助けを必要としているあらゆるキリスト者の魂を。おお神よ、過ちからの帰還を。
記憶し給え、おお主よ、我らの教父と同胞を、重き労苦を背負い、我らの司祭を務める者らを、汝の聖なる名によるを以て。
記憶し給え、おお主よ、善きの全てを。全てに慈悲を、おお主よ、我ら全てと和解し給え。汝の民の多くに平和を、醜聞から遠ざけ、戦に終わりをもたらし、異端の勃興を止め給え。汝の愛と平和を我らにもたらし給え、おお主にして我らの救い主、地の全ての終末における希望よ。
記憶し給え、おお主よ、順調な気候、平和の雨、恵み深き雫、豊かな収穫、御恵みの冠を、汝の善良を以て。汝を待ち望む全ての目の為に、汝が然るべき時に彼らに食物を与え給え。汝はその手を広げて、喜びを以て全ての生きる物を満たし給う。
記憶し給え、おお主よ、果実をもたらす者、神の聖なる教会において立派な働きをする者を。貧者、寡婦、孤児、異邦人、愛を求める人を忘れぬ者を。我らの祈りにおいて言及される事を望む者を。
更に、主よ、この日汝の聖なる祭壇に捧げ物を奉る者らを喜びを以て記憶し給え。また各々がそれらの捧げ物において心に留めた人々を、今この時に汝に向かい合う人々を。
記憶し給え、おお主よ、汝の数多の慈悲と慈愛を以て、汝の卑しく無益な下僕であるこの私をも。汝の祭壇を囲む輔祭達を。寛大に彼らに罪なき命をもたらし、彼らの司祭を罪無きに保ち、彼らの為に善き位を手に入れ給う事を。我らが慈悲と恵みを見いだせるように、世界の始まりから幾世代に渡り、汝をよく喜ばせたあらゆる聖人において。遠き父祖、 父祖、主教、預言者、使徒、殉教者、告白者、教師、聖人、及び全ての正しき魂は汝キリストへの信仰によって完全と なった。
栄えあれ、マリア、殊に好まれたる、主は貴女と共にある。貴女は女性の中で祝福され、貴女の子宮による果実も祝福され給う、貴女が我らの魂の救世主を産み給うたが故に12


輔祭 我らを記憶し給え、おお主なる神。

司祭が屈み、述べる――
記憶し給え、おお主なる神よ、我らが記憶する者、記憶しない者、公正なるアベルから今日までの、真実の信仰を持つ者の、その魂と全ての肉体を。かの地に住まう彼らに安息を与え給え、汝の王国に、楽園の喜びに、アブラハム、イサク、ヤコブ、我らが聖なる教父の胸中にある者に。痛み、悲しみ、嘆きから解放され、
汝の顔の光が、永遠に彼らを照らす処にある者に。13
我らキリスト者の生命の終わりを、相応しき、罪のない、平和の内にあるものと成し給え、おお主よ。我らを共に集わせ給え、おお主よ、汝が選びし者を汝の足元へと、汝が望む時に、汝が望むままに。恥と逸脱の無き事を、汝の独り子、 神にして主である救世主イエス・キリストにおいて。彼は大地にあったものの内、唯一罪なきものであり給いし故に。

輔祭 そして祈ろう――
全世界の平和と安定の為に、神の聖なる教会の為に、各自が贈物を捧げた者、その際に祈念した者の為に。ここに立つ人々、そして全ての男、全ての女の為に。

会衆
そして全ての男、全ての女の為に。(アーメン)

司祭朗々と述べる
彼らと我ら両方の為に、汝が汝の善良と愛においてなし給わん。

会衆
許し、弱め、赦免し給え、おお主よ、我らの逸脱を。自らに依りて及び依らざる、知りながら及び知らざるの故に、夜と昼に、思いと意図によるものを。汝の善良と愛において我らの逸脱全てを許し給え。

司祭
恵みと慈愛と愛をもたらすは汝の独り子、汝によって祝福され賛美され給いし方、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と共にあり給う方による、今もいつも永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
あなたの霊にも。

輔祭
再び、続けて、平和の内に主に祈ろう。
主である神がもたらし聖化し給うた贈物を、高貴にして、天の、語り難き、純粋なる、栄光に満ちた、恐るべき、凄まじき、神のものの為に。
祈ろう。
我らの神である主が、聖にして天上にある彼の祭壇へと寛大にもそれらを受け取り給う事を。理性と魂は、甘き魂の救い主の香りによって、神の恵みと全く聖なる霊の贈物を我らへの返答として見出すだろう。
祈ろう。
信仰の繋がりの為に、彼の全く聖にして崇敬される霊との交わりの為に祈ろう。
我ら自身とお互いを、我らの生命全てを委ねよう、我らの神キリストに。

会衆
アーメン。

司祭が祈る
神にして我らが父なる主、神であり救世主たるイエス・キリスト、栄光の主、祝福されし本質、惜しみない善良、神にして全ての王、全てを永遠に祝福し、ケルビムに座り、セラフィムに賛美され、幾千年も前から立ち、幾万年も前から天使と大天使を率い給いし方。汝は贈物、捧げ物、甘き霊の匂いである香として汝に捧げられた果物を受け取り、これらを喜び、聖化し、完全とし給う。おお善き方、汝のキリストの恵みと、汝の全く聖なる霊の現れによって。

(司祭)朗々と
我らを持ち主として数え給え、おお愛する主よ、大胆さの、純粋な心の故に罪に定まる事なき、悔恨の魂の、聖化された唇の。敢えて名を呼ぶ為に、汝、聖なる神、天の父の。そして述べる。

会衆
天におられる我らの父、汝の名は聖とされ、独唱において在り給う。

司祭、屈んで述べる(声を詰まらせ)14
我らを誘惑に陥らせ給うな、主、あらゆる主人の主よ。我らの弱さを知り、邪悪なるものとその行いから、その悪意と狡猾さから救い給う方よ。我らのへりくだりにおける、汝の聖なる名によりて。

(司祭)朗々と
王国と、力と、栄光は、父、子、聖霊たる汝のもの。今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
あなたの霊にも。

輔祭
頭を屈めて主に祈ろう。

会衆
汝に、おお主よ。

司祭が祈り、このように話す――
汝よ、おお主よ、我らは汝の祭壇に頭を垂れる汝の下僕にして、汝による豊かな慈悲を待ち望むもの。 下し給え、おお主よ、汝の大いなる慈悲と祝福を。我らの魂、体、霊を聖化し、汝の聖なる神秘を受け取り食するに相応しき者と成し給え、罪の許しと終わりなき命の為に。

(司祭)朗々と
崇拝と賛美は汝の為、神、汝の独り子、汝の全く聖なる霊に、今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭、朗々と述べる
聖にして本質を同じくするは恵みと慈悲、作られしに非ず、崇拝さる三位一体、我ら全てと共にあり給う。15

会衆
そして汝の霊と共に。

輔祭
神への畏れにおいて、目を向けよう。

司祭、密かに述べる――16
おお聖なる主、聖なる場所に住まう方は、汝が慈悲の御言葉17、及び汝が全く聖なる霊の訪れによりて我らを聖化し給う。汝において、おお主よ、述べ給うは、そなたらは聖となる、私が聖であるようにと。おお主なる我らの神、測りがたき主の言葉、父及び聖霊と本質を一にし、共に永遠にあり独立なる方よ、汝の聖にして血を抜いた犠牲における純粋なる賛美歌を受け取り給え。セラフィムとケルビムと共に、罪人なる私は叫んで言う――

彼(司祭)が贈物を掲げて朗々と述べる
聖なる物は聖なるへ。

会衆
聖なるはただ一人、一人の主イエス・キリスト、父である神の栄光にあり、永遠に栄光を与えられ給う方。

輔祭
罪の許し、我らの魂の和解の為に、苦難と苦痛の中にある全ての魂、神の慈悲と助けを必要としている人々の為に、過ちからの帰還、病からの癒やし、捕縛からの解放、既に眠りし教父と同胞達の安息の為に。 皆で熱意を以て言おう、主よ、憐れみ給え。

会衆(十二回)
主よ、憐れみ給え。

それから司祭はパンを裂き、右手に半分を、左手に半分を持ち、右手を聖杯に浸けて、述べる――
我らの主にして神であり救い主である、イエス・キリストの全く聖なる体と尊き血の結合。

それから彼は左手で十字を切り、もう片方にも切る18。それから速やかにこれを分け、全てを各々の聖杯に一欠片とし て入れる前に、述べる――
それは一つになり、聖化され、完全となった。父と、子と、聖霊の名において、今もいつも。

パンの上で十字を切る時、述べる――
見よ神の子羊、父の子、世界の罪を除き給う方は、世界の生命と救いの為に犠牲となられた。

一欠片を各々の聖杯に入れて、述べる――
キリストの欠片、恵みと真実に満ちた、父の、聖霊の、全く永遠なる栄光と力である方の。

それから分割を始め、述べる――
主は私の羊飼い、私は乏しい事はない。緑の牧野において、云々。19

それから
私は常に主を称える、云々。20

それから
私は汝を崇め奉る、我が神、おお王よ、云々。21

それから
主を褒め称えよ、汝の全ての国よ、云々。22

輔祭
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
彼の純粋な贈物が交わるによって、主は我らを祝福し給い、過ちから遠ざけ給う、今もいつも。
それから
おお主の善きを味わいそして見よ。彼は分かれて分けられず、信仰ある者に分け与えられ尽きる事がない。罪の許しと終わりなき生命の為、今もいつも、永遠に。

輔祭
キリストの平和の内に、歌おう。

聖歌隊
おお主の善きを味わいそして見よ。

司祭が交わり23の前の祈りを述べる
おお主なる我らが神、天のパン、全世界の生命。私は天に対し、汝の御前で罪を犯した、汝の純粋なる神秘を食するに相応しくない者。しかし慈悲深き主として、汝の恵みによって私を相応しき者と成し給え、罪に定められる事無く汝の聖なる体と尊き血を食すに、罪の許しと終わりなき生命の為に。

それから彼は聖職者に分け与え、輔祭が円盤と聖杯を会衆に分け与えている際に、最初の円盤を持った輔祭が述べる――
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭が返答する――
神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給えてまた聖化し給う方に。

輔祭が述べる――
汝を崇め奉ります、おお神よ。天の上にあり、汝の栄光は全地に満ち、汝の王国は全く永遠に存続します。

ここで領聖が行われる