2018年8月26日日曜日

ヤコブによる神の儀式 私的考察その1

これ以降は私自身の考察の考察になります。
興味がなければ読み飛ばしていただいても結構です。
私は神学教育は受けていませんし。

一見の印象だけでも
・ほぼ全ての文言や祈りにおける多彩な父、子、聖霊の装飾。ミサや今日の聖体礼儀に比べて歴然に多い
・かつ、聖書等の引用ではないこの儀式独自の装飾もおそらく多数
・ただし「三位一体」という言葉は殆ど使われていない。だが三者は大多数の箇所で並立して語られる
・マタイ34-35や第二テサロニケにおけるようなキリストの再臨と裁きが言及されている
・エルサレムがシオンとして特別扱いされている
・使徒言行録のようなペンテコステの記述がある等、ルカの引用がいくつかある
・やはり多彩な奉献の祈り、特に血を抜いた動物と思われるものを捧げる祈り
・果物も文字通りに捧げていたように見える
・香料に関する祈りは後世の付加らしいが、香料そのものが捧げ物になっていた教会があった?
・この場合今日の正教会における舞台装置としての香料とは扱いが変わる
・後悔の祈りも幾度となく繰り返される
・様々な形で幾度も繰り返される父、子、聖霊の称揚と、行き過ぎている位の謙遜(卑屈にも見える)
・人間の理性、良心、自力は一箇所を除いて信用されておらず、それらは神によってもたらされるとする
・神は自分達を強めるに違いないと何度も懇願する
・またその割に神への要求はやたらと、厚かましい位に多い
・おかげで非常に慇懃無礼に見える
・ガラテヤ書やマタイ福音書におけるキリスト者は天の王国を継承するという思想が何度か言及される
・神品領聖と信徒領聖の間の間隙はおそらく殆ど無い
・総じて装飾が長くて多い。確かにこれは年一回もやったらお腹一杯か
・特にエルサレムが無くなって四散したユダヤ人キリスト教徒達に、こんな長い儀式をする安寧はあったか
・新約聖書の朗読はない。ただし新訳という言葉は使われている
・答唱詩編、日本正教会でポロキメンとして知られる箇所もない
・バシレイオスの時点で組み込まれている真福九端(マタイ5:3-12山上の垂訓)がない
・キュリロスないし後世の付加を除けばマリアに対する言及が無い
・除かなくても今日の正教会における程(節々で事ある毎に言及される)にはマリアには言及されない
・原型はミラノ勅令以前、つまり迫害があったとされる時代のものだからか、権力者への祈りがない
・司教といった諸教会を束ねる者への祈りもない。言及されるのは一箇所だけ
・聖堂およびその建立者に対する言及がない
・洗礼志願者(日本正教会風に言えば啓蒙者)に対する祈りがない
・「領聖祝文」として知られる領聖前の祈りがない
・少なくともこの儀式においては洗礼を受けていない者は何も食べていない
・ただし儀式の後でアンティドル(非洗礼者用のパン)にあたるものを食べている可能性はある

といった際立った特徴を読み取れます。
以下、細かい話にも言及してみます。


「そして私を罪に定め給わず、汝によって人々にもたらされた御言葉を広めるに相応しい者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす、汝と全く同一である霊と共にある方よ、今もいつも永遠に、アーメン。」(その1冒頭。脚注1)
脚注でも書いたようにThe word、ギリシャ語でτον λόγονは「御言葉」と訳しているのですが、ここではキリストとも福音とも読めます。そもそもギリシャ語ではこの段落にτον λόγονは無かったんですが。
以後、「言葉」「御言葉」が明らかにイエス・キリストを指す箇所は四つあるのですが、その三つが後世、あるいはキュリロスによる記述が疑われる箇所です。原型が保存されているとされる懇願の祈りにおいて、一箇所(その3脚注10)The wordとτον λόγονが一致するのですが、ここでの「御言葉」はキリストかその福音か何とも言えません。最後の方(その4脚注3)には「神の独り子にして父なる神の言葉」という下りがあり、ここは完全に言葉=キリストで、原型とされる五つの祈りからは外れるのですがもしやすると…といった所です。
ヨハネ福音書を端緒とするイエス・キリスト=御言葉という発想は初期のユダヤ人キリスト教徒にあったのかどうかはちょっと何とも言えません。ただ福音書が成立する前から、キリストの言行を世界全て(の民族なのか、それとも世界全てのユダヤ人なのかは断定不能)に伝えようという動きがユダヤ人キリスト教徒にもあったとは言えるかもしれません。この一箇所を信頼していいのなら。

「そして我らの肉体と魂に巣食う悪魔の臭いを芳しい香りに変え、汝の全く聖き聖霊の力によって我々を清め給え」(その1「冒頭における香料への祈り」)
実は新約聖書だとよく言及される「悪魔」は、旧約聖書では殆ど触れられなかったりします。一方で、主にヨブ記でよく言及される「サタン」はこの儀式においては一回も出てきません。
神に従い悪魔に立ち向かうべし、という発想はヤコブの手紙にもあります。もっともこの手紙は偽書らしいですが。とはいえパウロ書簡や他の人の手紙でも、悪魔の影響を避けよという言及は何度か、そう頻繁ではないのですがされています。という事で、最初期のキリスト教徒の間にも悪魔に対する恐れはあったのかもしれません。
この儀式において悪魔(devil)は四度使われており、その内二つは後世の付加と脚注で書かれている香料への祈りですが、残りの二つは原型に由来するのかも。 なお一世紀後半から二世紀に成立した『ディダケー』では悪魔が一度も言及されていなかったりもします。

「それから旧約聖書における聖なる予言と預言者の記述が読まれ、神の子の受肉、彼の受難と死からの復活、天への御昇り、栄光に包まれての二度目の来臨が表明される。これらの朗読は日々聖なる神の儀式において行われていた」(その1)
今日、正教会で行われているバシレイオス及びヨハネス・クリュソストモスの聖体礼儀には旧約聖書の朗読は含まれていません。一方、この二人及びエルサレムのキュリロス以前に原型があったであろうローマ教会、今日のカトリックにおけるミサにおいては旧訳朗読が含まれています。となると、バシレイオスが何らかの理由で旧訳の朗読を外したと考えるのが自然ですが、 さて。
と同時に、370年の時点ではまだローマ帝国が東西分裂していないのですが、バシレイオスの聖体礼儀が確立した段階(その時点では既に395年を過ぎているでしょう)では既にローマ教会とコンスタンティノープル教会はお互いの儀式には干渉できない程度には独立していた事も伺えます。
またこの記述は、福音書やパウロ書簡が確立する前からの残滓と見てもいいかもしれません。もしあるならここで読まないほうが不自然でしょうから。

「朗読と教えの後、輔祭が唱える」(その1)
ここに限らず、司祭や輔祭は神に色々な事を祈願するのですが。
そこで祈られている事はバシレイオスによる聖体礼儀にも一部共通しています。順番は別々ですが。以下、対応する所を日本正教会訳の大連祷と合わせて抜粋してみます。「」内が日本正教会訳です。

「上より降る安和と我等が霊の救いの為に主に祈らん」
(日本正教会はsoulを「霊」と訳しています)
天上からの平和と我らが魂の救いの為に。主に祈願しよう

「全世界の安和、神の聖なる諸教会の堅立、及び衆人の合一の為に主に祈らん」
全世界の平和の為に、神の聖なる教会全ての結合の為に。主に祈願しよう。

「此の聖堂,及び信と慎と神を畏るる心とを以て,此処に来る者の為に主に祈らん」
対応なし

「教会を司どる我等の尊貴なる(府主教ないし大主教)、司祭の尊品、ハリストスに因る輔祭職、悉くの教衆、及び衆人の為に主に祈らん」
対応なし

「我が国の(国王)、及び国を司る者の為に主に祈らん」
対応なし

「此の都邑と凡の都邑と地方,及び信仰を以て此の中に居る者の為に主に祈らん」
記憶し給え、おお主よ、全ての都市と国を、そこに住む真実の信仰を持つ者を、彼らに平和と安寧を。 (別の箇所。その3、「そして身を屈め、述べる――」)。

「気候順和,五穀豊穣,天下泰平の為に主に祈らん」
順調な気候、平和の雨、恵み深き雫、豊かな収穫、善き季節の順当な区切りを。御恵みの冠を。神に乞い願おう。
(別の箇所。その2、輔祭がいろいろ祈る所。およびその3、「そして身を屈め、述べる――」)。

「航海する者、旅行する者、病を患うる者、艱難に遭う者、虜となりし者、及び彼等の救いの為に主に祈らん」
神に乞い願おう。船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者の為に。また捕縛、亡命、監禁、辛い隷従を強いられている同胞達が平和に戻れるように。 (別の箇所。その2、輔祭がいろいろ祈る所。その3の「そして身を屈め、述べる――」にも微妙に節回しの違う似たような箇所があります。)

「我等諸の憂愁と怒と危難とを免るるが為に主に祈らん」
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、捕囚、悲痛な死、我々の内にある悪からの救いの為に。

「神や爾の恩寵を以て、我等を助け、救い、憐み、守れよ」
我らを守り給え、我らへの慈悲を以て。我らを憐れみ保ち給え、おお神よ、汝の恵みを以て。(別の箇所。輔祭がいろいろ祈る所)。

「至聖至潔にして至りて讃美たる、我等の光栄の女宰、生神女、永貞童女マリアと、諸聖人とを記憶して、我等己の身、 及び互に各の身を以て、並に悉くの我等の生命を以て、ハリストス神に委託せん 」
我らの全く聖なる、純粋にして、最も栄光ある、神の母にして永遠の乙女マリア、及び世界の始まりから汝をよく喜ばせた全ての聖人達を祝わん。我ら自身を、互いを、我らの生命全てを、我らが神なるキリストに捧げん。
(別の箇所。脚注4、「司祭が述べる」)。前述の通りマリア云々は後世の加筆。

…と、こんな感じでどうやらバシレイオスとキュリロスが同一の原型からちょっとづつ違う形で引用した、という説にはかなり説得力があるように思えます。一方ローマの教会ではこれらの祈願はばっさり削除され、あるいは元々これらの祈願が存在してなかった故か、共同祈願にまとめられる事になります。

「神は、我らに汝の神なる救いの予言を教え給うた方は、我らの魂が罪人である事を語る前に理解させる光。 それ故に我らは実直な信仰、潔白な生活、純粋な会話を求めようとしながら、魂に由来する物が聞こえないのみならず、善行を成す事もかなわなくなった。」(その1。脚注14の直後)
 「魂が罪人」とまで言ってしまうとなると、この箇所を書いた人は原罪を意識していたと考えるのが普通、だとは思います。この箇所はバシレイオス以降の聖体礼儀では採用されておらず、となるとキュリロスか、あるいは後悔の祈りが原型からあるという説に従うなら、ローマ人への手紙5:12-21でパウロが言及するように、最初期のキリスト教徒は原罪を強く意識していたのかもしれません。ただし、「罪人」である事は他の箇所でも散々繰り返されますが、「魂が罪人」とまで書いているのはここだけです。

「洗礼志願者、洗礼を受けていない者、我々とともに祈りの場に参加できない者はご退去を」(その1、脚注15)
最初期のキリスト教にも洗礼を受ける前に準備期間があったのは確かとの事です。ただし洗礼志願者が退去まで要求されるようになったのはいつ頃かはちょっと分かりませんし、この文章が原初からのものなのかも何とも。
後日東西を問わず洗礼を受けていない者も出ていかなくていい事になったのですが、正教会においてはこの 文章だけが後に残りました。これが日本正教会における「衆啓蒙者出でよ」という下りです。「出でよ」と言うと今日では「出てこい」という響きになりますが、実は「出て行け」という意味です。

「司祭が聖なる贈物を手に、祈る――」(その2、脚注1)
原文の脚注には、パンとワインそのものが儀式を通す前からキリストの肉と血とされている、という迷信が存在していた…と書かれていますが。そもそもこの儀式の原型と思われるユダヤ人キリスト教徒の日曜礼拝には聖餐が組み込まれていなかったらしい、というのは冒頭に書いた通りです。
実際、ここの記述は聖別される前の単なるパンの扱いとしては実に仰々しいものです。儀式の最中にパンが キリストの体になるのがバシレイオス以降の聖体礼儀である事を考えると、パンとワインそのものが聖なるものであるとしているこの下りはそれ以前の古い習慣から来ているという指摘は頷けるものです。
さて、元々は日常の食事でパンとワインをキリストの肉と血として聖化してその場で食べていたらしい、という事にもまた冒頭で触れたのですが、これを踏まえると、
1、始めは食卓を共にしているキリスト教徒達が、その場その場でパンとワインを聖化していた
2、おそらく二世紀頃、日曜礼拝に前日の食卓ですでに聖化しておいたパンを持ち寄り、一斉に食べるようになった。「司祭が聖なる贈物を手に、祈る――」でパンそのものを聖なるものとしているのは、元々先に信徒達の食卓で聖化を済ませていたからではなかろうか
3、それから間もなく、日曜礼拝でパンとワインを聖餐にして食べる今日の形になり、始めの習慣が廃れた
という流れが見えるように思えます。証拠とかは一切ないんですけどね。

「聖なる接吻を以て互いに挨拶を交わしましょう。我らの頭を主に屈めましょう」(その2、「司祭が身を屈め、この祈りを告げる――」の直前)
ルカ7:45、ローマ16:16、第一ペテロ5:14などによると、挨拶として接吻するのは当時において珍しく もない習慣だったようです。
ちなみに、カトリックでは二十世紀後半になってミサにおける信徒同士の挨拶が復活(接吻はしませんが) しています。一方バシレイオスは互いへの挨拶を採用しなかった為、今日に至るまで東方正教会の聖体礼儀には挨拶する箇所はありません。

「純潔のまま生きている者、独身者、規律の内に在る者、聖なる結婚をした者の為に。また教父、及び地上における山、洞穴、洞窟で苦行にある同胞達の為に」(その2、輔祭がいろいろ祈る所の脚注4)
この文脈だと「聖なる結婚」は神との結婚を意味するかもしれません。単に規則に基づいた合法な結婚かも れませんが。原始キリスト教の時代で結婚禁止といえばグノーシス主義が有名ですが、そこまでいかなくとも禁欲や純潔への親近感は原初から存在していました。例えば、パウロは結婚しなくて済むならその方が いいと断言していますし、洗礼者ヨハネのグループも禁欲を旨としていました。
ちなみにこの箇所が370年に書かれたとするとその時点で修道生活の祖アントニウスは世を去っており (356年死去とされる)、キュリロスは彼らの存在を念頭に入れていた可能性もあります。

「おお神よ、汝の独り子を世界に送り汝の偉大にして語りがたき愛を示したのは、彼が迷える羊を呼び戻し、我らを罪人として拒まず、この慄きつつ血を抜いた犠牲を汝の物として手に入れ給うが為。我らが我ら自身 の公正さではなく、汝の善き慈悲を信頼するは、汝が我らの民族を狩り集める存在である故」(その2、司祭の長口上、脚注8)
「天から降り、聖霊及び乙女にして神の母マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの 民族を救う為の統治を成し遂げた方」(その3、司祭が贈物の前で十字を切り、述べる、脚注3)
「我らの民族」を救う存在として神やキリストが語られているのはこの二箇所です。迷える羊の飼い主とか、 民族を救う為の統治であるとか、いかにもキリストが来る前のユダヤ人によるメシア信仰の影響に見えます。「我らの民族」ではない異邦人であるキュリロスや後世のキリスト教徒がわざわざ民族の救済という記述を書き足すとは常識的には考えがたいので、ここは原始教会におけるユダヤ人キリスト教徒が、パウロ達とは無関係な教会で書いた箇所だと私には思えます。ただ、この記述が単なる痕跡なのか、あるいはユダヤ人で あったヤコブ、ないしこの記述を書いた人々がユダヤの血脈を重んじていたのかはこれだけだと何とも言えません。
なおこの儀式でもよく使われる「父と子と聖霊」という言葉を初めて並べ、ユダヤ人キリスト教徒向けに福音書を書いたとされるマタイは「我らの民族」の救いは一度も主張していません。マタイはヤコブ派のこの儀式に与っていたのか、それとも別の教会に所属していたのか? 

「天の天にありすべてを司る方に賛美を。太陽、月、星星の歌声を。地と海とそこにある全てを。エルサレ ム、天上の集いであり、天に記されし始まりの教会を。正しき人と預言者達の霊を。殉教者と使徒の魂を。天使、大天使、座天使、主天使、権天使、力天使、恐るべき能天使、数多の目を持つ智天使、六枚の羽根を背負い二枚の羽根で顔を、別の二枚の羽根で足を、更なる二枚の羽根で飛翔する熾天使、互いを休む事なき唇で、絶え間なく叫ぶように賛美する者達を」(その3、「それから司祭が祈る」)
ここの他にも二箇所ほどエルサレムが特別扱いされている箇所があるのですが、これが原始教会のユダヤ人 キリスト教徒によるものなのか、特別な地位を与えられる事になった後世のエルサレム教会によるものか、 更に言えばエルサレム教会の主教だったキュリロスによるのかは難しい所です。神殿崩壊前のエルサレムにあった原始教会が他のユダヤ教徒のようにエルサレムを神の都とみなしていても不思議ではないのですが、 三箇所のいずれも改ざんが疑われる箇所を伴ってもいます。
またここでは後に偽デュオニソス・アレオパギタによって体系化される九大天使が言及されているのですが、 これは後世の付加でしょう。天使、大天使、智天使(ケルビム)、熾天使(セラフィム)以外は聖書に直接の記述が無いですし。…いや一世紀からこれらの天使の存在が認められていた可能性もゼロではない、ない、 かなぁー…?

「土から自らの像と肖として人を作った方。其に楽園の喜びを与えた方。其が掟に背き去った後、其を無視 せず見捨てなかった方、おお善き方、しかして其を慈悲深き父として罰し、律法によって其を呼び、預言者達によって其を導いた方。その後汝の独り子、我らが主イエス・キリストを世界に送りし方、彼の来たるによりて彼は汝の像を新しく復元なさった」 (その3、「司祭が贈物の前で十字を切り、祈る――」、脚注1)
この「汝の像を新しく復元なさった」という記述があり、imageとlikenessの内imageだけが復元されたとあるので「似姿」という広く知られる訳語を使えませんでした。
ここで新しく復元されたのが「像」、つまり神によるイメージと言うか設計図だけで、「肖」、つまり神に 似ている事ではないのは注目に値します。これはイエス・キリストによっても「肖」は回復されていないと認識されていた、と考えるべきでしょうか?
ちなみに、後の正教会は「肖」を(並外れた)信徒生活によって回復できると考えるようになり、これをΘέωσις「神成」あるいは「神化」と呼んでいます。

ただしこの記述が何時の時点で書かれたのかは難しい所です。第二コリント3:18では「わたしたちはみな、 顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである1」とあるのですが、ここで変えられていくのは「同じ姿」即ち「肖」で「像」ではありません。
ユダヤ人キリスト教徒による原始教会に「像」が復元されたという発想はあったかどうか。コロサイ23:9-10においては「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、 真の知識に至る新しき人を着たのである」とあり、ここではimage(かたち)が新しくされたとあるのですが、その直後に「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、 自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」と続いています。 
しかしこの儀式では直後に「天から降り、聖霊及び乙女にして神の母マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの民族を救う為の統治を成し遂げた方」とあり、記述がぶつかっています。書いた人がそこまで考えてなかったと言われればそれまでですが。


1 この記述の前、3:15-17には「今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある」とあり、おそらくこの箇所が正教会における「神成」の聖書的根拠だと思われます。
2 ただしコロサイはエルサレム神殿崩壊後に書かれたという疑いも強いです。

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