復活して天の右に座す、という記述は福音書だとルカ22:69と(後世に誰かが書き足した)マルコ16:19にのみあります。一方、パウロもローマ8:34で言及しています。となると原始教会における考えなのか、それともルカの引用になるのか。
このペンテコステの記述はルカが書いたとされる使徒言行録のそれを思わせます。「ペンテコステ~降りた事」のギリシャ語はτο καταβάν επί τους αγίους σου αποστόλους εν είδει πυρίνων γλωσσών εν τω υπερώω της αγίας πεντηκοστήςです。ギリシャ語に詳しい方だと、使徒言行録における記述との比較が出来るかもしれません。
…ごめんなさい、私には無理です。
「記憶し給え、おお主よ、船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者を。我らの教父と同胞、枷、監禁、捕縛、亡命の中に、鉱山、拷問、辛い隷従の中にいる人々を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」、脚注11)
この並びの中に鉱山が入っていて、え、鉱山労働者ってそういう扱いだったの? と面食らったのですが、ギリシャ語でもμέταλλοだったという。当時の鉱山労働は奴隷の仕事だったのか、単純に超キツいからか、あるいは差別の現れか何かなのか。
「記憶し給え、おお主よ、汝の数多の慈悲と慈愛を以て、汝の卑しく無益な下僕であるこの私をも。汝の祭壇を囲む輔祭達を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」)
実はこの長い儀式において輔祭に関して祈るのはここだけです。更にバシレイオスの聖体礼儀においても、二回しか言 及されていなかったりします。
…実の所、特に神殿崩壊後の人数と金にそれ程余裕があったとは思われないユダヤ人キリスト教徒に輔祭なんて雇う余裕が本当にあったんでしょうかね。信徒の著しい減少と高齢化に直面している某国の正教会も聖体礼儀を司祭だけで回したりしているのに。
「神にして我らが父なる主、神であり救世主たるイエス・キリスト、栄光の主、祝福されし本質、惜しみない善良、神にして全ての王、全てを永遠に祝福し、ケルビムに座り、セラフィムに賛美され、幾千年も前から立ち、幾万年も前から天使と大天使を率いた方」(その3、「司祭が祈る」、脚注14のちょっと上)
エルサレム神殿崩壊後に書かれたという疑惑のあるコロサイ1:15では「すべての造られたものに先立って生まれた方」という記述があり、またヨハネ福音書の冒頭でも「はじめに言葉があった」という有名な記述がありますが、エル サレム神殿崩壊前におけるユダヤ人キリスト教徒らの儀式に上記の記述があったのか、と言われるとどうでしょう。私は首を傾げますが。仮にあったのだとするならば、ナザレのイエスが十字架に付けられてから半世紀以内に、イエス・ キリストがかなり昔の時代から存在していたという考え方が成立していた、という事になります。
なおこの後に続く果物に関する祈りはおそらく原型から引っ張ってきたものでしょう。四世紀のキリスト教では不要になっている箇所ですし。
「聖なる物は聖なるへ」(その3、「彼(司祭)が贈物を掲げて朗々と述べる」)
バシレイオスが整理した聖体礼儀には領聖の前に「聖なる物は聖なる人に」という一見不思議な下りがあるのですが、 その原型はおそらくここです。つまり、原型は血を抜いた聖なる犠牲を聖なる神に捧げていたのですが、動物犠牲がなくなって言葉がそのまま残ったので意味が変わった、という事でしょう。この箇所はギリシャ語でも大文字でΤΑ ΑΓΙΑ ΤΟΙΣ ΑΓΙΟΙΣとあり、バシレイオスのそれと文言が一致します。
司祭が返答する――「神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給えてまた聖化し給う方に」
輔祭が述べる――「汝を崇め奉ります、おお神よ。天の上にあり、汝の栄光は全地に満ち、汝の王国は全く永遠に存続します」(その3、最後)
この文言を述べて司祭と輔祭が聖化されたパンとワイン、即ち聖体であるキリストの体と血を食べる(領聖する、とも言います)。
それから司祭と輔祭が一言づつ述べて、
会衆「祝福されるは彼、主の名によりて来る方」(その4、冒頭)
会衆がパンとワインを食べる。
おそらくこのような流れがあったのでしょう。
この次第を見る限り、聖職者と会衆に同時に聖体が配られる→司祭と輔祭が聖体を食べる→それから会衆が聖体を食べる、という流れになっていて、聖職者と会衆の領聖の間には殆ど時間が無かったと思われます。
一方バシレイオスおよびヨハネス・クリュソストモスによる聖体礼儀だと、至聖所で先に司祭と輔祭が聖体を分け、食べる→それから会衆に聖体が配られる→会衆が食べるという流れとなり、聖職者と会衆の領聖にしばらく、例えば日本正教会の場合10分前後の間隔が空くようになっています。
これがキュリロスとバシレイオスによる違いなのか、それとも原型にバシレイオスに手を加えたのか、その逆なのか。 そこまでは分かりませんが、少なくともこの儀式とバシレイオスによる儀式で領聖のタイミングに違いがあるのは確かです。
「汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、おお王なるキリスト、神の独り子にして父なる神の言葉。汝は我らを数えて下さった、汝の罪人にして取るに足らない下僕を、罪の許しと終わりなき命をもたらす汝の聖なる神秘を楽しむに相応しき者に。汝に栄光あれ」(その4、「輔祭が導入を開始する」、脚注3)
この箇所では明白に「言葉」=キリストです。パンとワインを食べてキリストと交わった事を感謝する祈りなのですが、 原型を保っているとされる五つの祈りからは外れています。ただ、この感謝の祈り自体はごくごく自然なものなので、 後世の付加ではない…かもしれません。ですが「神の言葉」は元から入っていたのか後で書き足されたのか、これは私には判別不能です。「御言葉」ではなく「言葉」なのはヨハネ福音書の冒頭と同じなのをどう考えるか。
「おお主なるイエス・キリスト、生きる神の子、子羊にして羊飼い。世の罪を除き給い、自由に二人の借金を取り消し給い、罪人であった女に罪の許しを与え給い、罪の許しとともに麻痺に癒やしを与え給うた方」(その4、「それから、和解の祈り」、脚注7、8)
これはルカ福音書の引用だと思われます。脚注にも書きましたが、マタイとマルコにおける類似の箇所では女に許しが 与えられていないので。
…「神の右に座す」や、使徒言行録を思わせるペンテコステの記述、そしてここと、この儀式は妙にルカ福音書の引用らしきものが見受けられます。ただしルカの文章がそのまま使われている訳では無いので、この儀式の原型を作った人々がルカ福音書に記されている事を知っていたから、とも考えられるかもしれません。単にキュリロスないし後世の趣味だという可能性ももちろんあります。
エルサレム神殿が崩壊する前、ユダヤ人キリスト教徒らがこの儀式の原型を作った段階では、おそらくまだルカは福音書を書いていなかったでしょう。そして罪人であった女が許された事をマタイが知っていたなら、それを自らの福音書で書き落とすのは不自然ですし…やはり後世の加筆と考えるのが自然でしょうか?
全体に関しての考察
この儀式においては頻繁に神、子、聖霊を並べた記述が使われますが、この大多数はおそらくキュリロスを始めとする後世のキリスト教徒によるものでしょう。身も蓋もない言い方をすれば文字を読めたかどうかも分からない当時のユダ ヤ人キリスト教徒にここまで語彙があるか、といわれると疑問符が付きますし。
ただ全部がそうか、と言われるとそれはそれで難しいです。例えばこの儀式の原型が成立した後、マタイがこれを参考 にして福音書を書いたとするなら、神、子、聖霊の並立自体はそれ以前から儀式で語られていたと考える事も出来ます。ここまで頻繁かつ整った形ではなかったでしょうけど。
…本当に個人的な考えで確たる根拠はないのですが、この儀式の原型を奉じていたユダヤ人キリスト教徒がエルサレム神殿崩壊によって四散し教団存続の危機に陥ったので、彼らを繋ぎ止める為にマタイが福音書を書いたんじゃないか、 という流れを私は想定しています。
一応の論拠として、
・バシレイオスは使っているマタイ福音書における山上の垂訓がない。原型の儀式にあるならキュリロスが採用していてもおかしくないのに。となると原型はマタイ福音書の前に成立していたのでは。
・動物犠牲を捧げていたり、「我が民族の救い」に言及したりと、神殿が崩壊するその瞬間までエルサレムから追放されなかった1程度にはユダヤ人キリスト教徒とユダヤ教に共通点があった模様。であれば原型となる儀式はユダヤ人キリスト教徒がエルサレムにいた時点に遡れる?
・マタイ福音書は冒頭のあのゲンナリするような系譜であるとか、頻繁な旧訳(ただし大量の誤訳がある七十人訳)の引用等、ギリシャ語で話すユダヤ人キリスト教徒に旧訳との連続を主張する為に書かれている。
・キリスト=御言葉という思想に代表されるようなヨハネ福音書の影響は薄い。
…じゃあ何故マタイが民族の救済を掲げなかったのかであるとか、この儀式での頻繁なルカの引用は一体という話にもなるんですが。
この儀式はキュリロスによって作られ、バシレイオスの聖体礼儀と同じ原型を引用しているというジョン・フェンウィック氏の説は私にも頷けるものです。
儀式の始まり→トリサギオン(聖三祝文)→聖書やパウロ書簡あるいはその原型の朗読→信徒のみの儀式に移行→ケルビムの賛美歌(ヘルビムの歌)→領聖祝文(アナフォラ)→パンとワインの聖化→領聖→儀式の終わり、という流れはキュリロスとバシレイオスで共通しています。
しかしその違いは考察冒頭で書いたように相当な量になります。バシレイオスの儀式ではマリア、世俗での権力者(バシレイオスはローマ帝国皇帝を意識していたでしょう)、教会で一番偉い人が度々言及されるのですが、この儀式では彼らは然程強調されません。またバシレイオスの儀式では「主よ、憐れみ給え(日本正教会訳だと主憐れめよ)」とい う語句が会衆によって極めて頻繁に繰り返されますが、この儀式では無い訳ではありませんが明らかに数が少ないです。
一方こちらの儀式ではキリスト者が天の継承者であるという言及があるのですが、バシレイオスの儀式には山上の垂訓 (真福九端)を除けば殆どそういった記述はなかったりします。また父、子、聖霊への多彩かつ頻繁な言及や徹底的な人間の謙遜、捧げ物に関する祈り等もバシレイオスの儀式には見られないものです。そして勿論、というのも何ですが、 やはりヤコブらの儀式という体裁に沿っているからでしょう、ニケア・コンスタンティノープル信条も使われていませ ん。
あくまで個人的に、ですが。 バシレイオスらが三者への称揚と人間の謙遜をバッサリ切り落とし、後悔の祈りを痛悔にまとめたのは正解だと思います。この儀式では神の称揚と謙遜を散々繰り返している割には神に対する祈りというか一方的な要求が連連と続き、正直に言えばとても慇懃無礼に感じられるので。
ちなみにカトリックのミサとは聖書朗読、パンとワインの聖別、領聖という流れが共通する位です。探せば細かい記述にも一致があるかもしれませんが。 これはパンとワインを聖別して食べるという根本が後に共有されたとはいえ、その為の儀式はキリスト教の成立直後から各地で独自に成立、発展してきたというだけの話なのでしょう。仮にこのヤコブの名を冠した儀式の流れが古来から のものであったとしても、ローマを始めとする帝国の西方にもそれと同じ位古くから、別の様式の儀式があったと考える方がどう考えても自然ですし。
おわりに
何処かの誰かさんが「聖体礼儀には昔から権力者に対する祈りが含まれている」との宣うたので、そんな訳無いだろう迫害されていたとされる時代はどう説明するんだ、と思ってこの「ヤコブによる神の儀式」を発見、翻訳してみたら、 それ所ではない位色々なものが出てきたというのがこの文章を作った顛末なのですが。結果的に、後にキリストの体としてパンとワインを食べる形にまとまっていく儀式は今の我々が思うよりもずっと多様で、カトリックや正教会等での現在の形はそれらの一部を強調したものでしかない、という事を実感しました。
いやぁ翻訳ってのは本当に骨が折れますね。
しかし一つ一つの単語を追いかける必要があった分色々とそこから見えるものもあったので、苦労した甲斐はあった、とも思えます。
何より2017年8月現在において、「ヤコブによる神の儀式」を日本語で読みたければこの翻訳しか無いという事実がとても気持ちいいです。一番槍を切るってのはいいものですね。
まぁ、実際の所訳の質は決定稿と言えるものではありませんし、キリスト教に詳しい方や専門職の方々から見れば酷い としかいいようのない事も書いているでしょう、多分。という訳で、この訳に異論がある方にも是非自らの翻訳を提示していただけるととても勉強になります。 いやそこまでいかなくても変な所の指摘などもしていただけると私としてはとても嬉しいです。
という事で皆様、おかしな所があったら是非教えてください。
ただしお手柔らかに。
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