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2018年8月27日月曜日

ヤコブによる神の儀式 私的考察その2と後書き

「故に記憶する、命をもたらす彼の苦難を、救いの為に彼が架かった十字架を、彼の死と埋葬を。そして彼は三日目に 死から復活し、天に昇り、我らの神にして父である汝の右手に座す」(その3、「司祭、奉納する」)
復活して天の右に座す、という記述は福音書だとルカ22:69と(後世に誰かが書き足した)マルコ16:19にのみあります。一方、パウロもローマ8:34で言及しています。となると原始教会における考えなのか、それともルカの引用になるのか。

「律法と預言者と新訳において語られしは、我らが主イエス・キリストがヨルダン川に浸かり、住み給う事。及び、ペンテコステの日に聖にして栄光あるシオンの屋上の間において炎のような舌が使徒達に降りた事」(その3、「それから首を屈め、述べる――」脚注7)
このペンテコステの記述はルカが書いたとされる使徒言行録のそれを思わせます。「ペンテコステ~降りた事」のギリシャ語はτο καταβάν επί τους αγίους σου αποστόλους εν  είδει πυρίνων γλωσσών εν τω υπερώω της αγίας πεντηκοστήςです。ギリシャ語に詳しい方だと、使徒言行録における記述との比較が出来るかもしれません。
…ごめんなさい、私には無理です。

 「記憶し給え、おお主よ、船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者を。我らの教父と同胞、枷、監禁、捕縛、亡命の中に、鉱山、拷問、辛い隷従の中にいる人々を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」、脚注11)
この並びの中に鉱山が入っていて、え、鉱山労働者ってそういう扱いだったの? と面食らったのですが、ギリシャ語でもμέταλλοだったという。当時の鉱山労働は奴隷の仕事だったのか、単純に超キツいからか、あるいは差別の現れか何かなのか。

「記憶し給え、おお主よ、汝の数多の慈悲と慈愛を以て、汝の卑しく無益な下僕であるこの私をも。汝の祭壇を囲む輔祭達を」(その3、「そして身を屈め、告げる――」)
実はこの長い儀式において輔祭に関して祈るのはここだけです。更にバシレイオスの聖体礼儀においても、二回しか言 及されていなかったりします。
…実の所、特に神殿崩壊後の人数と金にそれ程余裕があったとは思われないユダヤ人キリスト教徒に輔祭なんて雇う余裕が本当にあったんでしょうかね。信徒の著しい減少と高齢化に直面している某国の正教会も聖体礼儀を司祭だけで回したりしているのに。

「神にして我らが父なる主、神であり救世主たるイエス・キリスト、栄光の主、祝福されし本質、惜しみない善良、神にして全ての王、全てを永遠に祝福し、ケルビムに座り、セラフィムに賛美され、幾千年も前から立ち、幾万年も前から天使と大天使を率いた方」(その3、「司祭が祈る」、脚注14のちょっと上)
エルサレム神殿崩壊後に書かれたという疑惑のあるコロサイ1:15では「すべての造られたものに先立って生まれた方」という記述があり、またヨハネ福音書の冒頭でも「はじめに言葉があった」という有名な記述がありますが、エル サレム神殿崩壊前におけるユダヤ人キリスト教徒らの儀式に上記の記述があったのか、と言われるとどうでしょう。私は首を傾げますが。仮にあったのだとするならば、ナザレのイエスが十字架に付けられてから半世紀以内に、イエス・ キリストがかなり昔の時代から存在していたという考え方が成立していた、という事になります。
なおこの後に続く果物に関する祈りはおそらく原型から引っ張ってきたものでしょう。四世紀のキリスト教では不要になっている箇所ですし。

「聖なる物は聖なるへ」(その3、「彼(司祭)が贈物を掲げて朗々と述べる」)
バシレイオスが整理した聖体礼儀には領聖の前に「聖なる物は聖なる人に」という一見不思議な下りがあるのですが、 その原型はおそらくここです。つまり、原型は血を抜いた聖なる犠牲を聖なる神に捧げていたのですが、動物犠牲がなくなって言葉がそのまま残ったので意味が変わった、という事でしょう。この箇所はギリシャ語でも大文字でΤΑ ΑΓΙΑ ΤΟΙΣ ΑΓΙΟΙΣとあり、バシレイオスのそれと文言が一致します。

司祭が返答する――「神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給えてまた聖化し給う方に」
輔祭が述べる――「汝を崇め奉ります、おお神よ。天の上にあり、汝の栄光は全地に満ち、汝の王国は全く永遠に存続します」(その3、最後)
この文言を述べて司祭と輔祭が聖化されたパンとワイン、即ち聖体であるキリストの体と血を食べる(領聖する、とも言います)。
それから司祭と輔祭が一言づつ述べて、
会衆「祝福されるは彼、主の名によりて来る方」(その4、冒頭)
会衆がパンとワインを食べる。
おそらくこのような流れがあったのでしょう。

この次第を見る限り、聖職者と会衆に同時に聖体が配られる→司祭と輔祭が聖体を食べる→それから会衆が聖体を食べる、という流れになっていて、聖職者と会衆の領聖の間には殆ど時間が無かったと思われます。
一方バシレイオスおよびヨハネス・クリュソストモスによる聖体礼儀だと、至聖所で先に司祭と輔祭が聖体を分け、食べる→それから会衆に聖体が配られる→会衆が食べるという流れとなり、聖職者と会衆の領聖にしばらく、例えば日本正教会の場合10分前後の間隔が空くようになっています。
これがキュリロスとバシレイオスによる違いなのか、それとも原型にバシレイオスに手を加えたのか、その逆なのか。 そこまでは分かりませんが、少なくともこの儀式とバシレイオスによる儀式で領聖のタイミングに違いがあるのは確かです。

「汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、おお王なるキリスト、神の独り子にして父なる神の言葉。汝は我らを数えて下さった、汝の罪人にして取るに足らない下僕を、罪の許しと終わりなき命をもたらす汝の聖なる神秘を楽しむに相応しき者に。汝に栄光あれ」(その4、「輔祭が導入を開始する」、脚注3)
この箇所では明白に「言葉」=キリストです。パンとワインを食べてキリストと交わった事を感謝する祈りなのですが、 原型を保っているとされる五つの祈りからは外れています。ただ、この感謝の祈り自体はごくごく自然なものなので、 後世の付加ではない…かもしれません。ですが「神の言葉」は元から入っていたのか後で書き足されたのか、これは私には判別不能です。「御言葉」ではなく「言葉」なのはヨハネ福音書の冒頭と同じなのをどう考えるか。

「おお主なるイエス・キリスト、生きる神の子、子羊にして羊飼い。世の罪を除き給い、自由に二人の借金を取り消し給い、罪人であった女に罪の許しを与え給い、罪の許しとともに麻痺に癒やしを与え給うた方」(その4、「それから、和解の祈り」、脚注7、8)
これはルカ福音書の引用だと思われます。脚注にも書きましたが、マタイとマルコにおける類似の箇所では女に許しが 与えられていないので。
…「神の右に座す」や、使徒言行録を思わせるペンテコステの記述、そしてここと、この儀式は妙にルカ福音書の引用らしきものが見受けられます。ただしルカの文章がそのまま使われている訳では無いので、この儀式の原型を作った人々がルカ福音書に記されている事を知っていたから、とも考えられるかもしれません。単にキュリロスないし後世の趣味だという可能性ももちろんあります。
エルサレム神殿が崩壊する前、ユダヤ人キリスト教徒らがこの儀式の原型を作った段階では、おそらくまだルカは福音書を書いていなかったでしょう。そして罪人であった女が許された事をマタイが知っていたなら、それを自らの福音書で書き落とすのは不自然ですし…やはり後世の加筆と考えるのが自然でしょうか?

全体に関しての考察
この儀式においては頻繁に神、子、聖霊を並べた記述が使われますが、この大多数はおそらくキュリロスを始めとする後世のキリスト教徒によるものでしょう。身も蓋もない言い方をすれば文字を読めたかどうかも分からない当時のユダ ヤ人キリスト教徒にここまで語彙があるか、といわれると疑問符が付きますし。
ただ全部がそうか、と言われるとそれはそれで難しいです。例えばこの儀式の原型が成立した後、マタイがこれを参考 にして福音書を書いたとするなら、神、子、聖霊の並立自体はそれ以前から儀式で語られていたと考える事も出来ます。ここまで頻繁かつ整った形ではなかったでしょうけど。

…本当に個人的な考えで確たる根拠はないのですが、この儀式の原型を奉じていたユダヤ人キリスト教徒がエルサレム神殿崩壊によって四散し教団存続の危機に陥ったので、彼らを繋ぎ止める為にマタイが福音書を書いたんじゃないか、 という流れを私は想定しています。

一応の論拠として、
・バシレイオスは使っているマタイ福音書における山上の垂訓がない。原型の儀式にあるならキュリロスが採用していてもおかしくないのに。となると原型はマタイ福音書の前に成立していたのでは。
・動物犠牲を捧げていたり、「我が民族の救い」に言及したりと、神殿が崩壊するその瞬間までエルサレムから追放されなかった1程度にはユダヤ人キリスト教徒とユダヤ教に共通点があった模様。であれば原型となる儀式はユダヤ人キリスト教徒がエルサレムにいた時点に遡れる? 
・マタイ福音書は冒頭のあのゲンナリするような系譜であるとか、頻繁な旧訳(ただし大量の誤訳がある七十人訳)の引用等、ギリシャ語で話すユダヤ人キリスト教徒に旧訳との連続を主張する為に書かれている。
・キリスト=御言葉という思想に代表されるようなヨハネ福音書の影響は薄い。

…じゃあ何故マタイが民族の救済を掲げなかったのかであるとか、この儀式での頻繁なルカの引用は一体という話にもなるんですが。
この儀式はキュリロスによって作られ、バシレイオスの聖体礼儀と同じ原型を引用しているというジョン・フェンウィック氏の説は私にも頷けるものです。
儀式の始まり→トリサギオン(聖三祝文)→聖書やパウロ書簡あるいはその原型の朗読→信徒のみの儀式に移行→ケルビムの賛美歌(ヘルビムの歌)→領聖祝文(アナフォラ)→パンとワインの聖化→領聖→儀式の終わり、という流れはキュリロスとバシレイオスで共通しています。
しかしその違いは考察冒頭で書いたように相当な量になります。バシレイオスの儀式ではマリア、世俗での権力者(バシレイオスはローマ帝国皇帝を意識していたでしょう)、教会で一番偉い人が度々言及されるのですが、この儀式では彼らは然程強調されません。またバシレイオスの儀式では「主よ、憐れみ給え(日本正教会訳だと主憐れめよ)」とい う語句が会衆によって極めて頻繁に繰り返されますが、この儀式では無い訳ではありませんが明らかに数が少ないです。
一方こちらの儀式ではキリスト者が天の継承者であるという言及があるのですが、バシレイオスの儀式には山上の垂訓 (真福九端)を除けば殆どそういった記述はなかったりします。また父、子、聖霊への多彩かつ頻繁な言及や徹底的な人間の謙遜、捧げ物に関する祈り等もバシレイオスの儀式には見られないものです。そして勿論、というのも何ですが、 やはりヤコブらの儀式という体裁に沿っているからでしょう、ニケア・コンスタンティノープル信条も使われていませ ん。

あくまで個人的に、ですが。 バシレイオスらが三者への称揚と人間の謙遜をバッサリ切り落とし、後悔の祈りを痛悔にまとめたのは正解だと思います。この儀式では神の称揚と謙遜を散々繰り返している割には神に対する祈りというか一方的な要求が連連と続き、正直に言えばとても慇懃無礼に感じられるので。

ちなみにカトリックのミサとは聖書朗読、パンとワインの聖別、領聖という流れが共通する位です。探せば細かい記述にも一致があるかもしれませんが。 これはパンとワインを聖別して食べるという根本が後に共有されたとはいえ、その為の儀式はキリスト教の成立直後から各地で独自に成立、発展してきたというだけの話なのでしょう。仮にこのヤコブの名を冠した儀式の流れが古来から のものであったとしても、ローマを始めとする帝国の西方にもそれと同じ位古くから、別の様式の儀式があったと考える方がどう考えても自然ですし。

おわりに
何処かの誰かさんが「聖体礼儀には昔から権力者に対する祈りが含まれている」との宣うたので、そんな訳無いだろう迫害されていたとされる時代はどう説明するんだ、と思ってこの「ヤコブによる神の儀式」を発見、翻訳してみたら、 それ所ではない位色々なものが出てきたというのがこの文章を作った顛末なのですが。結果的に、後にキリストの体としてパンとワインを食べる形にまとまっていく儀式は今の我々が思うよりもずっと多様で、カトリックや正教会等での現在の形はそれらの一部を強調したものでしかない、という事を実感しました。

いやぁ翻訳ってのは本当に骨が折れますね。
しかし一つ一つの単語を追いかける必要があった分色々とそこから見えるものもあったので、苦労した甲斐はあった、とも思えます。
何より2017年8月現在において、「ヤコブによる神の儀式」を日本語で読みたければこの翻訳しか無いという事実がとても気持ちいいです。一番槍を切るってのはいいものですね。

まぁ、実際の所訳の質は決定稿と言えるものではありませんし、キリスト教に詳しい方や専門職の方々から見れば酷い としかいいようのない事も書いているでしょう、多分。という訳で、この訳に異論がある方にも是非自らの翻訳を提示していただけるととても勉強になります。 いやそこまでいかなくても変な所の指摘などもしていただけると私としてはとても嬉しいです。

という事で皆様、おかしな所があったら是非教えてください。
ただしお手柔らかに。

2018年8月25日土曜日

ヤコブによる神の儀式 その4

輔祭がそれを横の机に置く際に、司祭が述べる1――
主なる我らが神の名によって祝福される、永遠に。

輔祭
神への畏れを以て、及び信仰と愛を以て、近づこう。

会衆
祝福されるは彼、主の名によりて来る方2

再び輔祭が円盤を横の机に置く際に、述べる――
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
汝の民を守り給え、おお主よ、汝の継承者を祝福し給え。

司祭再び
我らの神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給う方に。

聖杯を聖なる机に戻す際に、司祭が述べる――
祝福されるは主の名、全く永遠に。

輔祭と会衆が述べる――
我らの口を汝への賛美で満たそう、おお主よ。我らの舌を楽しみで満たそう、汝の栄光と、汝の偉大なるをいつでも歌えるように。

再び――
我らは汝に感謝を伝えます、我が神キリスト、汝は我らを汝の体と血を食するに相応しい者として下さった、罪の許しと終わりなき命のために。汝の善良と愛において、我らは祈ります、我らを罪に定める事のなきに保ち下さる事を。

最後の導入における香料の祈り
我らは汝に感謝を伝え奉る、救世主にして全ての神、全ての善き物を汝は我らに与え、汝の聖なる純粋なる神秘に我らを参加させ給う。我らは汝にこの香料を捧げ、祈る。我らを汝が翼の影に留め給え、我らの息が絶えるまで我らの魂と体を聖化する汝の聖なる儀式に参入するに相応しい者と成し給え、聖なる王国を継承する為に。汝において、おお神は、我らを聖化し給う。我らは賛美と感謝を汝に捧げる、父、子、聖霊に。

輔祭が導入を開始する
汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、汝に栄光あれ、おお王なるキリスト、神の独り子にして父なる神の言葉3。汝は我らを数えて下さった、汝の罪人にして取るに足らない下僕を、罪の許しと終わりなき命をもたらす汝の聖なる神秘を楽しむに相応しき者に。汝に栄光あれ。

導入を成す間、輔祭はこのように述べ始める――
何度も何度も、いつの時でも、平和の内に、主に祈願しよう。彼の聖なる儀式への参加は我らをあらゆる誤った事柄から遠ざけ、我らの終わりなき生命への旅を支えて、聖霊の交わりと贈物となる。

司祭が述べる
我らの全く聖なる、純粋にして、最も栄光ある、神の母にして永遠の乙女マリア4、及び世界の始まりから汝をよく喜ばせた全ての聖人達を祝わん。我ら自身を、互いを、我らの生命全てを、我らが神なるキリストに捧げん。

会衆
汝に、おお主よ。

司祭
おお神よ、汝の偉大さと語りがたき愛において汝が下僕の弱さを慮り、我らをこの天の食卓における食事に値する者に数え、汝の純粋な神秘に与る我らを罪人として糾弾し給わぬ方よ。しかし我らを聖きに保ち給え、おお善き方、汝が聖霊の聖化によって。世界の始まりから汝をよく喜ばせていた汝の聖人全てを我らが引き継ぎその役割を見いだせるように。汝の独り子、我らが主にして神である救世主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖にして、善き、力をもたらす精霊と共にあり給う方の慈悲において。祝福され賛美されるは汝の全く高貴にして栄光ある名、父、子、聖霊、今もいつも、全く永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

輔祭
皆の頭を主に屈めよう。

司祭
おお主よ、偉大にして驚くべき方、その目を汝の下僕、汝に頭を垂れる我々に向け給え。汝の御手、強きにして祝福に満ちたるを伸ばし、我らを祝福し給え。汝の相続人たる我々にいつも何時でも汝を賛美させ給え。我らの唯一の生にして真実なる神、聖にして本質を同じくする三位一体5、父、子、聖霊6よ、今もいつも。

(司祭)朗々と
我ら全てが汝に属し汝を賛美するによりて、栄光、崇拝、感謝が、父、子、聖霊に、今もいつも。

輔祭
キリストの平和において歌おう、

そして再び述べる
キリストの平和において進もう。

会衆
主の名において。司祭様、祝福を発して下さい。

終祭の祈りが、輔祭によって述べられる
栄光から栄光へと進もう、我らは汝を賛美する、我らの魂の救い主を。栄光は父、子、聖霊に今もいつも、全く永遠に。我らは汝を賛美する、我らの魂の救い主を。

司祭が祭壇から祭具室への祈りを述べる
力から力へと進まん、汝の寺院における神の儀式全てを満たせ。今なお我らは汝に祈願する、おお主である我が神よ、我らを完全なる親愛に相応しき者とし、我らの道を真直ぐに成し、我らに汝への畏れを根付かせ、我らを天上の王国に相応しき者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と共にあり給う方に、今もいつも、永遠に。

輔祭
何度でも、如何なる時も、平和の内に主に祈願しよう。

役割を果たした祭具室での祈り
汝は我らに与え給う、おお主よ、汝の独り子、イエス・キリストの全く聖なる体と尊き血との繋がりによる聖化を。汝の善き霊の恵みを与え、我らを信仰において罪なしに保ち、我らに完全な選択と贖いと来るべき永遠の喜びに導き給う。汝が我らの聖化と光であり給うが故に、おお神、汝の独り子、汝の全く聖なる霊よ、今もいつも、全く永遠に。アーメン。

輔祭
キリストの平和の内に見つめよう。

司祭
祝福されるは神、聖にして、力をもたらす、純粋な神秘において祝福して聖化し給う方。今もいつも、全く永遠に、 アーメン。

それから、和解の祈り
おお主なるイエス・キリスト、生きる神の子、子羊にして羊飼い。世の罪を除き、自由に二人の借金を取り消し7、罪人であった女に罪の許しを与え8、罪の許しとともに麻痺に癒やしを与え給うた方。許し、弱め、赦免し給え、おお神よ、我らの無礼を、望むと望まずにおいて、知ると知らざるとにおいて、逸脱と反抗によるものを。汝の全く聖なる霊は汝の下僕によって成されるよりも良しと知っておられるが故に。
そしてもし、この世界に住みこの世界による体を持つ者達が、悪魔の言葉ないし行いによって動かされるか、呪いの下にあるか、あるいは何か特別の誓いによって、汝の掟に完全に背くのならば。私は汝の語りがたき親愛に祈願し懇願する、彼らを悪魔の言葉から解き放ち、呪いと特別の誓いから救い出すものに、汝の善良によって。真に、おお王なる主よ、汝の下僕らに代わりし私の懇願を聞き給え、汝が彼らの過ち全てを見過ごし、これ以上を記憶し給うな。彼らに依り及び依らざる、全ての逸脱を許し給え。彼らを終わりのなき罰から救い給え。汝によりて彼は我らを率い、述べ給う。そなたらを地上に繋ぎ止める物は天において繋ぎ留められ、そなたらを地上から解放する者は天 において開放されると。汝は我らの神、哀れみ給う神、救いと罪の許しであるが故に。汝による栄光は、永遠の父、力をもたらす霊と共に、今もいつも、全く永遠に、アーメン。

2018年8月24日金曜日

ヤコブによる神の儀式 その3

領聖の祝文

それから司祭が朗々と――
父である主の愛、子である主の恵み、聖霊による分かち合いと贈物は、我ら全てと共に。

会衆
そして汝の霊に。

司祭
我らの精神と心を天に向けましょう。

会衆
それは正しく妥当なる。

それから司祭が祈る
実にそれは正しく妥当に、相応しきものとなる。汝を賛美し、汝を歌い、汝を崇め、汝を崇拝し、汝の栄光を讃え、汝に感謝を捧げる為の。見えると見えざるありとあらゆる創造物の創り手、永遠に善くある宝物、命と不死の泉、神にして全ての主なる方に。
天の天にありすべてを司る方に賛美を。太陽、月、星星の歌声を。地と海とそこにある全てを。エルサレム、天上の集いであり、天に記されし始まりの教会を。正しき人と預言者達の霊を。殉教者と使徒の魂を。天使、大天使、座天使、 主天使、権天使、力天使、恐るべき能天使、数多の目を持つ智天使、六枚の羽根を背負い二枚の羽根で顔を、別の二枚の羽根で足を、更なる二枚の羽根で飛翔する熾天使、互いを休む事なき唇で、絶え間なく叫ぶように賛美する者達を。

(司祭)朗々と
朗々たる声で壮麗なる汝の栄光を称える賛美歌を歌わん、叫ぶような声で、讃え、吠え、そして述べん――

会衆
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、おお万軍の主、天地は汝の栄光に満ちる。いと高き所にホザンナ、祝福された 彼は主の名によって来たる、いと高き所にホザンナ。

司祭が贈物の前で十字を切り、告げる――
聖なるは汝、永遠なる王、あらゆる神聖の主にしてこれを与え給う方。また聖なるは汝の独り子、我らが主イエス・キリスト、汝によって万物を創り給う方。また聖なるは汝の聖霊、万物を、汝の深淵なるものをも見通し給う方、おお神よ。聖なるは汝、全能なる、全く力強き、善き、恐るべき、慈悲に満ち給いし、汝の被造物に誰よりも慈愛をもたらし給う方。土から自らの像と肖1として人を作り給う方。其に楽園の喜びを与え給う方。其が掟に背き去った後、其2を無視せず見捨てなかった方、おお善き方、しかして其を慈悲深き父として罰し、律法によって其を呼び、預言者達によって其を導き給う方。その後汝の独り子、我らが主イエス・キリストを世界に送り給いし方、彼の来たるによりて彼は汝の像を新しく復元し給う。
天から降り、聖霊及び乙女にして神の母3マリアによって肉体となり、僅かな間に人々の間にあり、我らの民族4を救う為の統治を成し遂げた方。十字架において自らの意志によって生命をもたらす死を耐え忍び、罪なき彼が我々の為に罪人となり給いしは、彼が裏切られた、否、世界の生命と救いの為に彼が自らを委ね給うたあの夜に於いてである。

それから司祭がパンを持ち、告げる――
彼の聖にして純粋なる罪なき不滅の手からパンを受け取れ。天に目を向け、彼の神にして父である汝にそれを示さん。 彼は感謝と崇敬を受け、裂かれ、それは我らに与えられた。彼の弟子と使徒が言うは――

輔祭が述べる5
これは罪の許しと終わりなき生命の為。

会衆
アーメン。

それから司祭が杯を持ち、告げる――
このように、晩餐の後、彼は杯を手に取りワインと水を混ぜ合わせ給う。天に目を向け、彼の神にして父である汝の前 にあれ。彼は感謝と崇敬を受け、杯を祝福し、これを聖霊で満たし、我らに与え給う。彼の弟子は告げる、そなた達よ、 皆でこれを飲め、これはあなたと多くの者の為に流された新訳の血、罪の許しの為に分け与えられたもの。

会衆 アーメン。

司祭
これは私に思い起こさせる。そなたがこのパンを食べ、杯を飲む度に、そなたは主の死を思い、彼の復活を告白する、彼が来られるまで。

輔祭
我らは信じ、告白する、

会衆
我らは汝の死を思い、おお主よ、汝の復活を告白する。

司祭(奉納する)
故に記憶する、命をもたらす彼の苦難を、救いの為に彼が架かり給いし十字架を、彼の死と埋葬を。そして彼は三日目に死から復活し、天に昇り、我らの神にして父である汝の右手に座し給う。そして栄光に満ちた恐るべき彼の二度目の降臨において、彼は栄光と共に来たりて生と死を審判し、彼の働きを以て万人に宣告し給う。たとえ我らが罪人であろうと、汝に、おお主よ、慄きつつ血を抜いた犠牲を捧げ、汝が我らを罪を犯した者と見做さず、我らの内にある悪に報いを下し給わぬ事を祈る。
しかし汝は、汝の慈悲と語りがたき親愛によりて、汝の懇願者である我らの罪状を見過ごし、消し去り給う。汝は我らに汝が整えたる(その目は見ず、耳は聞かず、我らの心に立ち入らない6)天上の永遠なる贈物を与え給う、おお神よ、汝を愛する者達の為に。そして、おお愛する主よ、人々を私によって、また私の罪によって拒み給う事なかれ。

それから司祭が三度述べる――
汝を乞い願う汝の民と教会の為に。

会衆
我らを憐れみ給え、おお主なる我らの神、全能の父よ。

司祭が再び述べる(嘆願する)
我らを憐れみ給え、おお全能の神。
我らを憐れみ給え、おお我らの救い主たる神。
我らを憐れみ給え、おお神よ、汝の偉大なる慈悲によりて。我らと我らの捧げし贈物に、汝の全く聖なる霊を賜う事を。

それから首を屈め、述べる――
王にして力をもたらす霊は、我らの神である父、及び汝と共に統治する汝の独り子と共に汝の王座に座り、それらは本質を同じくして7、共に永遠にあり給う。律法と預言者と新訳において語られたるは、我らが主イエス・キリストがヨルダン川に浸かり、住み給う事。及び、ペンテコステの日に聖にして栄光あるシオンの屋上の間8において炎のような舌が使徒達に降りたる事。この汝の全く聖なる霊は送られ給う、おお主よ、我々の元に、また捧げられた聖なる贈物に。

司祭が背を伸ばし、朗々と述べる――
それは来たる、彼の聖にして善く栄光に満ちた現れによって。彼はこのパンを聖化し、汝キリストの聖なる体と成す。

会衆
アーメン。

司祭
そしてこの杯を汝の尊き血と成す。

会衆
アーメン。

司祭、立ったまま
それらは食した者全ての罪の許し、終わりなき命、魂と体の聖化、善き業の果実の実り、汝の聖にして普遍なる、汝が 信仰の岩に建てた教会の確立となろう。地獄の門はそれを打ち破る事なく、あらゆる異端と醜聞、悪を成す者から守られ、時が満ちるまで保たれる。

そして身を屈め、告げる――
我らはまたそれらを汝に贈る、おお主よ、汝のキリストが聖なる現れと汝の全く聖なる霊の訪れによって、汝が賛美し給う祭壇へと。特に栄光に満ちたシオン、全ての教会の母9、世界の隅々まで広がる汝の聖なる、普遍なる使徒の教会は、今でさえ、おお主よ、汝の全く聖なる霊の豊かな贈物の上に建てられている。
また記憶し給え、おお主よ、そこにありし我らの聖なる教父と同胞を、全地にある司祭ら、汝の真なる神の御言葉10を正しく分け与える者らを。
また記憶し給え、おお主よ、全ての都市と国を、そこに住む真実の信仰を持つ者を、彼らに平和と安寧を。
記憶し給え、おお主よ、船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者を。我らの教父と同胞、枷、監禁、捕縛、 亡命の中に、鉱山11、拷問、辛い隷従の中にいる人々を。
記憶し給え、おお主よ、老いて弱った者、病と苦しみの内にある者を。不浄な霊に苦しめられる者に、汝の速やかなる癒やしと、おお神よ、彼らの救いを。
記憶し給え、おお主よ、苦難と苦痛の中にあり、汝の慈悲と助けを必要としているあらゆるキリスト者の魂を。おお神よ、過ちからの帰還を。
記憶し給え、おお主よ、我らの教父と同胞を、重き労苦を背負い、我らの司祭を務める者らを、汝の聖なる名によるを以て。
記憶し給え、おお主よ、善きの全てを。全てに慈悲を、おお主よ、我ら全てと和解し給え。汝の民の多くに平和を、醜聞から遠ざけ、戦に終わりをもたらし、異端の勃興を止め給え。汝の愛と平和を我らにもたらし給え、おお主にして我らの救い主、地の全ての終末における希望よ。
記憶し給え、おお主よ、順調な気候、平和の雨、恵み深き雫、豊かな収穫、御恵みの冠を、汝の善良を以て。汝を待ち望む全ての目の為に、汝が然るべき時に彼らに食物を与え給え。汝はその手を広げて、喜びを以て全ての生きる物を満たし給う。
記憶し給え、おお主よ、果実をもたらす者、神の聖なる教会において立派な働きをする者を。貧者、寡婦、孤児、異邦人、愛を求める人を忘れぬ者を。我らの祈りにおいて言及される事を望む者を。
更に、主よ、この日汝の聖なる祭壇に捧げ物を奉る者らを喜びを以て記憶し給え。また各々がそれらの捧げ物において心に留めた人々を、今この時に汝に向かい合う人々を。
記憶し給え、おお主よ、汝の数多の慈悲と慈愛を以て、汝の卑しく無益な下僕であるこの私をも。汝の祭壇を囲む輔祭達を。寛大に彼らに罪なき命をもたらし、彼らの司祭を罪無きに保ち、彼らの為に善き位を手に入れ給う事を。我らが慈悲と恵みを見いだせるように、世界の始まりから幾世代に渡り、汝をよく喜ばせたあらゆる聖人において。遠き父祖、 父祖、主教、預言者、使徒、殉教者、告白者、教師、聖人、及び全ての正しき魂は汝キリストへの信仰によって完全と なった。
栄えあれ、マリア、殊に好まれたる、主は貴女と共にある。貴女は女性の中で祝福され、貴女の子宮による果実も祝福され給う、貴女が我らの魂の救世主を産み給うたが故に12


輔祭 我らを記憶し給え、おお主なる神。

司祭が屈み、述べる――
記憶し給え、おお主なる神よ、我らが記憶する者、記憶しない者、公正なるアベルから今日までの、真実の信仰を持つ者の、その魂と全ての肉体を。かの地に住まう彼らに安息を与え給え、汝の王国に、楽園の喜びに、アブラハム、イサク、ヤコブ、我らが聖なる教父の胸中にある者に。痛み、悲しみ、嘆きから解放され、
汝の顔の光が、永遠に彼らを照らす処にある者に。13
我らキリスト者の生命の終わりを、相応しき、罪のない、平和の内にあるものと成し給え、おお主よ。我らを共に集わせ給え、おお主よ、汝が選びし者を汝の足元へと、汝が望む時に、汝が望むままに。恥と逸脱の無き事を、汝の独り子、 神にして主である救世主イエス・キリストにおいて。彼は大地にあったものの内、唯一罪なきものであり給いし故に。

輔祭 そして祈ろう――
全世界の平和と安定の為に、神の聖なる教会の為に、各自が贈物を捧げた者、その際に祈念した者の為に。ここに立つ人々、そして全ての男、全ての女の為に。

会衆
そして全ての男、全ての女の為に。(アーメン)

司祭朗々と述べる
彼らと我ら両方の為に、汝が汝の善良と愛においてなし給わん。

会衆
許し、弱め、赦免し給え、おお主よ、我らの逸脱を。自らに依りて及び依らざる、知りながら及び知らざるの故に、夜と昼に、思いと意図によるものを。汝の善良と愛において我らの逸脱全てを許し給え。

司祭
恵みと慈愛と愛をもたらすは汝の独り子、汝によって祝福され賛美され給いし方、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と共にあり給う方による、今もいつも永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
あなたの霊にも。

輔祭
再び、続けて、平和の内に主に祈ろう。
主である神がもたらし聖化し給うた贈物を、高貴にして、天の、語り難き、純粋なる、栄光に満ちた、恐るべき、凄まじき、神のものの為に。
祈ろう。
我らの神である主が、聖にして天上にある彼の祭壇へと寛大にもそれらを受け取り給う事を。理性と魂は、甘き魂の救い主の香りによって、神の恵みと全く聖なる霊の贈物を我らへの返答として見出すだろう。
祈ろう。
信仰の繋がりの為に、彼の全く聖にして崇敬される霊との交わりの為に祈ろう。
我ら自身とお互いを、我らの生命全てを委ねよう、我らの神キリストに。

会衆
アーメン。

司祭が祈る
神にして我らが父なる主、神であり救世主たるイエス・キリスト、栄光の主、祝福されし本質、惜しみない善良、神にして全ての王、全てを永遠に祝福し、ケルビムに座り、セラフィムに賛美され、幾千年も前から立ち、幾万年も前から天使と大天使を率い給いし方。汝は贈物、捧げ物、甘き霊の匂いである香として汝に捧げられた果物を受け取り、これらを喜び、聖化し、完全とし給う。おお善き方、汝のキリストの恵みと、汝の全く聖なる霊の現れによって。

(司祭)朗々と
我らを持ち主として数え給え、おお愛する主よ、大胆さの、純粋な心の故に罪に定まる事なき、悔恨の魂の、聖化された唇の。敢えて名を呼ぶ為に、汝、聖なる神、天の父の。そして述べる。

会衆
天におられる我らの父、汝の名は聖とされ、独唱において在り給う。

司祭、屈んで述べる(声を詰まらせ)14
我らを誘惑に陥らせ給うな、主、あらゆる主人の主よ。我らの弱さを知り、邪悪なるものとその行いから、その悪意と狡猾さから救い給う方よ。我らのへりくだりにおける、汝の聖なる名によりて。

(司祭)朗々と
王国と、力と、栄光は、父、子、聖霊たる汝のもの。今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
あなたの霊にも。

輔祭
頭を屈めて主に祈ろう。

会衆
汝に、おお主よ。

司祭が祈り、このように話す――
汝よ、おお主よ、我らは汝の祭壇に頭を垂れる汝の下僕にして、汝による豊かな慈悲を待ち望むもの。 下し給え、おお主よ、汝の大いなる慈悲と祝福を。我らの魂、体、霊を聖化し、汝の聖なる神秘を受け取り食するに相応しき者と成し給え、罪の許しと終わりなき命の為に。

(司祭)朗々と
崇拝と賛美は汝の為、神、汝の独り子、汝の全く聖なる霊に、今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭、朗々と述べる
聖にして本質を同じくするは恵みと慈悲、作られしに非ず、崇拝さる三位一体、我ら全てと共にあり給う。15

会衆
そして汝の霊と共に。

輔祭
神への畏れにおいて、目を向けよう。

司祭、密かに述べる――16
おお聖なる主、聖なる場所に住まう方は、汝が慈悲の御言葉17、及び汝が全く聖なる霊の訪れによりて我らを聖化し給う。汝において、おお主よ、述べ給うは、そなたらは聖となる、私が聖であるようにと。おお主なる我らの神、測りがたき主の言葉、父及び聖霊と本質を一にし、共に永遠にあり独立なる方よ、汝の聖にして血を抜いた犠牲における純粋なる賛美歌を受け取り給え。セラフィムとケルビムと共に、罪人なる私は叫んで言う――

彼(司祭)が贈物を掲げて朗々と述べる
聖なる物は聖なるへ。

会衆
聖なるはただ一人、一人の主イエス・キリスト、父である神の栄光にあり、永遠に栄光を与えられ給う方。

輔祭
罪の許し、我らの魂の和解の為に、苦難と苦痛の中にある全ての魂、神の慈悲と助けを必要としている人々の為に、過ちからの帰還、病からの癒やし、捕縛からの解放、既に眠りし教父と同胞達の安息の為に。 皆で熱意を以て言おう、主よ、憐れみ給え。

会衆(十二回)
主よ、憐れみ給え。

それから司祭はパンを裂き、右手に半分を、左手に半分を持ち、右手を聖杯に浸けて、述べる――
我らの主にして神であり救い主である、イエス・キリストの全く聖なる体と尊き血の結合。

それから彼は左手で十字を切り、もう片方にも切る18。それから速やかにこれを分け、全てを各々の聖杯に一欠片とし て入れる前に、述べる――
それは一つになり、聖化され、完全となった。父と、子と、聖霊の名において、今もいつも。

パンの上で十字を切る時、述べる――
見よ神の子羊、父の子、世界の罪を除き給う方は、世界の生命と救いの為に犠牲となられた。

一欠片を各々の聖杯に入れて、述べる――
キリストの欠片、恵みと真実に満ちた、父の、聖霊の、全く永遠なる栄光と力である方の。

それから分割を始め、述べる――
主は私の羊飼い、私は乏しい事はない。緑の牧野において、云々。19

それから
私は常に主を称える、云々。20

それから
私は汝を崇め奉る、我が神、おお王よ、云々。21

それから
主を褒め称えよ、汝の全ての国よ、云々。22

輔祭
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
彼の純粋な贈物が交わるによって、主は我らを祝福し給い、過ちから遠ざけ給う、今もいつも。
それから
おお主の善きを味わいそして見よ。彼は分かれて分けられず、信仰ある者に分け与えられ尽きる事がない。罪の許しと終わりなき生命の為、今もいつも、永遠に。

輔祭
キリストの平和の内に、歌おう。

聖歌隊
おお主の善きを味わいそして見よ。

司祭が交わり23の前の祈りを述べる
おお主なる我らが神、天のパン、全世界の生命。私は天に対し、汝の御前で罪を犯した、汝の純粋なる神秘を食するに相応しくない者。しかし慈悲深き主として、汝の恵みによって私を相応しき者と成し給え、罪に定められる事無く汝の聖なる体と尊き血を食すに、罪の許しと終わりなき生命の為に。

それから彼は聖職者に分け与え、輔祭が円盤と聖杯を会衆に分け与えている際に、最初の円盤を持った輔祭が述べる――
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭が返答する――
神に栄光あれ、我ら全てを聖化し給えてまた聖化し給う方に。

輔祭が述べる――
汝を崇め奉ります、おお神よ。天の上にあり、汝の栄光は全地に満ち、汝の王国は全く永遠に存続します。

ここで領聖が行われる

2018年8月23日木曜日

ヤコブによる神の儀式 その2

以後、信者のみによる儀式に移行――

司祭が香料の祈りを告げる
主なる全能、栄光の王、一切万物が創造される前にそれらの全てを知り給いし方よ、この聖なる時間に汝を呼び求める我らに汝自らを明かし給え。また我らを我らの逸脱による恥から救い給え。我らの意識と思いを不順な欲望、この世の偽り、悪魔のあらゆる権勢から清め給え。罪人である我らの手から香料を受取り給え、かつてアベル、ノア、アーロン、サムエル及び汝の全ての聖人から捧げ物を受け取ったように。我らをありとあらゆる悪魔から守り給え、我らを常に父、その独り子、汝の全く聖なる霊である、汝への喜び、崇拝、賛美に留め給え、今もいつも永遠に。

聖歌隊の長がケルビムの賛美歌を歌う
全ての滅ぶべき肉体よ、静まれ、恐れ震えて立て、地上それ自体においては何もない事を瞑想せよ――
王の王、主の主として、我らの神キリストは犠牲となり、信仰の糧として与えられる為に来たれり。天使の群れが全ての力と支配と共に彼の前に集う、数多の目を持つケルビム、六枚の羽根を背負い自らの顔を覆うセラフィムが叫ぶように賛美歌を唱える、アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。

司祭が聖なる1 贈物を手に、祈る――
おお神よ、我らの神、天のパンを下さった方。この食物は世界の全て、我らが主イエス・キリスト、救い主、贖い主、恩恵を施す方、我らを祝福し聖化し給う方。汝自らによりてこの贈物を祝福し、汝の天上における祭壇へと寛大によって受取り給え。
汝の善良と愛によって、贈物をした者達を、またその贈物において念じられた者達を記憶し給え。我らを汝、神の神秘なる儀式において罪に定める事なきよう保ち給え。神聖にして賛美されしは汝の全き栄光に満ちた偉大なその名、父、子、聖霊は今もいつも永遠に。

司祭
皆に平安を。

輔祭
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
神の祝福あれ、聖にして純粋なる神秘の現れにおいて我々を祝福し聖化し給い、聖にして正しき天から祝福された魂に安息をもたらし給う方よ、今もいつも、全く永遠に。

輔祭
叡智に目を向けましょう。

司祭が始める
私は一なる神、父なる全能、天と地の造り主を、また一つの主であるイエス・キリスト、神の子を信じる。信条への安 息において。

それから祈り、首を屈める
神にして全ての主、価値なき我々をこの時間に相応しいものとし、人類を愛し給う方。あらゆる偽りと偽善から清められる事で、我らは平和と愛の繋がりにおいて互いに結びつく。証となる聖化をもたらし給う汝の聖なる知識、汝の独り子、我らが主にして救い主イエス・キリスト、汝によって祝福され給いて、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と ともにある方よ、今もいつも永遠に、アーメン。

輔祭
背を正して立ち、うやうやしく立ち、神への畏れを以て立ち、良心への呵責を心に持ちましょう。平和と共に神に祈りましょう。

司祭
神の平和、慈悲、愛、慈愛、親愛において、汝、汝の独り子、及び汝の全く聖なる霊よ、今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

輔祭
聖なる接吻を以て互いに挨拶を交わしましょう。我らの頭を主に屈めましょう。

司祭が身を屈め、この祈りを告げる――
唯一の主にして慈悲深き神よ、汝の聖なる祭壇に頭を垂れ、汝からもたらされる魂の贈物を探し求める者に、汝の善き恵みを下し給え。我ら全てを我らから引き離せぬ霊の祝福で満たし給え。汝、天上に住む方、地上の取るに足らぬ物を見届けてくれる方よ。

(司祭)朗々と
賞賛と崇拝にふさわしく、最も壮麗なるは汝の全く聖なる御名、父と子と聖霊が、今もいつも、全く永遠に。

輔祭
司祭様、祝福を発して下さい。

司祭
主よ我らに、また我ら全てと共にいる司祭2に恵みと親愛によって祝福し給え。

繰り返し
主よ我らを祝福し給え、我らを彼の祭壇に相応しいものになし給え。いつでも、今もいつも永遠に。

繰り返し
神によって祝福され、彼の純粋に神秘なる儀式に集う我ら全てを祝福し聖化する方よ、今もいつも永遠に。

輔祭が普遍への3連祷を始める
平和の内に主に祈りましょう。

会衆
主よ、憐れみ給え。

輔祭
我らを守り給え、我らへの慈悲を以て。我らを憐れみ保ち給え、おお神よ、汝の恵みを以て。
天からの平和、神の親愛、我らの魂の救いの為に――
神に乞い願おう。
全世界の平和を、神の聖なるすべての教会の結合の為に。
神に乞い願おう。
果実をもたらす者、神の聖なる教会において立派な働きをする者の為に。貧者、寡婦、孤児、異邦人、愛を求める人を 忘れぬ者の為に。我らの祈りにおいて言及される事を望む者の為に。
神に乞い願おう。
老いて弱った者の為に。病と苦しみの内にある者の為に。不浄な霊に苦しめられ、神の速やかなる癒やしとその救いを必要とする者の為に。
神に乞い願おう。
純潔のまま生きている者、独身者、規律の内に在る者、聖なる結婚をした者の為に。また教父、及び地上における山、 洞穴、洞窟で苦行にある同胞達の為に4
神に乞い願おう。
船上の、旅をしている、異邦人の中にあるキリスト者の為に。また捕縛、亡命、監禁、辛い隷従を強いられている同胞達が平和に戻れるように。
神に乞い願おう。
罪の許し、逸脱への寛恕、あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、我らの敵による反攻からの助けを。
神に乞い願おう。
順調な気候、平和の雨、恵み深き雫、豊かな収穫、善き季節の順当な区切りを。御恵みの冠を。5
神に乞い願おう。
我らの教父と同胞達が示すものを、また彼らがその聖なる時において我々のために祈る事を、いかなる季節においても、彼らの熱心さ、働き、真面目さを願おう。
神に乞い願おう。
苦難と苦痛の中にあり、神の慈悲と助けを必要としているあらゆるキリスト者の魂の為に。過ちからの帰還、病からの 健康、捕縛からの解放、既に眠った教父や同胞達の安息の為に。
神に乞い願おう。
神の御前にいる我々の祈りが耳に届き受け入れられるように、彼の豊かな慈悲と慈愛が下されるように。
神に乞い願おう。
その捧げ物が、尊く、天上の、言葉にならない、純粋で、栄光に満ちた、想像を絶する、空恐ろしい、神の贈物が、その場に立ちそれらを捧げた司祭のあがないになるように。
主である神に懇願して捧げよう。

会衆
おお主よ、憐れみ給え。

(三度)それから司祭は贈物の前で三度十字を切り、立ち上がり、一人で話し出す――
いと高き処におられる神に栄光あれ、大地に平和あれ、人々の間に善意あれ。
(三度)
主よ、汝は我が唇を開き、我が口にゆるりと汝を賛美させる。
(三度)
私の口を汝への賛美で満たさせ給え、おお主よ、汝の栄光、汝の光栄をいつの日にも伝えられるように。
(三度)
父にアーメン。子にアーメン。聖霊にアーメン。今もいつも、全く永遠に。アーメン。

こちらとあちらに身を屈め、述べる――
我と共にある神を崇める。そして共に彼の名を讃えよう。

会衆が応え、身を屈める
汝によって聖霊が来たる。その最上の力は汝をも覆うだろう

それから司祭の長口上に入る6
おお王たる主よ、慈愛と慈悲を以て我らの間に留まり、自由を以て我々に与え給いし方。汝の卑しく、罪に満ちた取る に足らない下僕が、不遜にも汝の聖なる祭壇に立ち、我らの罪と人々の過ちの為に慄きつつ血を抜いた7この犠牲を汝に奉る。汝の無価値なる下僕を見下ろし給え、そして汝の慈愛を示す為に、私の逸脱を拭い去り給え。私の唇と心を肉体と魂の汚れから清め、恥ずべき愚かな考えを私から取り除き、そして汝の全く聖なる霊の力によって私をこの儀式に相応しきものと成し給え。汝の善良による寛大を以て私を受け入れ、汝の祭壇に引き入れ給え。
その喜びを以て、おお主よ、我らの手より差し出される贈物を相応しきものとする為に、私の弱さへと寄り添い給え。私を汝の臨在より見捨てず、無価値なる私を拒まず、汝の偉大なる慈悲によって私を憐れみ給え。汝の数多き慈悲によって私の逸脱を見過ごし給え。汝の栄光の前に来たる私を罪に定めず、汝の独り子及び汝の全く聖なる霊の煌めきによる守護に相応しい存在に数え給え。私を罪の奴隷として見捨てず、汝の下僕として汝の御前に恵みと慈悲と罪の許しを見出させ給え、今この世界において、また来るべき世界において。
私は汝に祈願する、王たる全能、力強き主よ、私の祈りを聞き入れ給え。一切万物の間に働きかける汝を、我らの全てが万物に汝から来たる助けと支援を探し求める。汝の独り子、善きにして力をもたらし全く同一なる霊を、今もいつも。おお神よ、汝の独り子を世界に送り汝の偉大にして語りがたき愛を示し給うは、彼が迷える羊を呼び戻し、我らを罪人として拒まず、この慄きつつ血を抜いた犠牲を汝の物として手に入れ給うが為。我らが我ら自身の公正さではなく、汝の善き慈悲を信頼するは、汝が我らの民族8を狩り集める存在である故。
我らは汝の善良に乞い願い祈願する、我らによって執行されるこの救済の神秘において汝の民を罪に定めず、罪の許し、 肉体と魂の再生、汝の大いなる充足とならん事を。神と父、汝の慈悲と愛の内にあり汝によって祝福され給いし汝の独り子と、汝の全く聖なる善きにして力をもたらす霊と共に、今もいつも永遠に。
おお主なる神、我々を創り上げ、命をもたらし、救いの道を示し、天上における神秘の啓示をもたらし、汝の全く聖なる霊によりてこの司祭を任命し給う方よ。許し給え、おお王よ、我らが汝の新約の下僕となり、汝の純粋なる神秘の司祭となる事を。汝の聖なる祭壇に引き寄せられるかのように我らを受け入れ給え。汝の慈悲による許しによって我らを、我ら及び人々の逸脱をあがなう為の贈物と犠牲を捧げるに相応しき者となし給え。我らにお許しを、おお主よ、全くの畏れと純粋な良心を以て汝に霊に満ち血を抜いたこの犠牲を贈る事を。そしてその贈物を天上にある汝の聖にして霊に満ちた祭壇へと、甘美で霊に満ちたる匂いの香として寛大に受け取り、その応えとして汝の全く聖なる霊の恵みを我らに下し給え。
そして、おお神よ、我らをご覧じよ、我らの理にかなった儀式を見つめ、受け入れ給え。汝がアベルの贈物、ノアによる犠牲、モーセとアロンらの聖職、サムエルによる平和の願い、ダビデの後悔、ザカリヤの香料を受け入れ給うたように。汝の使徒らの手による真正な儀式を受け入れ給うたように。汝の善良によりて罪人である我らの手によるこれらの 贈物も受け入れ給え。我らによる奉献を相応しきものに、聖霊によって清められたものにし、我らの逸脱と人々の過ち のあがない、また既に眠りし魂の安息となるものとして認め給え。また卑しく、罪に満ち、無価値なる我々を、無垢に汝の聖なる祭壇に仕える者として数え、信仰に満ちた知の給仕としての報いを受け取らせ、汝の正しく善き報いが下される恐るべき日に恵みと慈悲を見出させ給え。

覆いへの祈り
我らは汝に感謝します、おお主にして神、不遜なる我らを汝の聖所の入り口に至らせ、汝のキリストの肉を隠す覆いによって我らを新しい生命の道に新生させ給う方よ。故に我らは、汝が栄光の聖櫃がある処に入り、覆いの内に入って、 諸聖の中の聖を見つめ、汝の善良の前に自らを放棄するに相応しい存在に数えられた。
主よ、我らに慈悲を下さる方。我らは汝の聖なる祭壇の前に立ち、強く畏れ震えながら、我らの罪と人々の過ちをあが なう慄きつつ血を抜いた犠牲を奉る。もたらし給え、おお主よ、汝の善き恵み、我らの魂、肉体、霊の浄化、思いの浄化を。我らが純粋な良心を以て汝に喜びの犠牲、和解の贈物を奉れるように。

(司祭)朗々と
汝によって祝福されし汝の独り子の慈悲と親愛によりて、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす霊と共に、今もいつも。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

輔祭
背を正して立ち、神を畏れて立ちましょう、悔恨を以て。神に平和を届けるために、聖なる交わりの儀式に意識を向けましょう。

会衆
平和の捧げ物、喜びの犠牲。

司祭(この時奉納されたパンとワインから覆いは取り除かれている)
この聖化された儀式の象徴を隠していた覆いは取り除かれ、汝はそれを明らかにした。我らの知性の視野は絶対的な光で満たされ、肉体と魂のあらゆる汚れによる貧しさは拭い去られ、この震え恐れながら近づくに値する者となった。汝 が全く慈悲に満ちた寛大な神であり給う故に、我らは喜びと感謝を天上の汝に届ける、父、子、聖霊である汝に、今もいつも永遠に。

2018年8月22日水曜日

ヤコブによる神の儀式 その1

司祭
おお主なる我らの神よ、多くの罪に汚れた私を拒み給うな。ご覧あれ、私が僭越にも汝の神にして天上なるこの神秘に 来たるは、私がこの目で汝の善良を拝み、この声で汝を、罪人なる私を憐れむ神よと称える為。天に逆らい汝の御前で 罪を犯した私は、汝、神の霊なる食卓、汝の独り子にして我らの主イエス・キリスト、罪人であり全身を汚した私の為 に犠牲となり神秘なる啓示を成し給うた方がおられる処には相応しくない者。故に私は汝に懇願と感謝を奉り、慰め主である汝の霊を私に遣わし、私をこの儀式に相応しき者として強め給わん事を願う。そして私を罪に定め給わず、汝によって人々にもたらされた御言葉1を広めるに相応しい者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす、汝と全く同一である2霊と共にある方よ、今もいつも永遠に、アーメン。

祭壇前の祈り
父と子と聖霊に栄光あれ、三にして一の神性の光、三位一体3において単一の存在となり分かたれる事なく分かれる方よ。大地はその支配を、海はその力を、全ての存在するもしくは存在するであろう被造物はその偉大さを称えており、 その栄光が天国を宣言する神の全能、その一つが三位一体。全ての栄光、崇敬、力、偉大、壮麗が今もいつも永遠にあなたのものであらん事を。

冒頭における香料への祈り4
主なるイエス・キリスト、おお神の言葉5、何者にも強制される事なく罪なき御身を十字に架け父なる神に捧げ給う方、 結び付けられた二つの性質、預言者の唇に触れてその舌を動かし、またその罪を除いたように、罪人たる我らに触れて 一切の汚れを清め、汝に喜びの捧げ物を奉る為の聖なる祭壇に立たせ給う主よ。汝の無益な下僕である我々からこの甘美なる匂いの香りを受取り給え。そして我らの肉体と魂に巣食う悪魔の臭いを芳しい香りに変え、汝の全く聖き聖霊の 力によって我々を清め給え。汝ただ一人が聖なるによりて、聖化し、信者への聖餐となり給う方によりて。栄光が汝に、 汝の永遠の父と、汝の全く聖きと、善きにして力をもたらす霊と共に、今もいつも永遠にあらんことを。アーメン。

導入の祈り
おお慈悲深き永遠の王、世界の造り主よ、汝のキリストを仲立ちとして汝へと向かう教会を迎え入れ給え。全ての意義 を満たし、全てを完全へと導き、我々を汝の聖化の恵みに値する存在まで引き上げ、汝の聖なる教会に集わせ給う主よ、 それは汝が汝の独り子の尊き血によってもたらし給うたもの。我らの主にして救い主イエス・キリスト、汝によって祝 福され賛美された方よ、汝の全く聖きと、善きにして命をもたらす聖霊と共に、今もいつも永遠にあらんことを。アーメン。

輔祭
再び主に祈りましょう。

司祭による、集会の導入における香料への祈り
おお神よ、アベルの贈物、ノアとアブラハムの犠牲、アロンとザカリヤの香物を受け取り給うた方よ、罪人たる我等の手からも甘美な匂いを放つこの香を受け取り、我らの罪と汝の全ての民の許しと成し給え。汝の御業が祝福され、光栄が汝のものとなり、父なる汝が汝の独り子と、汝の全く聖きと、善きにして命をもたらす霊と共に、今もいつも永遠に あらんことを。アーメン。

輔祭 司祭様、祝福を発して下さい6

司祭が祈る 我らの主にして神なるイエス・キリスト、並外れた善良と愛によって自らの意志で十字に架けられ、槍と釘に貫かれる事を拒み給わざる方、我々にも永遠に残る終わりのない記憶をもたらす、あの神秘にして苦痛に満ちた奉仕を成し遂げ給う方よ。神であるキリストにおける司祭を祝福し、我々の始まり7を祝福し給え。言葉にならない慈愛8によってこの我らの礼拝の奉献を十分に完全なるものに成し給わん事を。今もいつも永遠に。アーメン。

輔祭に合わせて答唱
主は我らを祝福し、我らをセラフィムの如く神への贈物を成すに相応しい者にして下さる。故に歌おう、大いに歌おう、 聖なる賛美歌トリサギオンを。溢れんばかりに満ち満ちておびただしい程に完全なるその神聖さを以て、今もいつも。

それから輔祭が先頭で歌う
神の独り子、神の言葉9、不滅なる方。我らを救う為に甘んじて神の母10たる乙女マリアより受肉した方は、全きの人間となり苦しめられなさった。おお我らの神キリスト、その死によって死を踏み破りし、三位一体の一つにして父と聖霊とともに賛美される方よ、我らを守り給え。

司祭が祭壇の門における祈りを告げる
全能の神、栄光の偉大なる主よ、独り子にして我らが主、神であり救い主であるイエス・キリストが人々と交わった僅かな間に我らに至聖所への門を賜りし方よ、汝の聖なる祭壇を前に恐れ震える我々は、汝の善良を懇願して祈願する。 我らに力を、おお神よ、汝の善き恵みを与え給え、我らの魂、体、霊を清めん事を、我らの思いを敬虔に導かん事を。
我々が純粋な良心を以て汝に贈物、捧げ物、我らの逸脱を許す為の果実を捧げられるように。そして汝が永遠に祝福し給うその独り子の恵みと慈悲と親愛とによって、汝の民の全てに平安をもたらさん事を。アーメン。

祭壇に近づいた後、司祭が告げる
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

司祭
主は我ら全てを祝福し、神の純粋なる神秘への始まりと祝いにふさわしく神化し給う。彼の恵みと親愛によって、祝福 された善く正しき魂に安息のあらん事を。今もいつも永遠に、アーメン。

それから輔祭が共同祈願11を告げる
平和の内に神に祈願しよう。
天からの平和、神による人への愛、我々の魂への救いを神に祈願しよう。
全世界の平和を、全ての神の聖なる教会の結束を神に祈願しよう。
罪の許しを、逸脱12への寛恕を、あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、我らの敵による反攻からの解放を神に祈願しよう。

それから聖歌隊がトリサギオン13を歌う
聖なる神、聖なる力強き、聖なる不滅なる方よ、我らを憐れみ給え。

それから司祭が祈り、身を屈める
おお慈愛に満ち慈悲深い、辛抱強き、実に丁重にして真実なる神よ、汝の整った住処から我らをご覧になり、汝の請願者である我らの声を聞き、悪魔と人によるあらゆる誘惑から我らを守り給え。我らへの助けを躊躇せず、我らの力では 耐えられない折檻をお控え給え。我らには乗り越えられない苛みであっても、汝は踏み越えん、主よ我らに敵対するも の全てから我らを守り給え。我らを守り給え、おお神よ、世の困難から汝の善良を以て。汝の祭壇にふさわしき純粋な良心へと近づけるように。汝が罪として定め給わず、祝福されし賛美歌トリサギオンが汝に届くように。天上の力を以てこの儀式を執り行い、汝神への湧き出す喜びを以て、我らが永遠の生命にふさわしい者として数えられるように。

(司祭)朗々と
何故なら汝は聖なり、主我らが神よ。汝がおわし安らい給う聖なる処へ、我らは汝に喜びと賛美歌トリサギオンを届ける。父と子と聖霊よ、今もいつも永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

聖歌隊
アレルヤ。

それから旧約聖書における聖なる予言と預言者の記述が読まれ、神の子の受肉、彼の受難と死からの復活、天への御昇り、栄光に包まれての二度目の来臨が表明される。これらの朗読は日々聖なる神の儀式において行われていた。

朗読と教えの後、輔祭が唱える
皆で唱えよう、主よ、慈悲深き方よ。
全能の主、我らの父祖の神。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
天上からの平和と我らが魂の救いの為に。
主に祈願しよう。
全世界の平和の為に、神の聖なる教会全ての結合の為に。
主に祈願しよう。
キリストを愛する全ての人の救いと助けの為に。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、捕囚、悲痛な死、我々の内にある悪からの救いの為に。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
ここにいる人々は、汝の豊かで豊富な慈悲を待ち望む。
我らは汝に祈願する、慈悲深く丁重なる方よ。
汝の人々を救い給え、おお主よ、汝を継承する者全てに祝福を給わん。
慈悲と慈愛を以て汝の世界に留まり給え。
尊く力をもたらす十字架の力によってキリスト者のホルンを高く響かせよ。
我らは汝に祈願する、最も慈悲深き主、汝への我らの祈りを聞き届け、我らに慈悲をもたらす方よ。

会衆が三唱
主よ、我らを憐れみ給え。

輔祭
我らが罪の許し、我らが逸脱の寛恕、あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難からの救いの為に、主に祈願しよう。
全てを以て主に乞い願おう、完全で、聖に、平和に、罪なく一日を過ぎ越せるように。
主に乞い願おう、平和の伝え主、信仰の導き手、我らの魂と体の守護者に。
主に乞い願おう、我らの罪と逸脱を許し寛恕する方に。
主に乞い願おう、我らの魂と世界の平和に善く適切なる物の持ち主に。
主に乞い願おう、我らの残りの人生を平和と健やかさの内に送らせて下さるであろう物に。
乞い願おう、我らの人生の終わりにキリスト者であるように、痛みも恥も無く、恐ろしく悍ましいキリストの座の前で 良き弁明が出来るように。

司祭
福音にして光、救い主にして我らの魂と肉体の守り手である汝、神、及び汝の独り子、汝の全く聖なる霊の為に、今も いつも。

会衆
アーメン14

司祭
神は、我らに汝の神なる救いの予言を教え給うた方は、我らの魂が罪人である事を語る前に理解させる光。それ故に我らは実直な信仰、潔白な生活、純粋な会話を求めようとしながら、魂に由来する物が聞こえないのみならず、善行を成す事もかなわなくなった。

(司祭)朗々と
我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福されし、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす聖霊と共にある方において、 今もいつも、永遠に。

会衆
アーメン。

司祭
皆に平安を。

会衆
貴方の霊にも。

輔祭
あなたの身を主に屈めましょう。

会衆
主、汝に。

司祭が祈り、述べる
おお主なる、生命をもたらし、善き物を与え、永遠の生命への祝福されし希望を人類に与え給う、我らが主イエス・キリストよ。我らを神聖さに値する者、未来の至福を楽しむ為の汝の神なる儀式にとって完全なる者に数え給え。

(司祭)朗々と
故に、いつも汝の力で守り給え、真実の光へ導き給え。今もいつも、我らが父、子、聖霊である汝に感謝と喜びを伝えられるように。

会衆
アーメン。

輔祭
洗礼志願者15、洗礼を受けていない者、我々とともに祈りの場に参加できない者はご退去を。
(その後)扉を閉め、皆で立ち、主への祈りを続けましょう。

2018年8月20日月曜日

『ヤコブによる神の儀式』、前書き

この『ヤコブによる神の儀式』はキリスト教における世界最古のミサ/聖体礼儀/礼拝とされ、その起源は一世紀にまで遡れるのだそうです。伝説によれば、この儀式を組み上げたのは「主の兄弟」、つまりイエス・キリストの血縁者であるヤコブともされています。

なのですが、いきなり白状してしまうと。
実の所この儀式が確立したのは四世紀のエルサレムなのだそうです。ジョン・フェンウィック(John R. K. Fenwick)氏によれば、エルサレムの聖キュリロスという神学者1が同時代の聖バシレイオス2と同じ原型を使って370年にこの儀式を作成したのだとか3。そしてこの時代のエルサレム教会は主の兄弟ヤコブが建てた教会とは直接には繋がっていません。

更に聖餐(ユーカリストとも。キリストの体としてパンとワインを食べる事)が日曜朝の礼拝に組み込まれたのは二世紀のユスティノス4以降であり、それ以前のパンとワインは通常の食事における儀式を介して食べられていたのだそうです5。であるならば、この『ヤコブによる神の儀式』」におけるパンとワインをキリストの肉と血として食べるという流れは、 62年に死んだとされるヤコブ等による教会には存在し得なかった事に…6

じゃあこの儀式の全部が四世紀に出来たのかというと、どうやらそういう訳でもないようです。どの部分がどの位、という問題は当然発生しますが、この儀式は当時に伝わっていた古い儀式を整理して、そこから幾ばくかの抜粋をする事によって作られています。例えば、血を抜いた動物を捧げるであるとか、 「我が民族の救い」という言い回しが二度使われていたりと、四世紀頃にはとっくに離散していたユダヤ人キリスト教徒の習慣と思われる箇所等も残っていたりします。

ジョン・ウィルキンソン(John Wilkinson)氏によれば、かつて最初期のユダヤ人キリスト教徒が作った箇所として、
トリサギオン(日本正教会訳だと聖三祝文)の祈り、
奉献の祈り(人間が神へ犠牲などを捧げる際の祈り)、
 後悔の祈り(自分が罪人である、あるいは罪を犯した事への祈り)、
ユダヤ教と並行する接合とEctenes の祈り(~に代わって、で始まる人々や物に対する祈りで、「主に懇願しよう」で締める78。ここでは二つまとめて懇願の祈りと呼びます)の5つがユダヤ人キリスト教徒による祈りを保存しているとか9

他にも 色々と興味深い記述があったり、逆に今日東方正教会による聖体礼儀ではしつこいくらいに書かれる下りが丸々無かったりと、キリスト教の発展を考える上で様々な示唆があるのは確かです。と、いう事で。多くの 方々に謎解きの楽しさを堪能してもらう為に、また単純に私自身の興味の為に、この儀式を日本語に訳してみることにしました。

…ただし私はギリシャ語が出来ないので、この翻訳は英語訳からの孫訳になります。これは浅学をご容赦をとしか言えません。一応英文翻訳は現在進行系でこの儀式を挙行している方々のものを採用させていただいたので、それなりに正確ではある…とは思いたいです。
ちなみにユダヤ人キリスト教徒達が実際にはアラム語で儀式を行っていた場合はひ孫訳という事になります。が、仮にアラム語による原典があったとしてもそれは一文字も残っていないので気にしても仕方ない話ですが。

さて、この翻訳のソースですが。
Christian Classics Ethereal Library というサイトによる翻訳を主に使いました。 https://web.archive.org/web/20080615045105/http://web.ukonline.co.uk/ephrem/lit-james.htm
またこちらも参照しています。CCELによる翻訳で行き詰まった時は時にこちらの身も蓋もない翻訳が役に 立っています。 https://web.archive.org/web/20080513232141/http://web.ukonline.co.uk/ephrem/index02.htm
英国にあるコンスタンティノープル教会、つまりカルケドン系正教会の修道院によるサイトのようです。

ほとんど翻訳が終わってしまったあとに存在に気付いたのですが、 http://www.newadvent.org/fathers/0717.htm
こんなソースもあります。ただしこれはCCELのそれと殆ど内容が一緒です。 http://www.orp.gr/?p=3787
ギリシャ語の.docファイルはここからダウンロードしています。ただしこのギリシャ語も原型とは程遠い、 現在使われている(つまり後世に色々と書き足されている)儀式の次第の模様。
この聖体礼儀そのものに関してはこんな文章も。

神を指すThouおよびその変化系は全て「汝」で。
イエス・キリストを指す大文字のHeおよびその変化系は全て「彼」。
Divineは「神の」で、spiritは「霊」で訳しました。

ちなみに「聖体礼儀」ではなく「神の儀式」としたのは、「聖体礼儀」が誤訳だからです。単語や節回しは日本人の多くが慣れているであろうカトリックやプロテスタントによる翻訳を多分に参考にしましたが、時々日本正教会風の言い回しが出てきたりもします。

あ、それと。 これを翻訳している私は非信徒で、かつ洗礼を受けるつもりは全くない人間です。 教会の都合を無視する事には全くためらいはないので、その辺は悪しからず。

それでは、次回投稿から本文に入ります!