おお主なる我らの神よ、多くの罪に汚れた私を拒み給うな。ご覧あれ、私が僭越にも汝の神にして天上なるこの神秘に 来たるは、私がこの目で汝の善良を拝み、この声で汝を、罪人なる私を憐れむ神よと称える為。天に逆らい汝の御前で 罪を犯した私は、汝、神の霊なる食卓、汝の独り子にして我らの主イエス・キリスト、罪人であり全身を汚した私の為 に犠牲となり神秘なる啓示を成し給うた方がおられる処には相応しくない者。故に私は汝に懇願と感謝を奉り、慰め主である汝の霊を私に遣わし、私をこの儀式に相応しき者として強め給わん事を願う。そして私を罪に定め給わず、汝によって人々にもたらされた御言葉1を広めるに相応しい者と成し給え。我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福され、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす、汝と全く同一である2霊と共にある方よ、今もいつも永遠に、アーメン。
祭壇前の祈り
父と子と聖霊に栄光あれ、三にして一の神性の光、三位一体3において単一の存在となり分かたれる事なく分かれる方よ。大地はその支配を、海はその力を、全ての存在するもしくは存在するであろう被造物はその偉大さを称えており、 その栄光が天国を宣言する神の全能、その一つが三位一体。全ての栄光、崇敬、力、偉大、壮麗が今もいつも永遠にあなたのものであらん事を。
冒頭における香料への祈り4
主なるイエス・キリスト、おお神の言葉5、何者にも強制される事なく罪なき御身を十字に架け父なる神に捧げ給う方、 結び付けられた二つの性質、預言者の唇に触れてその舌を動かし、またその罪を除いたように、罪人たる我らに触れて 一切の汚れを清め、汝に喜びの捧げ物を奉る為の聖なる祭壇に立たせ給う主よ。汝の無益な下僕である我々からこの甘美なる匂いの香りを受取り給え。そして我らの肉体と魂に巣食う悪魔の臭いを芳しい香りに変え、汝の全く聖き聖霊の 力によって我々を清め給え。汝ただ一人が聖なるによりて、聖化し、信者への聖餐となり給う方によりて。栄光が汝に、 汝の永遠の父と、汝の全く聖きと、善きにして力をもたらす霊と共に、今もいつも永遠にあらんことを。アーメン。
導入の祈り
おお慈悲深き永遠の王、世界の造り主よ、汝のキリストを仲立ちとして汝へと向かう教会を迎え入れ給え。全ての意義 を満たし、全てを完全へと導き、我々を汝の聖化の恵みに値する存在まで引き上げ、汝の聖なる教会に集わせ給う主よ、 それは汝が汝の独り子の尊き血によってもたらし給うたもの。我らの主にして救い主イエス・キリスト、汝によって祝 福され賛美された方よ、汝の全く聖きと、善きにして命をもたらす聖霊と共に、今もいつも永遠にあらんことを。アーメン。
輔祭
再び主に祈りましょう。
司祭による、集会の導入における香料への祈り
おお神よ、アベルの贈物、ノアとアブラハムの犠牲、アロンとザカリヤの香物を受け取り給うた方よ、罪人たる我等の手からも甘美な匂いを放つこの香を受け取り、我らの罪と汝の全ての民の許しと成し給え。汝の御業が祝福され、光栄が汝のものとなり、父なる汝が汝の独り子と、汝の全く聖きと、善きにして命をもたらす霊と共に、今もいつも永遠に あらんことを。アーメン。
輔祭 司祭様、祝福を発して下さい6。
司祭が祈る 我らの主にして神なるイエス・キリスト、並外れた善良と愛によって自らの意志で十字に架けられ、槍と釘に貫かれる事を拒み給わざる方、我々にも永遠に残る終わりのない記憶をもたらす、あの神秘にして苦痛に満ちた奉仕を成し遂げ給う方よ。神であるキリストにおける司祭を祝福し、我々の始まり7を祝福し給え。言葉にならない慈愛8によってこの我らの礼拝の奉献を十分に完全なるものに成し給わん事を。今もいつも永遠に。アーメン。
輔祭に合わせて答唱
主は我らを祝福し、我らをセラフィムの如く神への贈物を成すに相応しい者にして下さる。故に歌おう、大いに歌おう、 聖なる賛美歌トリサギオンを。溢れんばかりに満ち満ちておびただしい程に完全なるその神聖さを以て、今もいつも。
それから輔祭が先頭で歌う
神の独り子、神の言葉9、不滅なる方。我らを救う為に甘んじて神の母10たる乙女マリアより受肉した方は、全きの人間となり苦しめられなさった。おお我らの神キリスト、その死によって死を踏み破りし、三位一体の一つにして父と聖霊とともに賛美される方よ、我らを守り給え。
司祭が祭壇の門における祈りを告げる
全能の神、栄光の偉大なる主よ、独り子にして我らが主、神であり救い主であるイエス・キリストが人々と交わった僅かな間に我らに至聖所への門を賜りし方よ、汝の聖なる祭壇を前に恐れ震える我々は、汝の善良を懇願して祈願する。 我らに力を、おお神よ、汝の善き恵みを与え給え、我らの魂、体、霊を清めん事を、我らの思いを敬虔に導かん事を。
我々が純粋な良心を以て汝に贈物、捧げ物、我らの逸脱を許す為の果実を捧げられるように。そして汝が永遠に祝福し給うその独り子の恵みと慈悲と親愛とによって、汝の民の全てに平安をもたらさん事を。アーメン。
祭壇に近づいた後、司祭が告げる
皆に平安を。
会衆
貴方の霊にも。
司祭
主は我ら全てを祝福し、神の純粋なる神秘への始まりと祝いにふさわしく神化し給う。彼の恵みと親愛によって、祝福 された善く正しき魂に安息のあらん事を。今もいつも永遠に、アーメン。
それから輔祭が共同祈願11を告げる
平和の内に神に祈願しよう。
天からの平和、神による人への愛、我々の魂への救いを神に祈願しよう。
全世界の平和を、全ての神の聖なる教会の結束を神に祈願しよう。
罪の許しを、逸脱12への寛恕を、あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、我らの敵による反攻からの解放を神に祈願しよう。
それから聖歌隊がトリサギオン13を歌う
聖なる神、聖なる力強き、聖なる不滅なる方よ、我らを憐れみ給え。
それから司祭が祈り、身を屈める
おお慈愛に満ち慈悲深い、辛抱強き、実に丁重にして真実なる神よ、汝の整った住処から我らをご覧になり、汝の請願者である我らの声を聞き、悪魔と人によるあらゆる誘惑から我らを守り給え。我らへの助けを躊躇せず、我らの力では 耐えられない折檻をお控え給え。我らには乗り越えられない苛みであっても、汝は踏み越えん、主よ我らに敵対するも の全てから我らを守り給え。我らを守り給え、おお神よ、世の困難から汝の善良を以て。汝の祭壇にふさわしき純粋な良心へと近づけるように。汝が罪として定め給わず、祝福されし賛美歌トリサギオンが汝に届くように。天上の力を以てこの儀式を執り行い、汝神への湧き出す喜びを以て、我らが永遠の生命にふさわしい者として数えられるように。
(司祭)朗々と
何故なら汝は聖なり、主我らが神よ。汝がおわし安らい給う聖なる処へ、我らは汝に喜びと賛美歌トリサギオンを届ける。父と子と聖霊よ、今もいつも永遠に。
会衆
アーメン。
司祭
皆に平安を。
会衆
貴方の霊にも。
聖歌隊
アレルヤ。
それから旧約聖書における聖なる予言と預言者の記述が読まれ、神の子の受肉、彼の受難と死からの復活、天への御昇り、栄光に包まれての二度目の来臨が表明される。これらの朗読は日々聖なる神の儀式において行われていた。
朗読と教えの後、輔祭が唱える
皆で唱えよう、主よ、慈悲深き方よ。
全能の主、我らの父祖の神。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
天上からの平和と我らが魂の救いの為に。
主に祈願しよう。
全世界の平和の為に、神の聖なる教会全ての結合の為に。
主に祈願しよう。
キリストを愛する全ての人の救いと助けの為に。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難、捕囚、悲痛な死、我々の内にある悪からの救いの為に。
我らは汝が我らの声を聞き給わん事を祈願します。
ここにいる人々は、汝の豊かで豊富な慈悲を待ち望む。
我らは汝に祈願する、慈悲深く丁重なる方よ。
汝の人々を救い給え、おお主よ、汝を継承する者全てに祝福を給わん。
慈悲と慈愛を以て汝の世界に留まり給え。
尊く力をもたらす十字架の力によってキリスト者のホルンを高く響かせよ。
我らは汝に祈願する、最も慈悲深き主、汝への我らの祈りを聞き届け、我らに慈悲をもたらす方よ。
会衆が三唱
主よ、我らを憐れみ給え。
輔祭
我らが罪の許し、我らが逸脱の寛恕、あらゆる苦痛、憤怒、危険、苦難からの救いの為に、主に祈願しよう。
全てを以て主に乞い願おう、完全で、聖に、平和に、罪なく一日を過ぎ越せるように。
主に乞い願おう、平和の伝え主、信仰の導き手、我らの魂と体の守護者に。
主に乞い願おう、我らの罪と逸脱を許し寛恕する方に。
主に乞い願おう、我らの魂と世界の平和に善く適切なる物の持ち主に。
主に乞い願おう、我らの残りの人生を平和と健やかさの内に送らせて下さるであろう物に。
乞い願おう、我らの人生の終わりにキリスト者であるように、痛みも恥も無く、恐ろしく悍ましいキリストの座の前で 良き弁明が出来るように。
司祭
福音にして光、救い主にして我らの魂と肉体の守り手である汝、神、及び汝の独り子、汝の全く聖なる霊の為に、今も いつも。
会衆
アーメン14。
司祭
神は、我らに汝の神なる救いの予言を教え給うた方は、我らの魂が罪人である事を語る前に理解させる光。それ故に我らは実直な信仰、潔白な生活、純粋な会話を求めようとしながら、魂に由来する物が聞こえないのみならず、善行を成す事もかなわなくなった。
(司祭)朗々と
我らが主イエス・キリスト、汝によって祝福されし、汝の全く聖なる、善き、力をもたらす聖霊と共にある方において、 今もいつも、永遠に。
会衆
アーメン。
司祭
皆に平安を。
会衆
貴方の霊にも。
輔祭
あなたの身を主に屈めましょう。
会衆
主、汝に。
司祭が祈り、述べる
おお主なる、生命をもたらし、善き物を与え、永遠の生命への祝福されし希望を人類に与え給う、我らが主イエス・キリストよ。我らを神聖さに値する者、未来の至福を楽しむ為の汝の神なる儀式にとって完全なる者に数え給え。
(司祭)朗々と
故に、いつも汝の力で守り給え、真実の光へ導き給え。今もいつも、我らが父、子、聖霊である汝に感謝と喜びを伝えられるように。
会衆
アーメン。
輔祭
洗礼志願者15、洗礼を受けていない者、我々とともに祈りの場に参加できない者はご退去を。
(その後)扉を閉め、皆で立ち、主への祈りを続けましょう。
1 英文ではthe word。ヨハネ福音書から使われるキリスト=「御言葉」という意味か、それともここでは「福音」か…と思っていたらギリシャ語にはこの単語に相当する箇所がありませんでした。以後英語のthe wordとwordは「御言葉」と「言葉」で使い分けています。
2(原文注)「全く同一であり」は後世の(ただし正当な)付加。
3「三位一体」という言葉を初めて使ったのは二世紀のテルトゥリアヌスなので、これもおそらく原型に存在しないと私は判断しています。「三位一体」はここで二回ともう三箇所の五回しか使われておらず、しかもその内二箇所は後世の挿入、残りもその疑惑が強いです。
4(原文注)これらの(つまり、以後繰り返される。このカッコ内は私の注)香料に関する文言及び祈りも後世の付加。
5 英文でwordかつギリシャ語もΛόγος του Θεούとあるので「言葉」と訳しました。文脈上は完全に「御言葉」ですが。…ただ、この箇所そのものが後世の付加らしいです。
6(原文注)この「司祭様」が「主」になっているテキストもあります。
7 英語ではentranceとあります。恐らくこの儀式の始まりを指す単語です。
8 英語ではcompassion。思いやりと訳した方がいいかもしれません。
9 英語ではwordでtheが付いていないので、文脈上は「御言葉」に見えるのですが「言葉」としました。ただこの箇所もヤコブの時点で存在していなかった「神の母」や「三位一体」が入っているので後世の、例えばキュリロスの手によるものかも…?
10(原文注)この神の母(Θεοτόκος)はカルケドン公会議(451)以降に書き足されたものです。
(私注)ちなみに「神の母」という単語はこの儀式を作った人物と目されるエルサレムの聖キュリロス(313頃-386)の著作でも使われています。
11 英語ではbidding prayer。聖公会の用語で、Prayers of the Faithful、カトリックの共同祈願の別名です。
12 英語だとtransgressions 、ギリシャ語だとπλημμελημάτων 。
13 日本正教会では「聖三祝文」と訳されているのですが、あちらは「聖なる神、聖なる勇毅(ゆうき)、聖なる常生(じょうせい)の者や、我等を憐れめよ」と、mighty(英)ἰσχυρός(希)に「勇ましい」という不要な意味を付けているのでここでは「トリサギオン」とします。なお英国正教会によるとこのトリサギオンは原型そのものではないとも。
14(原文注)司祭「全く聖なる正しきを以て祈念する。我らの全く聖なる、純粋にして最も壮麗なる女性、神の母にして永遠の乙女マリアに、我々を捧げよう。またその一方で我らの命全てを我らの神キリストに捧げよう」会衆「主、汝に」…という後世の付加がこの後に続きます。
15 日本正教会では「啓蒙者」と訳されています。しかしあっちは啓蒙される者と啓蒙する者をどっちも「啓蒙者」と読んだりしているのでここでは「洗礼志願者」としました。
2(原文注)「全く同一であり」は後世の(ただし正当な)付加。
3「三位一体」という言葉を初めて使ったのは二世紀のテルトゥリアヌスなので、これもおそらく原型に存在しないと私は判断しています。「三位一体」はここで二回ともう三箇所の五回しか使われておらず、しかもその内二箇所は後世の挿入、残りもその疑惑が強いです。
4(原文注)これらの(つまり、以後繰り返される。このカッコ内は私の注)香料に関する文言及び祈りも後世の付加。
5 英文でwordかつギリシャ語もΛόγος του Θεούとあるので「言葉」と訳しました。文脈上は完全に「御言葉」ですが。…ただ、この箇所そのものが後世の付加らしいです。
6(原文注)この「司祭様」が「主」になっているテキストもあります。
7 英語ではentranceとあります。恐らくこの儀式の始まりを指す単語です。
8 英語ではcompassion。思いやりと訳した方がいいかもしれません。
9 英語ではwordでtheが付いていないので、文脈上は「御言葉」に見えるのですが「言葉」としました。ただこの箇所もヤコブの時点で存在していなかった「神の母」や「三位一体」が入っているので後世の、例えばキュリロスの手によるものかも…?
10(原文注)この神の母(Θεοτόκος)はカルケドン公会議(451)以降に書き足されたものです。
(私注)ちなみに「神の母」という単語はこの儀式を作った人物と目されるエルサレムの聖キュリロス(313頃-386)の著作でも使われています。
11 英語ではbidding prayer。聖公会の用語で、Prayers of the Faithful、カトリックの共同祈願の別名です。
12 英語だとtransgressions 、ギリシャ語だとπλημμελημάτων 。
13 日本正教会では「聖三祝文」と訳されているのですが、あちらは「聖なる神、聖なる勇毅(ゆうき)、聖なる常生(じょうせい)の者や、我等を憐れめよ」と、mighty(英)ἰσχυρός(希)に「勇ましい」という不要な意味を付けているのでここでは「トリサギオン」とします。なお英国正教会によるとこのトリサギオンは原型そのものではないとも。
14(原文注)司祭「全く聖なる正しきを以て祈念する。我らの全く聖なる、純粋にして最も壮麗なる女性、神の母にして永遠の乙女マリアに、我々を捧げよう。またその一方で我らの命全てを我らの神キリストに捧げよう」会衆「主、汝に」…という後世の付加がこの後に続きます。
15 日本正教会では「啓蒙者」と訳されています。しかしあっちは啓蒙される者と啓蒙する者をどっちも「啓蒙者」と読んだりしているのでここでは「洗礼志願者」としました。
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